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文化の盗用

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日本人のクリスマスはいいけど欧米人の和服はダメ?… 「文化の盗用」

 「文化の盗用」 とは、支配的な立場にある文化圏の人や団体、あるいはコミュニティなどが、被支配的な立場にある異なる文化圏の文化に対し、敬意や理解を伴わずにうわべだけを真似て利益や評価を搾取しているような状態のことです。 広い意味での植民地主義の一形態だとする意見もあります。

 またこの問題を通じて、文化の 「所有者」 あるいは差別問題の 「当事者性」 といった問題が改めて提起され、単に異民族・国家間の文化・経済問題だけでなく、広くジェンダー問題や民族内・国内の格差問題、人権に関する話題などにもこの概念や論法が使われるようにもなっています。 ただし文化の盗用 (あるいは異文化のオリジナル性や当事者性の尊重) を聞こえの良い隠れ蓑として、自分が気にくわない他文化圏の文化に親しむ人を搾取者だと攻撃し、その文化を排斥する方便として悪用されているとの指摘もあります (後述します)。

 一方、他国の文化を自分の国で発祥したものだと歴史を改竄し、起源を主張することを文化の盗用や剽窃と呼ぶ使い方も 1990年代末から ネット ではよく見られていました (後述します)。 こちらはここでいう文化の盗用とはあまり関係がありません。

ロックによる名声と富を白人が独り占め? 「文化の盗用」 の原点

 「文化の盗用」 といった概念の発端のひとつであり良く言及されるアメリカの例で云えば、1950年代に現れた大衆音楽のロック (ロックンロール/ Rock and Roll) の存在があります。

 黒人の音楽文化であるリズム・アンド・ブルースやブルース、ゴスペルと、白人の音楽文化であるカントリー・アンド・ウェスタンなどが融合して生まれたとされるロックはアメリカの若者の間で大流行、広く 認知 されたロック第一号は諸説あるものの、おおむねビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの 「Rock Around the Clock」(1954年) や エルヴィス・プレスリーの「That's All Right」(1954年) らの大ヒットが嚆矢となり広まったとされます。

 楽曲のレコーディングを行ったビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツもプレスリーも白人であり、本来は黒人音楽、あるいは黒人音楽と白人音楽の融合であったロックが、まるで白人の音楽かのように認知され広まったことは、後に一部で反発を受けることになります。 これはその他の黒人アーティストを含めたロック音楽から得られる莫大な収入を、同じく白人が支配する音楽会社が独占したこともあり、人種差別や格差を突きつけ、摩擦が生じるものだったからです。 また前述の2楽曲は作詞作曲に黒人アーティストの存在あるいはその疑いがあり、それが大ヒットの際にほとんど表に出てこなかったことへの反発もありました。

 こうした流れは、1970年代に生まれたヒップホップ・カルチャーで、さらにより鮮明になります。 黒人やヒスパニック系の住人が多く住むニューヨーク・ブロンクス地区で生まれたヒップホップ音楽やファッション (ラップやブレイクダンス、DJ、ファッション、ヘアスタイル、アートなどなど) は、数多くの黒人スターを生み出す一方、依然として利益の多くを白人が支配する音楽会社やメディアなどが吸い上げる産業構造となっていました。 また白人のヒップホップアーティストも次々に出現して人気を得ますが、彼らは音楽業界から黒人アーティスト以上のバックアップをしばしば受けて名声や地位、富を得ており、ロックと同じような構図が再び作られ、摩擦が強まることになりました。

 もっとも当初は白人のアーティストに拒否感を持つ黒人も少なくなかったものの、それが黒人アーティストや黒人文化・音楽に リスペクト が感じられるものであれば、好意的に迎えられたケースもたくさんあります。 音楽産業の上層部はともかく、アーティストにはリベラルな思想を持つ者も多く、白人の側からの問題提起も強まっていきます。

