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“BCL”と云う趣味をご存じの方はいらっしゃいますでしょうか? 知っている場合はある年代以上の方に偏っているとは思うのですが、う〜ん、たぶん、かなりいらっしゃるんじゃないでしょうか…?(笑)。
何で今ごろBCLの話か…と云えば、先日何気なく、あるオークションサイトを覗いたら、昔使っていたBCLラジオ用の周辺機器 (松下製のBCLラジオ、クーガー2200用のアンテナカプラ (RD-9810) が出ていて、思わず 「うわぁ〜」 と声を挙げ、津波のような懐かしさに浸ってしまったからなんですが… σ(^-^;) 、今でもこの趣味を楽しんでいらっしゃる方がいるのを見て、なんだかとても嬉しくなりました。
僕がBCLを始めたのは、確か小学校4〜5年生の時だったと思います。 年代で云うと、1975年ころでしょうか (ヲタ年表はこちら)。 丁度BCLが “ブーム” になる、ちょっと前の事です。 当時はオイルショック後の省エネ騒ぎでTVは夜12時くらいになると全て終了していましたし、もちろんビデオもゲームも衛星放送もパソコンもインタネットもコンビニすらもなく、昼間はともかく、子供が夜一人で楽しめるものは、マンガとラジオと天体観測(笑)くらいしかない時代でした。
僕が生まれて初めて受信した海外放送は、“モスクワ放送” (ソ連邦 (当時) 国営放送の海外向け放送)の日本語放送でしたが、子供向け科学雑誌 「ラジオの製作」 を傍らに、遥かな国から届く電波に耳を澄まし、そこにたまらないロマンチックな響きを感じていたものです。
ちなみに “BCL” とは “Broadcasting listener” の略語で、要するに “放送を聴く人”、“放送を聴く趣味” の事なんですが、でも、これだけでは全く知らない人が聞いたらさっぱり意味不明でしょうね (^-^;) 。 まともに説明すると長くなってしまいますが、ご存じない方のために箇条書きみたいな感じでちょっとご紹介してみましょう。
対象 | 基本的には全ての放送番組が受信 (聴取)の対象です。 ただしテレビ放送は含まない考え方が一般的で、またサービスエリア内の国内中波・FM放送も除く場合が多かったです。 人気があったのは短波 (もしくは中波) で放送される、よその国からの海外放送ですね。 最盛期には30ヶ国余りが日本向けに日本語放送、あるいは日本向けの平易な英語による放送を行っていて、それを受信、聴取するのが一種の流行ともなりました。 | |
醍醐味 | もちろん 「放送を聴く人」 な趣味ですから、放送内容そのものが第1の魅力です。 とくに海外からの放送は、ニュースにしろ音楽にしろちょっとしたトークにしろ、未知の国からの異国情緒たっぷりの内容で、大いに知的好奇心を刺激してくれたものです。 国内の、例えば深夜放送でのような “人気パーソナリティ/ アナウンサー”さんもいましたし、「手紙やリクエストを送って、それを放送で取り上げてもらう」 といった楽しみ方もありました。 また放送内容の他に、「受信の難しい放送をキャッチする」 といった、一種のゲーム的な楽しみもありました。 地理的に遠い国だったり、放送局の規模が小さく電波出力が弱かったり、あるいは同じ電波周波数に別の局の強力な電波が出ていて混信してしまうなど、放送の受信を難しくする要素はたくさんあります。 それらを科学的 (アンテナに工夫をしたり)、また技術的 (職人的…と云いますか、混信の中から目指す放送を聞き分けたり、自分の受信機のクセを見抜いたり) に解決し、そしていくらかの 「幸運」 を頼りに受信して行くのはとても楽しいものでした。 こんにちのゲームの、例えば 「レアアイテム」 のような “珍局”、“難局” と呼ばれる放送局もあり、当時は仲間と競ってチャレンジしたものです (そういう局ばかり狙っている人は、“DXer”とか呼ばれていました。 もう一つ、素晴らしい楽しみがありました。 「受信報告書」 と云うカタチで放送局に “あなたの放送を聴きましたよ” と報告すると、“あなたは当局の放送を確かに聴きました” と正式に証明してくれる 「受信確認証明書」 を好意で発行してくれる放送局が多かったのですが、これを集めるのがまたすごく楽しいのです。 当時これは 「ベリカード (Verifiecation Card)/ もしくはQSLカード」 と呼ぶのが一般的でしたが、その放送局のある国、地域、文化を美しい写真や図版でカード状に紹介しているものが多く、コレクションの対象としてはもちろん、放送を聴きながら眺めていると、ちょっとした “時空を越えた海外旅行” に誘ってくれたものです。 前述した “珍局”“難局” のベリカードなどは、ほとんど 「勲章」 のような意味も持っていました。 | |
