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性行為の発明/ 性行為の開発

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誰に教わるでもなく、性行為を思いついてしまう…「性行為の発明」

 「性行為の発明」(あるいは 開発) とは、まったく新しい性行為を考えることです。 ただし自分で 「完全オリジナルの新しい性行為を発見したぞ!」 と思っていても、世の中には同じひらめき・似たような発想をする人も当然ながら少なくありません。 よく調べたらとっくの昔からすでに存在している場合が大半ですから、先行例の有無の確認や検証の難しさも含め、容易ではないでしょう。

 したがって、「すでにある、あるいはごくポピュラーな性行為であっても、誰に教わることもなく自分自身で一から発想し思いついたものであれば、それ相応の価値を認めて 「性行為の発明・開発」(再発明・再開発) と呼ぶ場合もあります。 単なる 「車輪の再発明」 であり、内容そのものに意味などありませんが、結果ではなく過程を評価するわけです。

頭の中がエロでいっぱいになる思春期のアレとか…

 個人差はあるのでしょうが、誰でも人生で一度くらいは、日がな一日、エロティック な事ばかり考えてしまう時期があります。 多くの場合それは思春期の頃だったりもするのですが、街行く異性やクラスメイトの仕草にグッときたり、テレビや映画、漫画 などのごく断片的なラブシーンや色っぽいシーン、サービスカット などに興奮を覚え、「この後どうなるんだろう…」 などと性的な 好奇心 を掻き立てられる日々が続いた記憶を持つ人も少なくないでしょう。

 ほとんどの人はその後、例えばエロ漫画だったりアダルトビデオだったり、あるいは学校の上級生やマセた同級生などからセックスを含めた性行為を教わったりしてそうした行為の存在を知り、また詳しく学んで大人の階段を登ってゆくでしょう。 人によっては両親の性行為を偶然目撃してしまったり、家庭や学校で性教育としてきちんと教わりその時に初めて知る場合もあるかも知れません。

 ところが世の中には、そうした性への目覚めがやたらと早く来てしまう人もいます。 いや、性の目覚めという表現は適切ではないかもしれません。 性とかエロとかといった感覚が芽生える前の、よくわからないけど興奮しわくわくするような感覚と純粋な好奇心に揺り動かされる瞬間です。 時期的には小学生低学年から中学年あたりで、年齢的に 18禁 な書物やアダルトなビデオを見たり親や先輩、友人らから教わることもできず、ただひたすら自分の感覚や直感を頼りに、頭の中で想像や 妄想 を巡らせるしかありません。 そして子供特有の狭い視野・無知の中で、稚拙ながら 「自分なりの回答」 を見つけてしまう場合があります。

 とくに異性の兄妹がいる、異性の親と物心つく年齢までお風呂に入っていたなど、男女の体の外見的な違い (主に性器の形状の違い) を知る状況にいると、単に 「おしっこを出すだけの棒、あるいは穴 (割れ目)」 だと思っている性器に、「何か特別な役割があるのではないか」 との疑問が生じますし (でなければ違いがある理由がない)、そこからあれこれ考え推論は明後日の方向に進み、何やら意味不明な性行為が結論とされる場合も多いようです。

 なおこの時、鉄棒や登り棒などで下半身を 擦る と何やら気持ちいい…とか、我慢した末の排泄に快感が伴う…というような体験を持っているかいないかは、大きな分岐点かもしれません。 「排泄以外の用途がある」「そしてそれは、何やら気持ちがよいもののようだ」 との経験的な実感がなければ、なかなかその先へは踏み出せない場合が多いようです。

「俺は世界で一番のド変態野郎だ…」「いや普通だった…よかった…」

 筆者 に関して云うと、小学校低学年のうちに、「もしかしたら、ちんこをまんこに入れることができるのではないか?」 と想像していました。 客観的事実として形状的に凸凹の関係になっている上に、ちんこを 擦る と何やら気持ちよくなることにも気づいていて、ひょっとしたらこれは大発見なのではないかと高揚感を覚えていました。 ちょうど学校で 「図形の組み合わせ」 などを学んだことも影響しているかもしれません。

