ランドセル、それは、幼さの記号的アイテム…以上の意味を持っています
「ランドセル」 とは、小学校に通う小学生が登場する マンガ や アニメ、ゲーム、なかんずく ロリコン や ショタコン ものの 健全・非健全系 作品の、最重要 アイテム のひとつです。 「縦笛 (リコーダー)」 や 「半ズボン」「ブルマー」「筆箱」 などと並び、とりわけ 鬼畜 的な作品で、反復使用などこだわりの演出が比較的良く見かけられるようです。
標準的なタイプのランドセル、閉口全図と開口全図 |
それにしても スクール水着 とか セーラー服 などなど、制定ファッション・アイテムには、熱烈な愛好家が憑き物ですが、とりわけ 「ランドセル」 には、誰しもが “キュンとなる思い出、ノスタルジー” を持っているもの。
単なる登場 キャラ の年齢に対する 設定 や 「幼さ」 の記号的なアイテム…だとは割り切れない奥行き、萌え要素 としての魅力が、この 「ランドセル」 にはありますね。
さらに、例えばランドセルをあえて大きく描くことで、身に着けている女児や男児の 「小ささ」 を効果的に演出するなど、キャラを立てるための実用的な小物であるのも大きな特徴でしょうか。
個人的には “神聖なもの” を汚すより、“懐かしいもの”、“大切にしていたもの” をそう扱う方がよほど “アンモラル” だと思いますので、その意味でこの 「ランドセル」 が 鬼畜 的な作品に必要とされるのには、なにやら象徴的なものを感じますね。 ぴかぴかに輝く自分専用の (もちろんクラリーノ素材製)「ランドセル」 を手にした時の喜びと誇らしさは、何となく記憶の片隅に残っているような気がしますが、それを “踏みにじる行為” にカタルシスと興奮を感じる人は、意外に多いんでしょうね…。
当たり前の話ですが、「ロリコン」 の人は “赤” を、「ショタコン」 の人は “黒” を好むよう… です。
女児が身に着けた状態のランドセル (標準タイプ) |
平成の 「ランドセル」 事情
ところでこの 「ランドセル」、ここ 10年程で随分と大型化しているようです。 1990年代前後からの教材の大型化がその原因ですが、A5サイズから B5サイズ収納中心へと移り変わっていますね。
この傾向は今後も続くようですが、現時点 (2000年10月現在) の標準寸法は、内寸で幅 220mm、高さ 280mm、外寸で同 240mm × 290mmとなっているそうです (ランドセル工業会基準)。 最近はさらに教材が折れない余裕のあるサイズ、キングサイズ (高さが 300mm) なんてものも出ています。
また個性化のためでしょうか、あるいはジェンダー的な配慮でしょうか、スタンダードな女の子用の赤や男の子用の黒以外にも、青や緑、黄やパステルカラーのものなど、さまざまな色、形のものが発売され人気を得ています。
とりわけ男女ともにブルー系統の 色 の人気が高いそうで、男子は濃い青、女児は 「水色」 の人気が高いそうです。 個人的には、青とか水色って、難しい色だと思うんですが…。 さらには女の子用にこげ茶や黒などの暗い色の人気も高まっているようで、こういった部分は 「汚れが目立たず長持ちしそう」 との、経済的な理由も大きいようです。
さらに内装に抗菌消臭加工がされていたり、補強材の材質が改善されたり、軽量化が極限まで進んでいたり、児童を狙った犯罪が増えている世相を反映してか、最初から引きヒモ式防犯ブザーがついた 「防犯安全ランドセル」 なども登場しています。 単なる物いれではなく、多機能化してるわけですね。
伝統的な本格牛革製の 「ランドセル」 は重量もかさみ、さらに傷などが目立たない茶系統の色は、子供同士で 「うんこ色」 などと呼ばれてしまう原因にもなるようで、親や祖父母の好みだけで選ぶと、当の子供が困ったことにもなりそうです。 ここらは時代もあるんでしょうか。
子供の頃の 「ランドセル」 の印象はと云えば…
流行のカラフルな色使いの商品が並ぶ 近年のランドセル売り場 (2009年春撮影) |
通常 「ランドセル」 は、小学校3年頃まではピカピカだったりしますが、4年生にもなると 「ガキっぽくてイヤ」 なんて思ったりして、子供は敬遠したりもしますね。
おしゃれな手提げかばんやショルダーバッグを買ってもらいたくて、わざとつぶしたり汚したりする子供もいますし、「ピカピカがかっこ悪い」 みたいな気分も出てきます。
まあ手提げは手がふさがるために、子供の安全に向いていませんし、ショルダーなどはそもそも体の片方に負荷が掛かるので、この手のバッグは骨格が成長段階の子供には向いていないんですよね (長期使用で骨格が歪むとの報告もあります)。 でもやっぱり、友達が持っているとあこがれるんですよね…。