アイテム | とりあえず、ラジオが一台あればOKです。 出来れば短波が受信出来るものが良く、周波数を細かく読みとれるものであればベストです (BCL用の受信ラジオは、とくに “リグ”なんて呼んでいましたね)。 ちなみに “周波数を細かく読みとれる” ってトコは、若い人にとってはピンとこないかも知れません その他、ちょっと凝りだすと、より受信感度を上げる為の外付けの外部アンテナ (逆L字型アンテナとかを庭先の木の枝に張ってました(笑)や、冒頭に触れたアンテナカプラ (ワイヤ型の外部アンテナを、狙う周波数に物理的に最適化する機器)とか、電波を増幅する機器なんかを買ったり自作したりして、接続したものでした。 あと海外放送の周波数や番組予定などが載った雑誌 (「ラジオの製作」 や 「初歩のラジオ」、ちょっと下って 「月刊短波」 あたりがその代表でしょうか) や、また受信報告書を送るための便せんやエアメール封筒、切手や IRC (国際返信切手券。 外国向けの返信用切手のようなもので、当時一枚80円か90円くらいでした)、それに和英・英和辞書などがあると、よりベストでした。 |
あっさり解説するつもりが、随分長くなってしまいましたね… (^-^;) 。
懐かしくてついつい、いっぱい書いてしまいました。
しかし今にして思うと、子供の間で流行った趣味としては、ものすごく体力 (時間や手間、お金)を必要とする趣味ですよね、BCLって。 でもこうして改めて思い直すに、子供が夢中になる要素をふんだんに持った趣味だった、と云えますね。
それに東西冷戦たけなわの頃のこととて、東側の国の放送 (モスクワ放送や北京放送、朝鮮中央放送など)と西側の国の放送 (ラジオ・オーストラリアとかラジオ韓国 (KBS)とか) との一つのニュースに対する正反対な反応に 「ものの見方」、「ニュースの読み方」 を覚えたり、「世界の広さ」 を実感したり…、けっこうためになる趣味でもありました。 そういえばガッコの仲間と同好会を作って、会報なんかをガリ版で発行していたのも思い出しました。 そのうちの何人かは、今でも大切な友人であり続けていますし…。
ところで僕がこの素晴らしい趣味から離れたのは、いつ頃でしたかね。 高校受験がひとつのハードルになったのは間違いないですが、そのずっと前、中学の途中から、あまり熱心にやらなくなったような気もします。 友達によっては、その後現れた “マイコン” に飛びつく場合も多くて、僕はマンガとかイラスト描きに趣味が移っていった印象があります (ちなみに…ですが、かつてBCL雑誌と化していた 「ラジオの製作 (ラ製)」 も、こないだみたら、ほとんど子供向け自作パソコン雑誌と化していましたね (^-^;) 。 随分薄くもなっていましたが、でも、未だ健在だったのに、すごい喜びを感じました)。
インタネット全盛の今となっては、もうBCLの社会的意義は、かなり希薄になって来たと思います。 通信と放送の一体化が進んで行けば、ラジオによる海外放送の聴取自体、ひょっとしたらナンセンスなものになってしまうかも知れません。 海外からの日本語放送も、この何年でかなり廃止になってしまったと聞いていますし…。
ただ20世紀から21世紀にかけて生きてきた人間として、このBCLとインタネットの両方に自分なりに打ち込んで関われたのは、すっごい幸せな事なんだなとは漠然と感じています。 子供の頃のBCLでは、こんにちのデジタル回線を通じた莫大な量のデータは得られませんでしたが、想像力で補う術も身につけましたしね。
でも実はですね、僕の家の押入には、すぐ使えるBCLラジオが何台か眠っているんですよ。 スカイセンサーICF-5800、ICF-5900、クーガー2200、あと何台かありますが、20年来の僕の愛機たちです。 当時垂涎の的であった プロシードRF-2800 とかデジタル周波数表示のものは持っていないんで、もう完全にアナログな機種ばかりなんですが、今の時代に改めて電源を入れるなら、こうしたノスタルジックなイメージ溢れる周波数幕ダイヤルの方が似つかわしいでしょう。
ひょっとしたらひょっとするかも…と、自分の心変わりをなんとなく期待している、最近の趣味といえば同人活動一直線の うっ!は、ちょっとだけ思うのでした(笑)。
● | 冒頭のサブタイトルに書いてある 「ヨゼフ・ナジ」氏とは、ナショナルのBCLラジオ、クーガ2200の広告に登場していた、どこかの国のおじいさんの事です。 BCL歴56年 (だったかな?)の人で、現在でも健在であるかは…ちょっとかなり厳しいで |