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陰謀論

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証拠がないのが何よりの証拠!… 「陰謀論」

 「陰謀論」 とは、ある目的を実現するために隠れて計画・実行される秘密裡の政治的行動を、外部から看破し論じることです。

 ただし一般的には、過去現在通して実在する様々な 「陰謀」「謀略」 を調査に基づく客観的事実や極めて高い蓋然性によって学術的に論じる仮説・推論を指すものではなく、単なる偶然に意味を求めたり病的な思い込み、決めつけ、嘘やデマ、後付けなどによってありもしないデタラメを 「陰謀だ」 と論じることを批判的に指す言葉でしょう。 こうした主張をする人は 「陰謀論者」 と呼び、認知機能に問題がある人物や嘘つき、デマ師、トンデモ屋、あるいは デンパ基地外 などともほぼ同じ意味となります。

 陰謀論の構造はとてもシンプルです。 特定の個人や政治団体、国や大企業、宗教、メディアなどが陰で暗躍し、自らの支配や金銭的利益・世界征服などのために計画を練って組織的にそれを実行しているというものです。 そうした個人や団体などは、影の首領 (ドン) とかフィクサー、闇の勢力、秘密結社、影の政府 (ディープ・スロート) あるいはそれぞれの固有名詞やそれをアレンジしたような呼び方をします。

 陰謀論者はこうした影の存在を悪と規定し、倒すべき敵だと主張します。 そしてそれら影の存在と戦う 正義 の存在を明示的あるいは黙示的に挙げて、一緒に戦おうとそそのかします。

その主な目的は、

  1. ・陰謀の中心だとされる人物や団体・勢力の打倒、
     あるいはそれに対抗する人物や団体・勢力への賛美や賛同 (デマによる政治的目的の達成)
  2. ・それを看破し対抗するために必要だと称する情報や道具の販売で得られる金銭的利益 (金儲け)
  3. ・精神的な障害などによって引き起こされる強迫観念や正義感の充足 (不安の解消・自己満足)
です。

 最初に陰謀論を唱えた (創った) 提唱者、それを信じて自らも広めようとする人もともに陰謀論者となりますが、提唱者が何らかの勉強会やセミナーを立ち上げて論の流布がされることから、中心となる人物を 代表主催者、それ以外を支持者や信奉者、信者 や会員といった形で分けることもあります。

 陰謀論自体は新しいものが次々に創られますが、骨格や構造部分はさほどバリエーションがありません。 反ユダヤ主義など古くから使われていたもののアレンジや再利用であり、おおむね宗教の争いや民族紛争、差別、経済格差などに根差した扇動から転じたものがその中心です。 そこに時代やターゲットに合わせて人々の不安に乗じたり、多くの人から反感を受けがちな団体や人物、道具類を攻撃対象として少し加えて屁理屈や曲解で塗り固めます。

複雑な社会が理解できず、物事を白黒と決めつけ単純化

 陰謀論者が陰謀だと指摘する事柄や手法は多岐にわたります。 政治家がスキャンダルを隠蔽するために他の政治家や芸能人などのスキャンダルを流すとか、戦争したい国が自国や敵国で 工作員 を用いて扇動や破壊活動を行って世論の誘導を試みる、世界を裏で操る国際陰謀組織が人々を洗脳するために様々なシンボルやシグナル、ハンドサインなどを サブリミナル的 に発信しているなどといった、「情報操作」 がその代表でしょう。 この情報操作という 概念 は陰謀論を語るうえで極めて重要で、ほとんど核心とも云える部分です。 そもそも陰謀論には実体などないのですから、情報こそがその本体や本質だということになります。

 またその核心部分たる情報の土台となるのは、「世界にはあるべき姿や到達すべきゴールがあり、確固たる構造や秩序、一体性も持っている (あるいは持っているべきだ)」 というあまりに単純化された幼稚で素朴な 世界観、あるいはそうした思い込みや信念でしょう。 陰謀論に囚われる人はしばしば宗教だとか特定の主義・思想に深く傾倒し、または強く依存してしまう傾向がありますが、それは陰謀論とそれらに強い類似性があるからに他なりません。

