ラ グ オ ル 探 検 隊 探 検 記 ( プ レ イ 雑 感 / お ま け )
「美少女抜刀隊」 …その名称の秘密とは…?

 

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「PSO」/ ラグオル探検に命を懸けた漢の、徒然なるまま奮戦記…のおまけ。
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 ■ 玉散る剣抜きつれて〜♪
 「PSO」 オンラインゲームをする際、部屋名によく 「美少女抜刀隊」 と名づける事があります。 前段の 「美少女」 はともかく (^-^;)、後段の 「抜刀隊 (拔刀隊)」 に関してはご存知の方も多いと思いますが、国内最後の内戦とも呼ばれる明治 10年 (1877年) の西南戦争 (戰爭/ 西南の役) において、薩軍に押される明治新政府軍 (官軍) 側が、激戦となる田原坂 (熊本県鹿本郡植木町) の戦い (3月4日から3月20日) にて敵軍に斬り込み突撃を行った部隊に対して与えられた名称から採っています。
 
 120年以上前の戦いとは云え、今日でも各方面、国内だけではなく海外にも影響を色濃く残す西南戦争の、そのもっとも凄惨な戦いからゲーム部屋の名称を採るのも不謹慎かと思うのですが…日本初の現代的軍歌とも云われる 「拔刀隊 (分列式行進曲/ 分列行進曲)」 の素晴らしい歌詞と共に、歴史のロマンを感じさせるモチーフとして、ついつい影響されてしまっています (九州のユーザが見ると、また違った感想を抱かれそうですが… (;_;) ちなみに筆者は、生まれも育ちも東京なんですが…父親の祖先は九州の武家の出だったりします。 家系図はあんまり信用出来ないっぽいんですが、一応お寺の檀家の記録では加藤清正公まではさかのぼれるようです。 さらに母方の祖先は高知で、思いっきり土佐藩 (高知藩) だったりします… (つことは、裏切り者かい(w)
 
 すでに書籍類やあちこちのウェブサイトでも紹介されている 「拔刀隊 (分列行進曲)」 ですが、ここでもやっぱり紹介してみようかなと思います。 歌詞の中で 「古今無双の英雄」 と謳われている敵将は、かの西郷隆盛どんです。 敵将を英雄とする日本人的な感性と、そうせざるを得なかった当時の政治状況、悲壮な将兵の決意や死生観を歌詞には見ることが出来、日本人なら何かこう…胸に迫るものがあるのでは、と思います。 作曲家がフランス人であると云うのも、明治と云う時代を反映していて興味深いですね。
 
 なおこの曲はその後、警察の行進曲を経て大日本帝国陸軍の分列行進曲として採用され、有名なところでは、先の大戦の歴史番組などでは歴史の一こまとして必ず流れる昭和18年 (1943年) 10月21日、明治神宮外苑競技場で行われた 「出陣学徒壮行会」 の行進で、陸軍戸山学校軍楽隊によって演奏されています。 また小泉純一郎首相時代に行われた自衛隊創設 50周年記念の観閲式パレードでもこの音楽が吹奏されました。 なので、一度耳にすると多くの人が、実はご存知の曲だと思います。 現在の自衛隊にもこの曲は引き継がれ、演奏されることも多いそうです。
 ■ 拔刀隊 (分列行進曲)
 作詞:外山正一 (Toyama, Masakazu/1848(嘉永1)-1900(明治33) / 日本)
 作曲:シャルル・ルルー (Charles Edouard Gabriel Leroux/ 1851-1926/ 仏)
1番   吾は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ
  敵の大将たる者は 古今無雙 (双) の英雄で
  これに従うつわものは 共に慄悍 (ひょうかん) 決死の士
  鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
  起こせし者は昔より 榮 (栄) えしためし有らざるぞ
  敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
  玉散る劍 (剣) 拔 (抜) きつれて 死する覺悟 (覚悟) で進むべし
 
