腹が減っては戦はできぬ…重要なのに軽視されがち 「補給」
「補給」 とは、使って減ってしまった物や失われて足りなくなった分を新しくおぎなって増やすことです。 同じような言葉に補充や充填、補填などがあり、通常は 消耗品 のつぎ足しに対して使われます。 日常 の生活でも良く使われ、例えば夏場の熱中症を防ぐための 暑さ対策 として行われる水分補給とか栄養補給、車やバイクにガソリンを入れる 燃料 の補給などはよく耳にするものでしょう。
補給を含めた後方支援やその体勢を 軍事 の世界では 兵站 と呼びますが、ほとんど同じ意味で使われることもあります。 運ぶ物資は軍事物資の他、輜重 (しちょう) と呼びます。 軍が作戦や 戦闘 を継続するために必要な物資や資源を、後方から前線の部隊へ 供給 する活動全般を指し、具体的には食料や飲料水、弾薬、燃料、医薬品、被服、修理部品などが対象となります。 これらを調達・輸送し、必要な場所へ届けるまでの一切が含まれ、そのためのルートは一般に補給線と呼ばれます。 英語ではロジスティクス (ロジ) と呼ばれますが、単なる物資の運搬にとどまらず、兵站計画や輸送手段の確保、備蓄管理までを幅広く包括する 概念 として理解されています。
補給が軍事において極めて重要とされる理由は、いくら優れた戦略や強力な 武器 をたくさん持っていても、それを支える物資が途絶えれば戦闘力を維持できないためです。 戦場における 勝利 や 敗北 は単純な兵力や武器の性能、指揮官らの能力だけではなく、いかに継続的に部隊を機能させられるかにかかっています。 弾薬が尽きれば 攻撃 も防御もできませんし、燃料や修理用の部品が不足すれば戦車や航空機、車両は動けなくなり、ただの鉄くず同然です。 仮に敵の攻撃を防いでも、これでは撃破されたのと同じです。 また食料や水が不足すれば兵士の体力と士気は急速に低下し、医薬品がなければ負傷者の救護もままなりません。
歴史を振り返ってみても、補給計画のずさんさや補給線の維持に失敗したことが敗因となった事例は数多く存在します。 例えばナポレオンのロシア遠征 (1812年) や第二次世界大戦における日本軍のガダルカナル島での戦い (1942年) などは、長大な補給線を維持できなかったことが大きな敗因の一つとされています。 日本軍は過去の成功体験から 決戦 にこだわりすぎていて、直接的な正面装備以外を軽んじていたことがしばしば指摘されますが、最初から補給や兵站を考慮しないインパール作戦 (1944年) などはその最たる例でしょう。 逆に補給体制を効率的に構築できた軍はたとえ一時的には劣勢に陥っても、持久戦において優位に立てる可能性が高まります。 ただしこれは、巨大な国力があってこそという部分もあります。
現代の軍事においては、補給の重要性はさらに増しています。 装備の高度化により燃料や部品、電力の 需要 が増大し、サイバー領域や宇宙領域における通信インフラの維持も広義の補給活動に含まれるようになりました。 また、輸送手段の多様化や情報技術の発展により、必要な物資を必要な場所へ迅速かつ正確に届ける 「ジャストインタイム」 的な補給体制の構築も重視されています。
一方で攻撃する側としては前線での主力同士の戦いより、むしろ敵の補給線や兵站をどう 叩く か、さらに云えば補給される物資の生産拠点をいかに戦略的に叩くかが戦争の帰趨を決めるものになっています。 敵軍の後方に回り込んだり敵地に進軍することができなければ、わざと劣勢を装って敵軍を自分たちの領地奥深くまで進撃させ、伸びきった補給線を断つといった戦術をすることもあります。 補給線を断たれた敵軍はやがて疲弊し孤立し、有効な戦闘力を喪失するでしょう。 とくに 攻略 するのが難しい強固な要塞や城といった軍事拠点を叩く場合は、補給線を切って兵糧攻めにするのが基本的なセオリーともなっています。
補給は華々しい戦闘に比べいかにも 地味 で、軍事作戦の裏方として目立たない存在でありながら、実際には作戦全体の成否を左右する根幹的、あるいはほとんど決定的な要素のひとつです。 「素人は戦略を語り、玄人は兵站を語る」 という言葉があるように、軍事を理解する上で補給の視点は欠かすことができないと言えるでしょう。
