もし○○だったら…? 想像力膨らむ 「if」
「if」(イフ) とは、英語で 「もし○○だったら」 との仮定をあらわす接続詞の一つです。
「歴史に if はない」 といった言い方がありますが、歴史を語る際に仮定やもしもを語っても無意味だ、論者の 「こうだったらいいな」 を恣意的な 設定 で語るだけのものだといった意味で使われたりします (後述します)。 学問としての歴史に if や たられば を求めても条件次第で結論はどうにでもなりますし、それで歴史が変わるわけでもなく、確かにあまり意味があるとも思えません。 しかし仮定を仮説として事実の探求に別方向から光を当てたり、ロマン あふれる創作物として可能性をあれこれと 妄想 するのは、とても楽しいものでしょう。
小説や マンガ や アニメ、ゲーム などでは、妄想や思考実験的な知的好奇心を掻き立てる エンタメ の ジャンル として様々なものが作られ、人気を得ています。 歴史に if を求めるものは 「if もの」 あるいは 「歴史if」、if によって歴史が変わるような物語は 「改変もの」「歴史改変」 などと呼びます。 if に何らかの条件が設定され、それによって歴史本来の姿とは異なる世界となった状態は パラレル とか 別軸、そうした世界を 世界線 や 分史世界 と呼ぶこともあります。
「if子供」 など、仮定を設定に活かした作品も
一方 同人 の世界では、これら既存コンテンツと同じ傾向の オリジナル な作品が描かれる他、「もしも○○だったら」 を設定として既存コンテンツに当てはめた 二次創作 なども盛んに描かれています。
そもそもオリジナルの作品で描かれていない部分をあれこれ妄想して描くのが二次創作の醍醐味のひとつでもあるので、歴史ものに限らず、if の成分はあらゆる二次創作作品に含まれているといって良いでしょう。 ただし 「描かれていない部分を補完する」 のと、「描かれている部分を無視したり改変する」 のとでは、同じ if 要素であっても、実際は扱いがだいぶ異なります。
また作品の描かれ方や構成も、緻密に考証や仮説を積み重ねて説得力にあふれた重厚な if を構築することもあれば、マンガ 「ドラえもん」 のひみつ道具 「もしもボックス」 とかバラエティ番組 「ドリフの大爆笑」 の 「もしもこんな○○があったらシリーズ」 のように、軽いタッチであえて雑に シチュエーション を設けて笑いや風刺をわかりやすく提示する作品もあります。 ただしあまりに設定の改変や原作設定の無意識・意図的な誤読による展開をし過ぎると、「解釈違い」「キャラ崩壊」 などと呼ばれて敬遠されることもあります。
同人用語 として if の条件を接頭したり接尾したりして、具体的な内容をあらわす使い方もあります。 例えば歴史上、あるいは作中で死んでしまった人物や キャラクター がもしも生きていたらの if なら 「生存if」、違う世界や時代に転生したら 「転生if」、敵味方に分かれて激しく争った人物同士がもし仲良しだったら 「仲良しif」、キャラにもし子供がいたら…という形の創作なら 「if子供」 になったりします (単なる 幼児化 の場合もあります)。
なぜ if を語ることに意味がないのか
知的なエンタメとしては面白い if ですが、歴史で仮定を語る際には枕詞・お約束 のように 「歴史に if はありませんが」 がつけられるものです。 このフレーズが使いやすさから独り歩きしている部分もありますが、「これから無駄な話をします」「単なる妄想です」「だから間違いもあります」 という大前提を誰かに 突っ込まれる 前に宣言する必要があるから多用されるのでしょう。
なぜ歴史において if が意味をなさないのかについては、当たり前の話ですが 「そんなもの、if の条件設定次第でどうにでもなってしまう」 からです。 歴史上の何らかの事件には必ず原因や条件があり、その原因や条件が生じるためにはまた別の原因や条件があります。 原因の原因の原因、条件の条件の条件とどんどん時間をさかのぼってしまい (因子の無限後退)、キリがありません。 それではと、適当なところで適当な原因や条件を恣意的に付け加えたり除去したり過大評価・過小評価すれば、それは 「こうなって欲しい」 という論者の願望や結論が先にあって、それを実現するためだけの後付けの原因や条件になってしまいます。
そうなるとそれはもう 「何でもあり」 の話となってしまい、学術的な論としては全く意味のないものになってしまうでしょう。 判官びいきもあり、歴史上で負けた側、失敗したり頓挫した側の逆転を考えるケースが if では多いのでしょうが、そうした if 論を揶揄する言葉に 「未練学派」 があります。 よく言ったものです。
「本能寺の変」 もしなかりせば
例えば織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変。 もし本能寺の変がなければ、あるいは起こったけれど信長が逃げおおせて生き延びていたらなどは、歴史 if の代表的な テーマ です。 根拠の薄い陰謀説や黒幕説なども総動員した if 論が、それこそ星の数ほどあります。
しかし光秀が信長を討とうとしないためには、信長が光秀の本心を注意深く推し量ったり、恨まれたり叛意を抱かれないように歓心をかったり留意したり、逆に謀叛を行えるような有能な人材を遠ざけて周囲をイエスマンで固める必要があるでしょう。 もし信長がそのように家臣のご機嫌取りをするような穏やかな性格や猜疑心の塊で有能な人材を次々に粛清する人物だったら、果たして本能寺の変が起こった 1582年6月21日まで、弱肉強食・下剋上 の気風が吹き荒れる戦国乱世を生き延びて、全国制覇寸前まで行けたのかという話になってしまいます。
また信長が逃げ延びたとすると、光秀はこれほどの兵力差があり奇襲までしたのにうまうまと最大のターゲットを取り逃がす無能だということになり、そもそも信長に重用されて京都近辺で大軍勢を動かせる地位にはつけなかったかも知れません。 恣意的な if にはいくらでも恣意的な反論ができてしまい、論が無意味になってしまいます。 ただしもちろん、意味があるかどうかと面白いかどうかとは別の話です。 そこに面白さやロマンがあるからこそ、if を扱った作品がこれほど多く創られ、また人々から 愛される のでしょう。
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