性癖に刺さる作品がない… 「もう自分で描くしかない」
「もう自分で描くしかない」(あるいは書くしかない) とは、何らかの特殊な 趣味 や ジャンル を好きな人が、同人イベント やら ネット やらで好みにあった作品を目を皿のようにして探すものの見つからず、「もう自分で描くしか手に入れる方法がない」 と思いつめたり開き直ってする決断のことです。 自分の好きな作品が何らかの事情で途中で終わってしまい、続きが見たくても見れない…が動機になることもあります。 見れないなら自分で続きを描いてしまえという訳ですね。
オリジナル なら特殊な 性癖 や独特な 世界観、シチュエーション を持つ作品に、二次創作・ファンアート なら マイナー な作品や目立たない キャラ・カップリング でそれが起こりがちです。 しかし今が旬の流行りのジャンル、ド定番 のジャンルでも、細かい好みは人によって違いますから、自分の好きをとことん追及すると、誰でも最終的にはこの境地に至ることになってしまうのでしょう。 カップリングのキャラや方向が同じでも、それをどう表現するかは人それぞれですし。
ずっと読み専だったのに…創作に足を踏み入れるきっかけになったり
もちろん 「自分で描く」(書く) という決断が選択肢として存在する時点で、それなりに絵心なり文字を書く習慣なりを 趣味 として持っている人がこうした決心をすることが多いのでしょう。 しかし 絵 やまとまった量の文章を書いたことがない人、いわゆる 読み専 だった人が、これをきっかけに突然創作の世界に入ることがあります。
こうした人は、子供のころから何となく好きで絵や文章をずっと創って来た人とはまた違った形の強いモチベーションを持ち、基礎的な訓練や積み重ねた技術がないため稚拙で荒削りながらも、作品創りでもっとも大切なもののひとつである自分の好きを前面に押し出した作風となりがちです。 また特殊だったりマイナーだったりと狭い範囲で創作するので目立つこともなく、地味 な存在になりがちでしょう。 コミケ などでは、1 サークル = 1ジャンル、みたいなことになったりもしますし。
作品創りの動機は何であっても良いのですが、「他人から褒められたい」「注目されたい」 よりは、「自分にはこれしかないから」「好きだから」 で描く作品の方が、やっぱり迫力や魂の込め方もおのずと変わってくるでしょう。 その人以外にそのジャンルで活動している人がいないので、そのジャンルを一から作り上げる存在でもあり、手にすると 「こんな狭いジャンルでずっと活動している人がいるのか」 という驚きの後に、「これぞ 同人 のあるべき一つの姿」 と思わず心を揺さぶられるような作品だったりするケースも多いものです。 作品を評価する基準は人それぞれですが、むき出しの 「人の好き」 を見るのはとても楽しいですし、羨ましくも、あるいはちょっと怖くもあります。
またそこまで思いつめて創作に走っているせいか、並々ならぬ継続力があるのも特徴の一つかもしれません。 自分が創作をやめた時点で新しい作品の 供給 が途絶えてそのジャンルは終わりなのですから、自分の 「好き」 を終わらせないためには、描き続けるしかありません。
ネットやイベントで他人の創作物を漁っている人は、それがその人の 地雷 でもない限り、自分の好きを追及する作品に好意的な見方をして温かいメッセージを送ったりすることもあるものですし、地味なので不快な アンチ による攻撃も少なく、そうした周囲の温かさ (ヌクモリティ) から技術的向上のモチベーションが高まるケースもあります。 しばらくぶりに見たら驚くほどの成長をしている場合もあります。 「好きこそ物の上手なれ」 とは云いますが、その体現者のような趣もあります。