 偶然や無秩序、複雑、混沌 (カオス) な世界が理解できず、あるいは恐れるがあまり、「全ての物事には必ず意味や意図や関係がある」 と感じ、そこから逸脱したものは見えないし信じません。 そしてそれらを秩序立てている何かがあると思い込めば、それが神様だろうが悪魔だろうが、ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ・ロックフェラー・ロスチャイルド・宇宙人・電通だろうが、何でもよいのですね。

 宗教は、そこで教えられているものを守って広めれば世界は良くなるし自分も幸せになれると感じられますし、陰謀論も、そこで唱えられているものを打倒すれば世界は良くなるし自分も幸せになれると唱えます。 同じコインの表と裏であり、それは政治問題におけるウヨク・サヨクもそうですし、一方から見た正義と悪、味方と敵も同じです。 両極端に振り切れた先端部分は一見真逆に見えても、本質的には同じものでしょう。

 実際の世界は両極端の間に複雑すぎるあれこれが グラデーション で詰まっているわけですが、こうした複雑さから逃げて自分の頭で考えることをやめた時に、「隠された真実」 とやらを啓示として力強く断言してくれる陰謀論や神様がリアリティあるものに見えてくるものなのでしょう。 陰謀論者が 「自分の頭で考えろ」「常識を疑え」 とお題目のように唱えるのは、陰謀論の発案者が自分の支持者の常識を捨てさせるために唱えると同時に、それを信じた人が自ら考えることを放棄したことへの、無意識化での最後の抵抗なのかもしれません。 何しろ世界の謎にしろ地球規模の問題にしろ、最終究極の存在を設定すればそれで終わりなのですから、これほど楽なことはありません。

 もっともこうした見方もこれはこれで、宗教とか陰謀論という存在を彼ら同様の幼稚な手法で単純化しただけにもなりかねないので厄介です。 「深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」 とか 「狂人の真似とて大路を走らば」 というやつです。 人は自分が好きではないものを単純な取るに足らない存在だと思い込みたがる習性があります。 宗教や陰謀論はそれほど単純でもないし、それを信じる人の心の内も大半は人生相談でよく見るありがちなものだとしても、一方で複雑で深刻なものも存在します。

 一部には陰謀論や似非科学憎しが高じて否定したいがあまり、度を越した誹謗中傷や デバンキング に陥って逆方向の陰謀論者みたいになっている人もいます。 陰謀論を否定すると、その陰謀論で批判されている団体や人物を擁護したりそちらの陣営にいる人のようにも見えてしまいますし、相手もそのように見えるよう誘導しながら反論してくるでしょう。 それが世間から広く嫌われている団体や人物の場合は 逆張り 扱いされて、自らが批判の矢面に立たされ窮地に陥ることもあります。 あげく陰謀論を否定する証拠とやらに安易に飛びつき、それが同じ陰謀論の敵対派閥から流された偽情報だった場合、一気に信頼を失って自爆したり、そのまま反対側の陰謀論に取り込まれることになったりもします。

なぜ陰謀論は雑でツッコミどころ満載の話ばかりなのか

 巷に流れる陰謀論の類があまりに嘘が見え見えの で適当すぎるもので驚くことがあります。 義務教育 レベル の間違いがたくさんあったり、証拠とされる文書や写真があからさまな作り物や合成だったりと ツッコミどころ満載 で、同じ嘘をつくにしてももう少し手間やコストをかけてそれっぽく偽装すればよいのにとか、こんなので 騙される やつが本当にいるのかと思う人も多いでしょう。 しかしこれは詐欺師などが良く使う手口で、わざとバレバレで幼稚な話にすることで、「それでも騙されるバカ」 を効率的にふるいにかけるために行うものです。

 詐欺師や陰謀論者は騙すための コスパ が悪い頭の良い人など最初から眼中にありません。 何でもホイホイと信じるバカだけを集めたいのですから、これは極めて合理的なやり方だと云えるでしょう。 地球が平面だとか宇宙人の密約だとか見え見えの合成写真を信じるような知性の持ち主なら、他のどんな嘘にも喜んで飛びついてお金を払ってくれるだろうからです。 これは一部のカルト宗教やネットワークビジネス、自己啓発系のセミナー、オカルト・スピリチュアル系、自然派、歴史修正主義者、スパムメール業者などでもノウハウとして 共有 される 鉄板 のやり口です。

