誰も正面から否定できない、便利すぎる無敵の論 「理想論」
「理想論」 とは、理想的な状態や目標を規定し、それを目指すための論や主張のことです。 ただしそこに現実の状況や様々な制約、当然生じる問題や トラブル などを無視したり過小評価して実現の可能性を考慮せず、ほとんど絵空事のような空疎な論だとする揶揄の ニュアンス を持って使われることが多いでしょう。 理想論を唱える人は理想論者と呼びます。
理想論のありようは論を立てる人、それを受け取る人の思想信条や立場によって様々です。 しかし ネット を中心に社会や政治のあり方を論じる場合、おおむね人類普遍の価値や真理とされるようなもの、前向きで明るいイメージを持つもの、一方で言葉の 解釈 を受け取る側に委ねてしまうようなあいまいで耳障りの良いものが多いでしょう。 すなわち、「平和」 とか 「自由」、「命の大切さ」「人権」「平等」「多様性」「相互理解」「話し合い」「民主主義」 などです。
いずれも人類社会や個々人にとって大切なものばかりであり、これらが尊重されしっかり守られる社会は文字通りの理想郷といってよいでしょう。 一方でこれらはおおむね民主主義国家における多くの国民から支持されており、「言わずもがな」 の大前提であると同時に、否定することが許されない場合がほとんどです。 誰も否定できない 「当たり前」 の話をするのは、別の言い方をすれば 「何も語っていない」 のと同じです。 既に結論が出ていて議論の余地がないからです。 問題はその後の 「ではそのためにどうするか」 であり、ここで理想の形にこだわるあまりに先に進もうとしない状態が、揶揄される理想論となります。
似た言葉に正論の他、ネガティブ な意味での絵に描いた餅 (画餅)や机上の空論、あるいは お花畑 や 妄想、キレイごと、建前、お題目などがあります。 また近い考え方に完璧主義とか完全主義があります。 一般に対義語は現実論です。
そもそも世の中が矛盾だらけで、理想的な世界は実現不可能な部分も
例えば 「世界から貧困をなくす」「差別をなくす」「戦争をなくす」「犯罪をなくす」 などの主張に正面から反対の声を上げる人はいないでしょう。 それが理想の姿であり、もし実現できたら素晴らしいことだからです。 しかし実際に行おうとすると、様々な困難が待ち構えています。
例えば貧困。 発展途上国や最貧国と呼ばれるような国々や、先進国にあっても経済的困難にあえぐ人たちをどうすれば豊かにして救えるかは、人類にとって永遠の テーマ です。 実現しようとすると様々な困難や矛盾に直面しますが、仮にお金が出てくる打ち出の小槌があってそれらを全て クリア できたとしても、最終的に 「世界中の人々全てが先進国と同じ豊かさを享受したら、環境 や資源的に地球が持たない」(人間がこれまでのように住み続けられる星でなくなる) という根本的な矛盾が生じてしまいます。 それを避けるためには何らかの都合の良い技術を 開発 するか、人口を大きく減らす必要があるかも知れません。 そんな都合の良い技術がいつできるかはわかりませんし、誰だって自分が減らされる側に回りたくはないでしょう。
差別や戦争、犯罪なども、それらが全くない状態が理想ではあるものの、いざ実現しようとすると様々な問題が生じます。 もちろんだからといってそれで諦めては先に進まないので、少しでも減らす方向にちょっとずつ変えていかなければなりません。 しかし理想論者の一部は一足飛びの実現を目指し、現状は現状としていったん受け入れた上で少しでもマシになるよう改善を進めようとする人たちを部分的ではあっても現状を認めるものとして強く非難します。 厳しい現実と向き合ったり苦渋の選択を行う苦難を他人に丸投げし、自らは決まりきった言葉を投げつけるだけで良いのですから、これほど楽なことはありません。
実現不可能な話は、それがどれほど素晴らしく理想的な話であっても実現しない以上、意味がありません。 そして意味のない話をするのは何も語っていないのと同義どころか、害悪 にすらなります。 一方が現実を見て実現可能な範囲で少しでも改善しようと努力しても、理想論者が 「それじゃ現状の追認と大差ない」「やらないのと同じだ」 と否定しては、何一つ前に進まなくなってしまいます。
ましてや誰も反論できない空論を盾にして自分の気に入らない人たちを攻撃する道具にするなどは、理想論を語るべき高潔な人格からはもっとも遠い振る舞いでしょう。 貧困をなくそうと訴えながら自らは豊かな先進国で富裕な生活を送って他者批判ばかりしている人、戦争をなくそう話せばわかり合えると云いながら些細な考えの違いで他人を口汚く罵る攻撃的な人などは、あまりの 言行不一致 や ダブスタ に 「偽善がすぎる」「理想論は建前で他に何らかの目的があるのではないか」 との不信感や疑念を生じさせるものでしょう。
理想論は無意味だけれど、なくてはならないものでも
ただし理想論そのものがまったくの無意味という訳ではありません。 どれほど非現実的な論でも、それを信じるものが大勢いれば現実を動かす力になることもありますし、誰も理想論を語らなくなったら、それはそれで前向きな意見もでてこなくなるでしょう。 現実論が単なる現状追認のための方便に過ぎない場合だってあります。 要するに理想論にせよ現実論にせよ、一方に極端に振り切れてしまうのが問題なのでしょう。 これは 精神論や精神主義 とその対概念である合理主義や物質主義も同様です。
理想論やそれを支持する理想論者は、自らの主張が理想的であるがゆえに妥協には消極的です。 妥協したり一部で譲歩してしまっては、完璧な理想が崩れてしまって、よって立つ土台が失われてしまうからです。 そのため、部分的な改善には否定的であり、理想の形のまま一気に現実を動かせないのなら、現状のままで良いとまで考えがちです。 その行きつく先は、反対論者や現実主義者の意見をないものとして扱うか、それこそ革命なり粛清なりでその意見を人ごと消し去るしかありません。
こうした極端な思想と行為が行きつく先に何が待っているのかは、歴史の本を見ればだいたい同じような話が何度も出てきます。 自分の周りの人々を火で炙るか、自らが炙られるだけです。 歩みは遅くとも一歩一歩先に進むためには、分かりやすくまた耳障りが良いだけの理想論から現実を見るという勇気が必要なのでしょう。 そして現在までのところ、歩みは遅くとも、人類は少しずつよい方向へと進んでいるといって良いでしょう。 歴史を逆転させないための勇気と知恵が求められていると云えます。
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