世界には、あるべき姿や秩序が存在するはず… 「予定調和」
「予定調和」 とは、哲学や芸術、なかでも音楽や文学、物語 の作り方といった分野で用いられる言葉で、本来の意味は文字通り世の中にはあらかじめ定められた調和や秩序が存在すること、様々な要素がその中でお互いに補完し合っている状態のこと、あるいはその姿を目指すべきだとの考え方のことです。
芸術分野、例えばそれが音楽であれば、特定の目的や意図に基づいて整然と構築された楽曲を指します。 作曲家があらかじめ選んだ心地よい和音やリズムによって楽曲全体に統一感や調和を持たせるなどが代表的な考え方です。 文学や物語においても特定の テーマ や メッセージ の訴求を最終的な目的に、それに相応しい要素 (キャラクター や 設定、世界観、出来事や感情の動きなど) を全体の流れにそって展開させることで、破綻なく整合性を持って提示するものとなります。
ある意味ではとても論理的・数学的な世界であり、実際にそうした思考方法を用いて様々な作品論なども生まれています。 音楽にせよ物語にせよ、途中で矛盾したり破綻することがなく、違和感もない状態ですっと進むものは気持ちが良いものです。 その気持ちよさは、人がそう感じられるように 神 が作ったからで、予定調和に優れた作品は神や天の意志に忠実な作品だとの正当性も与えられるものとなります。 逆に云えば、耳に不快な不協和音や矛盾に満ちた物語は悪魔の所業ということになります。
一方で予定調和には批判的な人もいます。 予定調和に基づく作品や考え方は、時として誰でもが思い描く予測可能で無難なパターンや結論をひたすら繰り返すことにもなりかねず、意外性のない面白みのないものに留まる恐れがあります。 またそのパターンを踏襲することで 作者 の自由な発想や創造性を制限する原因と見なされることもあります。 美しいけれどありがちな勧善懲悪など無視して、最後に悪人が笑って終わる物語を作る自由を作者が持ってもいいじゃないかという訳です。 あまりに予定調和的な物語やそのための展開は、批判的に お約束 とか テンプレート、ご都合主義 と呼ばれることもあります。
世の中って矛盾に満ちているし、そう上手くいかないよね感
ある作品におけるキャラは、極論すれば作品を構成するパーツに過ぎません。 しかし人は物語よりもキャラ (登場人物、自分と同じ人間) にしばしば強い 感情移入 をしますし、それまでの物語の進み方から、そのキャラに 「こうあって欲しい」「こうなって欲しい」 とのあるべき姿 (自分が望む未来) を描きます。 物語やテーマに合わせるために、キャラやその他の要素をそれと異なる形にしてしまうと、「作品のテーマやメッセージを伝えるための使い捨ての道具」 により一層見えてしまいますし、最終的に提示されるテーマやメッセージが自分の望むものではない場合は強い拒否感も覚えるでしょう。
また取って付けたような物語の流れやキャラ・事件・伏線 の羅列は、いかにも作り話めいた都合のよいものにも見え、白けてしまうという部分もあります。 自分の望んでいない形で物事が進むと強いストレスや不快感を覚えますが、思った通りに進み過ぎるのも退屈なものです。 予想以上に素晴らしいものが提示されれば良い意味で期待を裏切り、感情的な深みや刺激、強い感動を覚えることができます。
同じ予想に反するものだとして、何が 「期待外れ」 で何が 「期待以上」 なのかは人それぞれですが、意欲ある作者や創作者は受け取り手である 読者 や 視聴者 らの考えを予想し、またある意味で彼らの感受性を信頼して、あえて予定調和を崩すようなアプローチを取ったり、不確実性や カオス さを含むような作品を実験的に生み出して、「ありがちな話」 を超えるものを作ろうとしています。
もちろん当初は革新的なそれも、それが広く受け入れられるとひとつの基準となり予定調和の中に組み込まれていくでしょう。 先駆者はそのジレンマ を抱えながら、それに影響を受けた後の作者や表現者はそれをより深く発展させたり新たな不確実性やカオスを生み出しながら、物語を作る必要があるのでしょう。
どこかにある、人知を超えた 「究極の美」 を求めて
予定調和といった 概念 は、哲学的には 「宇宙の秩序」 や 「神の意志」 などと結びつけられて考えられることがあります。 この世界は決して無秩序なもの (神の不在) ではなく、何らかの秩序によって形作られ、また支配されているといった考え方です。 また 「良いことをしたら良いことが返ってくる」「悪いことをしたらその報いを受ける」 といった考え方や思い込みは、社会心理学の世界で 「公正世界仮説」 と呼びますが、これとも合致する考え方だと云えるでしょう。 因果応報・勧善懲悪ですね。
ただしこの論によれば、何ら悪いことをしていない善人や生まれたばかりの子供が事故で 死ん だり、犯罪者が恵まれた幸せな人生を送ることの説明がつかず、その矛盾を避けるためにさらに大きな物語 (死後に幸せな世界が待っているとか、親の因果とか輪廻とか、全体に対する個の小ささとか、ほとんど宗教的なあれこれ) が必要となり、きりがありません。 とはいえ、これが単なる宗教的な問いならともかく、哲学や数学や物理学の世界とも接続した考え方であり、「神などいないし、人間の勝手な思い込み」 だと言い切れない難しさがあります。 秩序とカオス (混沌)、善と悪、整合と矛盾はそれぞれの概念の 解釈 によっても変わりますし、ある意味で表裏一体のものとも云えます。
なお芸術や創作物の世界においては、もっぱら18世紀から19世紀にかけてドイツなどの理論家や評論家、芸術家、美術史家らによってこうした概念が広まっています。 理想的な美の姿や究極的な真実がどこかに存在し、多くの作者や表現者は意識するにせよ無意識にせよ、自然とそこに向かって自らの創造性や努力を向けているという考え方です。 別の言い方をすると、天才 と呼ばれる音楽家や芸術家の才能は天、すなわち神から授けられたものですし、描かれる作品も神の啓示によって得られ、それを万民に示すものとして扱われます (さらに言を進めると、だから醜い作品や矛盾した作品は神の意志に反する堕落した悪魔の所業であり排除すべきだ、作者も作品も火にかけろになるわけです)。
こちらも宗教的な秩序や思想が影響しており、その後、どこかにある理想的な美や真実の探求ではなく、あるがままの人間の姿をありのままに描こうというロマン主義が台頭することとなります。 こちらも現在は多少の意味の変容はありつつも、同じ ロマン といった言葉で使われています。 とはいえそれ以降も神の意志や究極の美といった直接的な表現を用いないまでも、やれ倫理だのポリコレだのに言葉を変えて 「好ましくない作品の排除」 は現代も叫ばれています。
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