 こうした雑な嘘は作るのも流布させるのも容易です (一方で検証するのは面倒くさいしあまり話題にもならない)。 根拠を示す必要がないので断言も簡単にできます (学者など良心的な人ほど断言ができない ≒ あやふやに見えがちです)。 矢継ぎ早に次から次へと人や社会の処理能力を超えるほどの嘘を出して感覚の麻痺を起こし、頭の良い人たちには 「またか」「もう飽きた」 との興味関心の喪失による問題提起の予防を行い、頭の悪い人には自分の頭で物事を考える面倒くささで気力を奪い 「誰かに真実を教えてもらいたい (でもできれば自分で考えて選び取ったみたいな感覚だけは欲しい)」「それによって自分も 覚醒 したい」「救われたい」 と思わせる効果もあります。

 ツッコミどころ満載と云えば、インチキくさい予言も陰謀論の重要な構成要素の一つです。 それも 「このままでは〇年〇月に大災害が起こる」「5年以内に人が大勢死ぬ」「人類が半分になる」 みたいな、比較的近い日時を明確な期限として切った断言口調で行う予言です。 陰謀論に染まりやすいくせに自分は理知的だと思っている人は 「期限を切った以上、嘘か本当かその時に判断できる」 と考え、「その時が来るまでは信じてみてもいいかも」「嘘だとわかったらその時やめればいいし」 などと安易に考えがちです。 あるいは 「ここまで明瞭に期限を区切ったからにはよほどの根拠や自信があるのだろう」 と判断する 残念 な人もいます。 これが50年後とか100年後とかではなく2年後とか5年後とかせいぜい10年後みたいな短さで期限を切る理由です。

 もちろんそんな予言が的中することはありませんが、彼らはその時が来て予言が外れたことが明白になっても、別に反省もしなければ間違ったと認めることもありません。 予言の前提に 「このままでは」 などとつけているので、これまでの自分たちの活動によって、あるいは目の前にいる皆さんの協力のおかげで、今回は最悪の事態を招かずに済みましたなどと白々しく言い逃れをするだけです。 もしかしたら運よく、それっぽい災害が偶然起こるかもしれません。 後は 「でも今のままでは今度は〇年後が危ない」 と、日付を先送りした同じような予言を何度でも繰り返すだけでしょう。

 まともな人は根拠の示されない予言など最初から全く相手にしませんが、陰謀論を信じるような人は判断能力がなくて予言が外れた段階でも誤りだと判断ができないか、あるいはそんな嘘を信じた自分の愚かさを認めたくなくて、相手の見え透いた 詭弁 に無意識に乗ろうとすらするでしょう。 バレバレの嘘で集まったような人たちなのですから、もはやどんなデタラメでも何でもありです。

では本当に 「陰謀」 はないのか

 前述した説明と矛盾するようですが、世の中に陰謀や謀略なるものはもちろん実在し、歴史上に数えきれないほど実例があり、また恐らくは現在進行形でいくつも行われているでしょう。 さすがに世界征服をたくらむ悪の秘密結社はないのでしょうが、国家の意思としての陰謀の実例は枚挙にいとまがありませんし、何らかの団体や企業が国家戦略に影響を及ぼし、それが戦争に発展したといった事例もたくさんあります。 民間企業同士、あるいは個人間でも、騙し騙されの陰謀や密約が無数に存在するでしょう。

 しかし 「陰謀論者」 が 「頭のおかしい人」「無能 な愚か者」 と思われがちなため、自らの陰謀を隠したい側はこれを便利なレッテルとして利用しますし、情報攪乱のための偽情報なども流布するでしょう。 それによってジャーナリストといった陰謀を暴く側はいつも孤独で困難な闘いを強いられてしまいます。