ちなみに思い出の品として自分が使っていたランドセルを保存したいけれど、大きくてかさばる…という人のために、自分のランドセルを素材として小さく作りなしたミニチュアランドセル、ミニランドセル制作なんかも近年人気があります。
ランドセルの歴史…現在の箱型ランドセルは、日本では明治時代から
ちなみに 「ランドセル」 はオランダ語のランセル (Ransel) が語源で、元々は背負い式カバン (いわゆる背嚢 (はいのう)、現代のリュックサックのようなもの) を指す言葉でした。
我が国では幕末から明治初期にかけ、西洋式軍隊制度・装備 が導入された際、布製で軍用のものが大量に輸入されましたが、その後明治 18年になり、学習院 (明治10年10月に開校) で生徒の通学時に使用を定めたのが、通学用ランドセルの直接的な起源となっています (同時に馬車などでの通学は禁止されました)。
なお 公式 に文書や実物が記録に残っている事もあり、明治期に皇太子殿下 (後の大正天皇) が学習院初等科へ入学された際、通学用にと伊藤博文が献上したものがその第一号であるとされています。
このタイプはそれまでの、どちらかというとリュックサックのようなタイプと違い、しっかりとした箱型の収納を持つタイプで、「学習院型ランドセル」 とも呼ばれています。
日本におけるこんにち存在するタイプの 「ランドセル」 の歴史は、ここから始まったといって良いでしょう。 その後日本が豊かになるにつれ昭和30年代頃から全国にも普及、小学校中学年くらいまでの学用品のスタンダードとしてすっかり定着しました。
ランドセルと児童 |
ただし現在見かけるようなタイプのものは、合成皮革であるクラリーノ素材が生まれ (昭和42年)、それまでの牛革や馬革のものに比べ、圧倒的に廉価、および軽量になって行く中で一般的になったものです。 ちなみに海外では英語 Satchel で呼ばれています。
「ランドセル」 禁止の学校も…
なお全国では広島県の一部でだけ、ある時期からランドセルは全面禁止されていました。 復活したのは禁止から 35年ぶりとなる、なんと 2003年4月9日。
なんでも禁止の理由は 「教科書を自宅に持ち帰ると自宅で勉強をしてしまい、受験競争に拍車がかかるから」 また 「子供の個性をランドセル強制で失わせるな」 だったようで
筆者 のいた東京では、学校に教科書を置きっぱなしになんかしたら、先生に怒られたものですが…ところ変わればってヤツなんでしょうかね…。
ちなみの蛇足になりますが、かつての日活ロマンポルノ全盛時代、童顔の女優さんに “蘭童セル”さんて方がいらっしゃったんですが… はいはい、誰も知らないです
2010年〜2011年、「ランドセル」 を贈るタイガーマスク現象が
2010年12月25日のクリスマスの朝、群馬県の児童相談所に伊達直人名義で、ラッピングされた新品のランドセルが10個、ピラミッド型に積み上げられて届けられる出来事が発生。 伊達直人とは、マンガやアニメで知られる人気作品、「タイガーマスク」 の 主人公 の名前で、作品中で孤児であり養護施設 「ちびっこハウス」 で育った伊達直人が、プロレスラーとして活躍するようになると施設の子供たちにプレゼントを送っていたエピソードにちなんだものだと思われました。
この事件はマスコミなども 「心温まる出来事」 として大きく報道。 その後 2011年にかけ、全国でタイガーマスクや伊達直人と名乗る数多くのランドセルのプレゼントが相次ぎました (「タイガーマスク運動」 とも呼ばれます)。
キッカケとなった群馬県の中央児童相談所の出来事では、折しもパチンコでタイガーマスクの台が登場した直後だっただけに、「パチンコ業界の宣伝ではないか」「いやランドセル業界の宣伝では?」 との邪推からくる ネタ 的な意見もありましたが、「キッカケはどうあれ、プレゼントは良いこと」「感銘を受ける、素晴らしい行動だ」「もらえる子供ともらえない子供がいると かわいそう、もっと広げないといけない」 などと、賞賛の声が広まることになりました。
匿名でのプレゼントなので贈り主の真意や贈った真相はわかりませんが、ネット では賞賛の声が大きくあがり、ますます広がる傾向にあります。 中にはプラモデルや文房具、スポーツ用品などをプレゼントする出来事も起こっているようで、年末から年始にかけ1ヶ月足らずの間に1,000件を超える寄付があり、それを受け、国も児童養護施設に対する予算の増額を検討する大きな契機ともなりました。
震災などの被災地に対する物的支援などもそうですが、直接物品を送る支援やボランティアには、批判的な意見もあります。 筆者もどうせ送るなら、受け取った側が自由に必要な部分へ使える現金の方がずっと良いと思うのですが、不景気な時代に恵まれない境遇にいる子供へのこうした行為は、話題としても人々の心を潤すものであったのでしょうね。 この現象は、翌2011年から2012にかけての年末年始にもあらわれました。