2番   皇国 (みくに) の風ともののふは その身を護る魂の
  維新このかた廃れたる 日本刀 (やまとがたな) の今更に
  また世に出ずる身のほまれ 敵も味方も諸共に
  刃の下に死すべきに 大和魂あるものの
  死すべき時は今なるぞ 人に遅れて恥じかくな
  敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
  玉散る劍拔きつれて 死する覚悟で進むべし
 
3番   前を望めば劍なり 右も左もみな劍
  劍の山に登らんは 未来のことと聞きつるに
  此の世に於いて目のあたり 劍の山に登るのも
  我が身のなせる罪業を 滅ぼすために非ずして
  賊を征伐するが爲 (ため) 劍の山もなんのその
  敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
  玉散る劍拔きつれて 死する覚悟で進むべし
 
4番   劍の光ひらめくは 雲間に見ゆる稲妻か
  四方に打ち出す砲声は 天にとどろく雷 (いかずち) か
  敵の刃に伏す者や 彈 (弾) に砕けて玉の緒の
  絶えて果敢 (はか) なく失する身の 屍は積んで山をなし
  その血は流れて川をなす 死地に入るのも君のため
  敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
  玉散る劍拔きつれて 死する覚悟で進むべし
 
5番   彈丸雨飛の間にも 二つなき身を惜しまずに
  進む我が身は野嵐に 吹かれて消ゆる白露の
  果敢なき最期を遂ぐるとも 忠義のために死する身の
  死して甲斐あるものなれば 死ぬるも更にうらみなし
  われと思わん人たちは 一歩もあとへ引くなかれ
  敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
  玉散る劍拔きつれて 死する覚悟で進むべし
 
6番   吾今ここに死なん身は 国のためなり君のため
  捨つべきものは命なり たとえ屍は朽ちるとも
  忠義のために死する身の 名は芳しく後の世に
  永く伝えて残るらん 武士と生まれし甲斐もなく
  義のなき犬と言われるな 卑怯者とな謗られそ
  敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
  玉散る劍拔きつれて 死する覚悟で進むべし
 全曲を貫いて繰り返し使われている 「玉散る剣抜きつれて」 ってフレーズが秀逸ですね。 自らの正当性や勇ましさだけでなく、自分自身の身の処し方の潔さや、あるいはまた命がけで戦う相手への 「敬意」 まで含まれているのが、単に血なまぐさいだけのいわゆる 「西洋的な軍歌」 とこの作品との、際立った違いだと思います。 軍歌である以上、戦意高揚がその主たる目的であるのは間違いないところですが、そうした実利的な目的だけではない訴えるものを持っていると思います。
 
 今後この歌が一つのベースとなって、日本軍歌は発展してゆくのですが、こうした感情的な部分が色濃く反映された佳作名曲の数々が多く生まれたのは、素敵な事だと思います。 もっとも先の大戦以来、軍歌は忌み嫌うべきものとされてしまっていますので、その大半が人々の記憶から消え去ってしまいつつありますが…。 自らが信じたもののために必死に生き、戦い、そして散っていった人たちの愛した歌を、後世の平和な時代に生きている人間が自分たちの時代の常識だけでもって足蹴にするのは良くない事だと思いますです。
 
 なお西南戦争自体は、前述した田原坂の戦いや熊本城籠城戦などの激戦を経て、新政府軍が勝利。 鹿児島を中心にした士族の武力反乱は集結しました。 その後日本はこれまでに見たこともない世界の列強、超大国と渡り合う、全く新しい時代に向かって突き進んで行くことになります。
 このページで使用されている画像は(株)ソニックチームの許諾を得て、ドリームキャスト用ゲーム 「ファンタシースターオンライン Ver.2」よりキャプチャーしたものです。 配布や再掲載は禁止されています。
 歌詞引用転載に関しては、著作権保護期間 (著作者死亡より 50年間) を過ぎたものを、「名作を後世に残し広める」 事を主目的に、非営利で行っているものです。

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