 陰謀や謀略は隠れて行うものなので、「証拠がないのが証拠」 という状況に陥りがちです。 しかし証拠がなければ思い込みだけで物事を読み解くこととなり、それでは事実にたどり着くことはできません。 だからこそジャーナリストらの使命感を持った調査報道に極めて高い価値があるのであり、何も調べず、思いつきや思い込みで世の中を自分にとってわかりやすく説明しただけの陰謀論が忌避され侮蔑の対象となるのは当たり前です。 愚かな陰謀論者が本当に行われている陰謀や謀略を隠蔽するための 「道具」 にされてしまうのですね。 陰謀論に染まりやすい人間を相手に金儲けをする人も少なくなく、これはほとんど公共の敵 (パブリックエネミー)、社会悪と云っても良い存在でしょう。

 なおジャーナリズムの世界には 飛ばし記事 (事実の裏付けのない、あやふやで信憑性の乏しい記事、観測記事) があります。 これは本来はご法度であり、責められてしかるべき誤ったジャーナリズムです。 しかし政治家や大企業などが行う犯罪行為の隠蔽に対し、最後の最後の確証までは取れないけれど、勇み足で報道に踏み切り、それによって陰謀や隠蔽を暴く結果となったケースもたくさんあります。 これは学会で常識とされる学説に真っ向から異を唱える学者や歴史家などが発表する、その時点では手順に誤りがあったり根拠が弱い新学説なども同様でしょう。

 もちろん大前提として社会正義や真実の探求が目的であっても 「結果的に正しかった」 は、報道や学問の世界では本来あってはならないことです。 それは 「独善的・恣意的な目的」 や 「誤報」「冤罪」「デマの流布」 と紙一重・表裏一体だからです。 とはいえ、長年の記者や学者としての知見や直感と良心を基に批判を覚悟の報道や発表によって暴かれた闇や救われた人もある中、建前は建前として必要悪だと考える人も多いでしょう。 個人的にはそれでも 「証拠がないなら報じるべきではない」 と思いますが、行為は批判してもその記者や学者の人間性まで否定する気にはなれません。 こうした感情も陰謀論に利用されているといえば、もちろんそうなのですが。

これって陰謀論? 分かりやすい陰謀論の特徴

 陰謀論には古今東西様々なものがありますが、多くのものに共通するわかりやすい特徴がいくつかあります。 単純な事実誤認とか意図的な曲解、切り取りチェリーピッキング) といったものの他、

  1. ・何でも情報操作
  2. ・選民思想による情報の遮断
  3. ・量や確率の軽視や無視
  4. ・極端な単純化
  5. ・原因と結果の転倒
  6. ・運や偶然の排除
があります。 これらは全ての陰謀論に大なり小なり必ず含まれるもので、この要素に 「絶対に誤りを認めない」(謝ったら死ぬ病) を加えれば、その構造だけで個別の内容をいちいち精査せずとも、かなりの確度で陰謀論だと警戒できるくらいのものです。

「何でも情報操作」 と 「選民思想による情報の遮断」

 陰謀論にとって 「情報操作」 は、陰謀論に根拠や証拠がないことを正当化したり、反する根拠や証拠を無効化することができる魔法の言葉です。 陰謀は隠れて行うからこそ陰謀なので、「証拠がないことが証拠」 と強弁出来てしまいますし、反証が出ても 「それは陰謀を隠すための偽情報だ」 と何でも反論できてしまいます。

 さらに陰謀論を信じる人にとっては、「政府やメディアが流す偽情報や印象操作に騙される愚かな一般大衆」 を自分の外部に設置して 「自分はそんなものには惑わされない聡明な人間なのだ」 とのプライドをくすぐる強烈な選民意識による自己肯定感を与えてくれます。 また自分が世界を揺るがす大陰謀に立ち向かっているのだという高揚感もあります。

 これは知的能力に問題があるなどで強いコンプレックスを持つ人にとっては、とても甘美なものでしょう。 世の中で (自分では得られない) 尊敬を得ているような学者より、自分の方が知的に上なのだと思えるのはとても魅力的だし快感です。 またこれは、陰謀論を流布してお金儲けをしようとしている人にとっても都合の良いロジックです。 陰謀論でも宗教でもマルチ商法でも、ターゲットを社会から切り離し、自分たちにとって都合の良い情報だけを繰り返し刷り込むことが洗脳・マインドコントロールの第一歩だからです。 ターゲットを 「目覚めた人」「賢者」「私たちの仲間」 と称賛し、周囲を 「愚かな人」「関わっても無駄な人たち」 と規定すれば、あとは選ばれた人たちの間でひたすら肯定し合い (エコーチェンバー)、どんな無理筋な話でも何でもありにできてしまうでしょう。

