毒を消し、何でもギャグとして許してしまう… 「暴力ヒロイン」
「暴力ヒロイン」 とは、好意や嫉妬に基づいて、もっぱら 主人公 となる男性に対して暴力をふるう ヒロイン・女性の キャラクター のことです。 暴力女子とか狂暴女子、単に暴力キャラとされる場合もあります。 暴力と云っても平手打ち (ビンタ) や素手で殴る、足で蹴る、爪で引っ掻くといった様々なパターンがありますが、場合によっては武器はもちろん、スポーツ用具、ハンマー、ハリセン、木刀、丸太といった打撃系の 得物 や、作品 の ジャンル によっては魔法や火炎、電撃を与えるようなケースもあります。
ヒロインが暴力をふるう理由も様々ですが、ギャグの場合は男性主人公の度が過ぎた悪ふざけや ボケ に対する ツッコミ がもっとも多いパターンでしょう。 中には男性キャラを野球のバットで打ち放ち、カキーンとかホームランなどと擬音や情景描写の言葉が付く場合もあります。
またお色気のある作品では、男性キャラのエッチな行為に対して制裁や お仕置き の形を取ったり、そもそもが怪力を持つヒロインとの 設定 で、何気ない行為 (例えば恥ずかしくてちょっと手を出したら相手が吹っ飛ぶような) が暴力になってしまう場合もあります。
ただし ヒーローもの や バトル ものの作品の場合は、当たり前の話ですが敵に対して行う暴力や攻撃を持って暴力ヒロインと呼ぶことはありません。 また理由らしい理由もなくいきなり男性を殴ったり罵詈雑言を浴びせるようなヒロインは、とくに理不尽暴力ヒロインと呼ぶこともあります。 なお暴力に至る思考に病的なものがあったり、暴力を通り越して 虐待 や殺人にまで至るような場合は ヤンデレ となります。
分からない人には全く良さが分からない暴力ヒロイン
暴力ヒロインの原点は、一部の女性が持っているボディーランゲージ的な接触行為 (やだも〜とかいいつつ手で相手を押したり) とか、お笑いの世界における突っ込み役のハリセン、戯画化された昭和世代の鉄拳制裁にあります。 場合によっては1970年代後半から大ブームとなった女子プロレスの影響もあるかも知れません。 これらの意義は、「ギャグですよ」 との笑いどころの提示や明確化、それに伴うボケ側の言葉や行為の無毒化・無効化にあります。
例えば作中で恋人やそれに近い関係性を持つ男性がヒロイン以外の異性にちょっかいを出した場合、そのままでは手を出した男性は好色で自分勝手、見守るヒロインはそれに耐えるだけの かわいそう な、あるいは惨めな存在になってしまうでしょう。 これでは主人公は 読者 や視聴者に嫌われてしまいますし、ヒロインも見ていていたたまれない状態です。 これはスカートめくりや入浴中の風呂場を覗くといった行為に対する場合も同様でしょう。 そこで非現実的な暴力描写を加えることで、男性の行為を無毒化・無効化しつつ、女性側の受けた被害を鉄拳制裁の終了によって軽減・相殺し、「どっちもどっち」「加害者も被害者もいない」「これでこの件は終わり」「ちゃんちゃん」 にしてしまうのですね。
とりわけ昭和から平成にかけての作品では、それ以前に多かったバンカラで女性に興味がなく 無口・寡黙 で男っぽい熱血的な漢キャラから、決めるところは決めつつも、日ごろはやや軽薄で軟派な感じの優男キャラが主人公に増えてきましたから、そうした主人公の 「女癖の悪さ」(セクハラや性暴力に相当するような行為) を消毒・中和するには、ヒロインの過剰な暴力表現が制裁として必要だったのでしょう。
逆に女性キャラのツッコミにも、ある意味で過剰な表現が行われやすい社会的な空気や 雰囲気 がありました。 激しいボケとツッコミが入る漫才ブームやお笑いブームがありましたし、「おおらかな時代だった」 と云ってしまえばそれまでですが、体罰だの何だの、それなりに暴力が日常にあった時代でもありました。 さらに マンガ にせよ アニメ にせよ、様々な コンテンツ がある程度純粋な子供向けのものだった時代の 「わかりやすさ」 だったのかなという気はします。
こうした表現はその後もある種の 「創作物ならではの過剰表現」 として受け継がれますが、時代を経るごとに減りつつあります。 これは 商業 の作品における 「子供への悪影響論」 などもあるのでしょうが、社会が成熟し、暴力を、例え創作物やお笑いの中であっても忌避するような意識が高まるにつれ、「やりにくくなった」「創作物ならではの お約束 が通じにくくなった」 部分はあるのでしょう。
「お尻ぺんぺん」 で許してくれる、「お母さん」 のような存在
一方で、男性からすると、暴力を振るわれるのは困る一方、どんな悪さをしても 「お尻ぺんぺん」 的なお仕置きで許してくれるヒロインは、お母さん・ママ のような安心感があります。 とりわけ浮気だのセクハラだのといった言い訳のできない不義理・卑劣な部分を罪悪感を覚えなくて済むような形で許してくれるヒロインは、その是非はともかくある意味で理想的、あるいは好都合な存在かも知れません。
このあたりは世代によっても感じ方は違うのでしょうが、例えば学校での体罰についても、何か悪さをした時にあれこれと親身になって、あるいは教育的な目的でしつこく理由を尋ねてきたり反省文を書かせたり親に連絡を入れるといった先生よりも、げんこつ一発・尻バット一回で 「これで終わり」 にしてくれる先生の方が、当時としてもはなはだ 昭和テイスト すぎるとはいえ、なんだかんだいって熱血的で人情味のあるさっぱりした先生だと好意的に思われることもあったでしょう。 善悪や理屈を超えた時代性もあるので、昔の作品やその影響下にある作品にどうこういっても仕方がない部分もあります。