 それと同時に、単なる 「排泄のための器官」(汚いものという意識が強かった) だと思ってる棒と割れ目を互いに合体させることの 「異常性」 になぜか興奮していました。 その後さらに妄想は進み、ちんこやまんこを互いの口で舐めたり咥えたりすること、キス (接吻) でお互いの舌を絡めあい出し入れすることなども自分で思いついていました。

 そのいずれにも強い興奮を感じ、そのうち試してみたいとの衝動にも駆られましたが、一方で 「こんなことを考え付く自分は 変態 なのではないか、異常者ではないのか、というかむしろ 基地外 なのではないか」 と思い悩み、親はもちろん友人にも相談できず、「きっと自分は世界一の変態なんだ、行く末は犯罪者だ」 などと思い悩み、昼は虫も殺さない顔で九九や昆虫の学習に取り組む傍らで、夜は一人で猛々しい変態妄想を繰り広げつつ我に返ってはシクシクと悲しみ枕を濡らしていました。

 その後小学校の高学年頃になり、やっとセックスやフェラチオやディープキス (ベロチュー) の存在をおぼろげながら知り、中学になってアダルト雑誌からはっきりとそのような性行為が広く存在することを知って、「よかった…自分は変態ではなかったのだ…」 との人生で最大か二番目くらいの巨大な、それはもう巨大な安堵感を覚えたものでした。 また時期は前後しますが、これらの行為が子供を作る生殖という生物としてもっとも 尊い 営みだと知った時の驚きと感動。 この時の価値観の転換や自分の頭の中の世界が大きく切り替わるショックは、ちょっと筆舌に尽くしがたいものでした。 ひょっとしてこれがビッグバン? 宇宙創生のアレ? みたいな。

 その後は堰を切ったようにさらなる変態的で過激で斬新なあれこれを妄想し思いつきまくりましたが (ぬるぬるぐちょぐちょが多かったです)、すぐにそのほとんどは既存のもの、広く既知のものだと雑誌等で知らされました。 それどころか、筆者には想像すらできなかったもっとすごいこと、幾何学的な緊縛を伴う SM とか過激でアンモラルで衝撃的なプレイがあることを次々に突き付けられ続けました。

 こうなると小学生低学年の頃の鼻息はどこへやら、いつしかエロいことを考えても先人の通った道を後追いするだけ、自分の性的発想力の貧しさや限界、世の色事に対する無知を再確認するだけの単なる作業となっていることに気づき、「自分には生きている価値があるのか」「ちんこを 靴下 で踏まれたら誰だって気持ちいいに決まってる、一人の例外もなく踏まれたいと思ってる、そんなことも知らずにちんこ踏みの妄想を自分で思いついたつもりで悦に入っていたのか」「何と間抜けなやつなのだ、私は」 と自己嫌悪に悩む日々を迎えることになりました。

 達観したことは、子供〜思春期の頃はHな事がどんどん頭に浮かんで 「自分は変態なんだ」 って悲しむものの、10代後半になって 「みんな同じなんだ」 と思えて安堵、おじさん の年頃になって 「変態で他人に負けたくない、とくに若造にはな!」 とかになり、たぶん後は 「変態はお前らに任せた」 って笑いながら人は 死ぬ んだと思います。 それが人の 一生、男の一生なのだと。

 ちなみにどうでもいいことですが、アへ顔ダブルピース (とくに 生徒手帳 つき)だけは、世で流行るはるか以前から自分の中では大ブームで、そうしたエロ絵を何枚も描いていました。 多分同じような人は無数にいたとは思いますが、後年 ネット などに流れるそうした を見て 「最近流行ってるね」「ありがちだよね」 とか云われているのを見ると、「それ! あたしずっと前に自分で考えたから! 誰に影響されることなく自分でイチから考え出して絵にしてたから! 中学の頃から十八番だから!」 と叫びたくなります。 というかわりと叫んでいます。 これだけは譲れません。 どうかお願いいたします。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2004年8月4日)
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