 この選民意識による自己肯定感や 承認欲求 によって得られる快感はそれはもう強烈なもので、ほとんど知性の有無などとも無関係に人を蝕むものです。 それは社会的に成功した学者といった十分に知性的で常識的な判断力を持つ人ですら、自らが信奉しているはずの学術的な倫理やルールや作法を忘れたり捨てさせてのめり込ませてしまうほどの魔力を持っています。

 また情報の扱いの部分では、恣意的な言葉の選び方もあります。 例えば水と CO2 は同じものですが、後者の方が何やら科学的な感じがします。 塩水と塩化ナトリウム水溶液とか、食物繊維とセルロースとか、恣意的・意図的に言葉を使い分けることで、異なった印象を与えることができます。 保存料として食品に添加される 「酸化防止剤」 とか 「L-アスコルビン酸」 などと聞くと、何やらケミカルで 摂取 すると体に悪いもののように聞こえる人もいますが、実際はただのビタミンCだったりします。 ほぼ同じ酸化防止用途でトコフェロール (ビタミンE) もあります。 いずれも人体必須で健康に資するビタミンであり、過剰摂取しても適切に排泄されるため何の問題もありません。 陰謀論には実体はなく情報そのものが本体なのですから、それを飾り立てるためのイメージ操作には余念がありません。

「量や確率の軽視や無視」

 量や確率を軽視したり無視するような態度も、陰謀論の大きな特徴のひとつです。 例えば 「○○を短時間に大量に摂取すると死ぬことがある」 という意見を 「○○を摂取すると死ぬ」 と言い換えるなどです。 人体が摂取するものに毒性のあるものは少なくありませんが、重要なのは 「どのくらい食べたら危険なのか」「被害が生じるのはどのくらいの確率か」 という量や確率の部分です。 陰謀論者は 「仮に量や確率なのだとしても、体に悪いならゼロの方がいいじゃないか」 という反論をしがちですが、世の中にはほんの僅かならば健康に影響がない、むしろ体に良いもの、必須なものなどたくさんあります。 例えば水は、一定量は取らないと人間は生きていけない必須のものですが、短時間に大量に摂取すると血液中の塩分濃度が急激に低下して水中毒になり、命にも関わる毒になります。

 「〇〇という食品添加物は発ガン性がある」 と云われても、どのくらいの量なら体に有意な悪影響が生じるのか分からなければ論じる事などできません。 またその量が判明したとして、人間が 一生 かけて食べ続けてもその量に達しないのなら、別に食べたところで問題はないでしょう。 ましてその量に達しても影響が出るのがわずかな確率なら、ますます無視してよいものになります。 「でも少しでもその疑いがあるならゼロの方が良いよね」 といわれても、自然界に一定量存在して避けられないものがほとんどですから、そもそもゼロになどできませんし、その意味もありません。 また量を無視すれば発ガン性や害のない物質の方が少ないくらいでしょう。 不可能を求めても無意味であり、不可能や無意味なものを求めるようそそのかす論にも意味などないでしょう。

 この量や確率の軽視や無視は、身近なものでは食品 (農薬や添加物) における陰謀論で普遍的に見られるものですが、医療や保健衛生の分野 (製薬とか抗ガン剤とかワクチンとかホメオパシーとか) でも骨格部分をなすもので、一見すると科学的に見えてしまう点が厄介です (疑似科学)。 誠実な科学者はほんの僅かでもその可能性が残る限りは、陰謀論者のように無責任な断言はできず、「ほとんど影響ない」「直ちに影響はない」 と答えることしかできません。 頭の悪い人はこれをごまかしだと判断し、根拠のない断言をありがたるものなのでしょう。 医療分野のデマや陰謀論は人命に係わる ジャンル でもあり、その罪深さは戦争や虐殺の扇動などと並び、他の陰謀論の比ではありません。