一般人が思う以上に難しい適切な補給
補給やそのための経路の確保や計画は、実際かなり難しいものです。 とくに大量の物資を消費する大人数・大部隊が争う古代から近代までの戦争ではそれは顕著でした。 例えば最前線の兵士4人の1週間分の食料だけを、片道1週間の場所へ1人で届けるとします。 現代の戦闘糧食 (ミリメシ) であれば1人1週間分で重量はおよそ5kg程度になりますが、仮にこれを当てはめると合計20kgになります。 それ以外に輸送中に輸送者自身が消費する往復分の食糧も必要です。 これで4人+往復で延べ2人分の6人分、重量30kgの食料が必要になります。 移動に2週間かかる場所へなら合わせてさらに延べ2人分 10kg、すなわち4人1週間分の食料を送るためには倍の8人分 40kgもの食料が必要になってしまいます。 これに飲料水や弾薬なども含めたら、とても1人で運べる重さではありません。
天候悪化や道中の 治安 次第で到着が数日遅れたりすれば、輸送先に到着しても届ける食糧は減ってしまいます。 場合によっては輸送者が途中で引き返したり餓死することになります。 これでは補給や輸送ではなく単なる浪費です。 輸送者1人が運べる量にも限界がある中、一定以上の遠距離への継続的な補給は非現実的でありまず不可能だと考えても良いでしょう。
ではどうするかと云えば、船や荷車などを使って一人が一度に運べる量を増やすか、届けるまでの日数を大幅に削減するか、あるいは最前線の兵士が現地調達するしかないでしょう。 現代なら大量に物資を運べる大型輸送船や貨物列車や大型トラックがありますが、戦乱が頻発していた中世や戦国時代にはそんなものはありません。 第二次大戦時にはいずれもありましたが、その数は十分ではなく、輸送船は撃沈されるし鉄道を敵地深くまで敷設し維持するのは無理ですし、陸路の舗装もされていませんでした。 それでももっとも有効なのは輸送船ですが、そもそも陸地では船は使えません。 航空機という手もありますが、輸送機が運べる量などはたかが知れており、ドイツ敗戦後の東側によるベルリン封鎖に伴う西側の空輸といった例外を除けば、ほとんど問題外です。
となると、現地調達するしか方法はなくなってしまいます。 現地調達にもいろいろな方法がありますが、お金で買うにしろ命令で供出させるにせよ力ずくで奪うにせよ、せんじ詰めれば要するに略奪に他なりません。 とはいえ人道的な理由を除けば略奪さえできれば安全で長大な補給路を確保する必要もありませんし、敵の物資を奪うことで敵の弱体化にもなりよいアイデアに思えます。 実際に略奪や殺戮が当たり前の戦術や戦略として用いられていた時代や国もあります。
しかしそんな事は敵も分かっているので、占領されそうな拠点や地域に物資など残しませんし、敗走する場合も 戦利品 として 鹵獲 されるのを恐れて焼き払うでしょう。 井戸には毒を投げ入れるかも知れませんし、それどころか敵兵士が休める場所すら奪うため、建物やインフラを破壊する焦土作戦だって行います。 せっかく苦労して敵拠点を陥落させ占拠しても、奪う物資どころか焼け野原と見捨てられて飢えた住民とその死体しか残っていなかったなどは歴史上によくあることです。
日本の場合、先の大戦という大きな反面教師と、逆に戦国時代の秀吉や三成らの当時としても現代と比しても高い評価に足る優れた参考例を自国内に持ちつつも、未だ補給に対する認識に甘い部分があると指摘されることしきりです (同様に情報とかインテリジェンスに対する無頓着さや軽視もすごいものがあります)。 どのような形であれ戦争は避けねばなりませんし、戦闘で 死ぬ のも飢えて死ぬのも命を失う点では一緒とはいうものの、はるばる出征してまともに戦えないままに飢え死にではさすがに浮かばれません。 敵に殺される名誉の戦死ならまだしも、守るべき国に見捨てられ 精神論 を押し付けられては、自国の軍に殺されるようなものなのですから。