 これらはビジネスとも 直結 し、陰謀論の提唱者やその信奉者だけでなく、陰謀論など全く信じていない人ですら金儲けのために関わってくるケースが少なくなく (例えば アフィリエイト とか ステマ などで、多額の利益を得られたりします)、拡散力 が極めて強い点も大きな問題でしょう。 似たようなものには電磁波とか放射能・原発関係もありますが、陰謀論や疑似科学とセットになった怪しげな民間療法がたくさんあり、とくにワクチンや放射能・原発関係は強い 党派性 のもと、それらに反対している政治勢力とも結託し、様々な 害悪 を垂れ流す結果となっています。 本当に酷い話だと思ってしまいます。

「極端な単純化」

 前述した 「量や確率の軽視や無視」 とも関連しますが、量とか複雑な前提条件を全てすっ飛ばして、0か100か、白か黒かのような単純な二項対立にしてしまうのも陰謀論の特徴のひとつです。 そして単純化した上に根拠を示す必要もないため、物事を簡単に決めつけて断言することもできます。 陰謀論に染まる人は複雑で 白黒 つけづらいもの、機序や因果が何段階もあるような長い話、運や偶然が支配する不確定な話は苦手ですから、自信たっぷりに単純化された話を断言する人に知性を感じてしまうものです。

 科学者や研究者などは、そう簡単に断言などしません。 対象が何であれ物事には複雑な背景や条件があり、その全てを調べ尽くすことは困難だし、それが困難な以上、誠実な学者であればあるほどそう簡単に断言などできません。 とくに無を証明するのはほとんどの場合で極めて困難か不可能です (そもそも本来はあると主張する方が証明すべきです)。 学者ができるのは、よほど自明の話でない限り、統計学的に意味のある調査や実験の結果に基づいたもっとも可能性の高い仮説や推論、結論の提示までです。 陰謀論や宗教と違って 「わかりません」 だって許されます。

 陰謀論者は前提条件がおかしな自分に有利な質問を 「イエスかノーで答えてください」 などと詰問し、相手が質問の前提条件の確認を求めたり質問自体の不備を指摘すると 「話をすり替えた」「イエスかノーかって言ったの聞こえませんでしたか?」 などと反論して相手が回答に窮して詭弁を使った不誠実な人間かのように見せかけます。 それでその場で 勝利宣言 をしたところで、詭弁による口喧嘩を 勝利 っぽく見せているだけの話であり、事実の探求とか陰謀の実在を証明することとはほとんど何の関係もない話です。 陰謀論者のいう 「学者は誰も反論できず黙ってしまった」 は、都合の悪い反論を見て見ぬふりをしているだけか、反論する価値もない話だったというだけです。

「原因と結果の転倒」

 例えば大きな地震が起こるとゼネコンや土木・建設関係企業の株価が上がります。 これは震災被害が生じれば復興のための 需要 が生じて仕事が増えるだろうと誰でも簡単に予想できるからです。 しかし 「やつらが金儲けをしたいから人工的に地震を起こしたのだ」「その証拠に株価も上がっている」 と原因と結果を逆にしたら、あっという間に陰謀論の出来上がりです。 さらに 「人工地震を起こすよう、ゼネコンから政治家へ多額の政治資金も流れているに違いない」「調べたらやっぱりあった」 と 妄想 や思い込みまで膨らませれば完璧でしょう。 大企業はだいたいどこでも政治献金を行っているし、こじつけることも難しくないからです。

 このような雑な論に騙されるような人はほとんどいないと思いますが (とはいえ人工地震を起こすアメリカ軍施設 HAARP みたいな陰謀論はかなりポピュラーなのが怖いですが)、これがもうちょっと複雑だったり一般人には縁遠い専門性の高いジャンルの話 (例えば医療とか環境問題とか先端技術とか政治・経済・軍事 とか) となると、途端に騙される人も増えてしまうでしょう。

 大震災 (例えば東日本大震災 (2011年) とか疫病 (新型コロナ感染症 (2020年) などによる社会不安が広がると、洪水のようにあふれる情報によって時系列も混乱し、不安を掻き立てられて原因と結果とが入れ替わった話をする人が大勢でるのを見ることができます。 ネット のある時代、単に目立ちたいとの理由で面白がってする話も多いのでしょうが、大災害で何の罪もない大勢の人間の命が理不尽に奪われた時、人はそこにありもしない理由や意味を見いだし心の平穏や救いを求めてしまう部分もあるのでしょう。

「運や偶然の排除」

 陰謀論者は運とか偶然といった不確定なものを嫌います。 全ての事象に 「誰かの意思」「思惑」 を病的に求め、初歩的な推理小説で云う 「誰が得をするかで犯人を捜す」 ような行為に走りがちです。 先ほどの地震を例にすれば、地震がいつ起こるかなどは自然現象であり、ある程度科学的なメカニズムの解明や予測はできても、最終的には運や偶然が支配するものです。 しかしそこに 「隠された意思や思惑」「誰が得をするのか」 を求めると、藪にらみの犯人捜しが始まってしまいます。

 こうした 「何らかの意思や思惑」 を常に意識し怯えるのは、強迫観念や妄想を持つ人に強く表れるもので、ある種の精神性疾患や障害などとも親和性の高い状態です。 「常に監視されている」「集団ストーカーされている」「思考が盗聴されている」「誰かに操作されている」 などが代表的ですが、突然雨が降ってきた、2日連続で電車が遅れた、見慣れない花が咲いていたなどの単なる偶然にいちいち意味や誰かの意思を感じ、それが広がって世界全体が陰謀で満ち満ちているように感じられたりします。

 強迫観念とか被害妄想などは誰でも多かれ少なかれ持っているものではありますが、それが頻繁に現れたり一日中頭から離れないような状態となったら、然るべき専門の医療機関に相談するべきでしょう。 まさかとは思いますが というやつです。 またこうした考えに囚われる心が耗弱した人間に陰謀論を刷り込んで金儲けするなどは、卑劣な行為そのものでしょう。

「絶対に誤りを認めない」

 そして最後が徹底した無誤謬性です。 誤りを指摘されても詭弁を弄して決して間違いを認めず、常に自分たちが正しいのだと強弁し続け、それができない場合は無言を貫く。 当たり前の話ですが、自らの間違いを認められない人や思想に、社会の間違いを正して良くすることは決してできないし、そもそも本人もそれを目的として活動などしていない証拠そのものでしょう。

 とくに科学者や研究者といった学者は、極論すれば客観的データや事実によって自分の論や意見を常に変え続けるのが本分みたいな仕事です。 例え自分の考えと違っても、データや根拠があればそれに従う。 それが出来ずに自分の考えが先にあって反する事実を捻じ曲げたり無視する、自分の利益になる ポジショントーク ばかりをするようになったら、仮にどこかの大学や研究機関の教授や研究員でも博士号持ちでも、それはもう学者ではないでしょう。

以前なら鼻で笑っていた陰謀論が気になってきたら…

 陰謀論は娯楽として楽しいものでもあり、創作物の中で扱われる分には謎解きの知的興奮が得られる エンタメ の要素も持っています。 また実際に存在する国や大企業の陰謀や謀略を暴くジャーナリストや学者、歴史家などが、その手法はともかく人として尊重されるべきだというのは、先に述べた通りです。

 しかしネット、とくに SNS の普及で陰謀論は身近な存在となっています。 社会情勢が混沌とする中、様々な陰謀論が流れてきますが、 「よくわからないものをむやみに信じない」「仮に信じたとしても安易に人に奨めない、ネットで 拡散 しない」 は、最低限身に着けるべき リテラシー でしょう。 また陰謀論に心が傾いたと自覚したら、自らの心身の健康に気づかったりストレスを受けない生活を送るよう心掛けるなど自衛が大切なのでしょう。 陰謀論は特別な人だけが罹る ではなく、誰でもタイミング次第では取り込まれかねないものです。 それは危険である一方、極めて甘美で魅力的なものだからです。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2006年7月10日/ 項目の再構成です)
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