 1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条成立で終わったことになってはいるものの、アメリカの黒人に対する 奴隷制 の慣習や人種差別・格差は依然として様々な形でアメリカに根強く残っており、アフリカ系アメリカ人による公民権の適用と人種差別解消を求めた公民権運動の大きなうねりが、主に1950年代から1960年代にかけて行われていました。 そうした流れの中、これら音楽やファッション、文化といった部分の 「差別的な取扱い」「制度」「社会の仕組み」 なども改めて問題視されるようになります。

 「黒人文化を利用して白人が金儲けしている」「黒人文化から生じる利益を白人が独占している」 との声も高まり、それに合わせて生まれた概念と言葉が、すなわち 「文化の盗用」(Cultural appropriation) なのでした。 また概念が広がる中で、アメリカ先住民 (ネイティブアメリカン) の文化や文化的記号 (いわゆるインディアンのそれなど) の白人による利用、キリスト教徒やキリスト教文化圏企業による他の宗教の文化的価値の利用や商用などにも、時代を経るにつれ範囲が拡張されています。

白人と黒人、あるいはアメリカ先住民以外の場合の 「文化の盗用」

 白人と黒人、あるいはアメリカ先住民との関係性では、支配的立場と被支配的立場は比較的鮮明で明確です。 アメリカにおける黒人の多くは奴隷貿易によってアフリカから連れてこられた人々の末裔であり、アフリカの国々もその多くが植民地化され白人による支配が明白です。 アメリカ先住民もヨーロッパからやってきた白人による虐殺・駆逐・弾圧の被害者であり、白人によって一方的に支配・抑圧された存在であることにほとんど異論がないでしょう。

 しかしこれが、アジア系などの黄色人種と白人といった関係となると、事情が異なってきます。 帝国主義の時代におけるヨーロッパ列強による植民地支配はほとんどのアジア地域に及んでいましたが、日本や朝鮮、中国、タイなど一部の国や地域については、様々な歴史的経緯などから植民地化を免れたり、必ずしも 侵略 されて収奪される一方だったとはいえない複雑な状況にあります。 在米アジア系の人たちも、自らの意思で渡米した移民が大勢いました。 それは程度は違いますが中東アジアなども同様です。

アジアの文化は 「被支配者の文化」 か

 とくに中国は、帝国主義の時代こそ列強に権益を脅かされ従属を強いられる状況にありましたが、それ以前にはヨーロッパやイスラム世界に様々な影響を与える強固で豊かで先進的な文化や技術を確立しており、対等もしくは中国がはるかに上位となる人的・文化的交流を数世紀といった単位の長さにわたって行ってきています。 近年の中国の経済的台頭もあり、現代にあっても欧米諸国と対等かそれに近い、極めて強い文化的影響力を保っているといって良いでしょう。

 日本についても、欧米の植民地化を免れ、固有の文化は日本文化 (ジャポニスムやエキゾチシズム) として欧米で受容されてきた歴史があります。 もとより文化に上位下位といった区別をするのは無意味ですし、この場合のお互いの文化の利用は、素朴な異文化への興味や時として強いリスペクトを含む 「異文化交流」 であり、「強者が弱者の文化やその果実を一方的に奪うだけ」 の 「文化の盗用」 とは、かなり様相が異なるものでしょう。

 このような状況でことさらに文化の盗用を強く主張する人については、むしろ 「文化の盗用という目新しい人権概念を使って自分をアピールしたいだけではないのか」 さらには 「欧米文化に比べてアジア文化は劣っており、弱者として庇護すべき対象と見ているのではないか」 との反論もあります。

 例えば日本では、クリスマスの時期になればクリスマスツリーやサンタ姿が街にあふれ、欧米文化を利用した様々な商売や個人の娯楽が営まれます。 ハロウィンも同様です。 これらは日本人による欧米文化の盗用となるのでしょうか。 欧米人からそのような批判が生じることがほとんどなく、逆に欧米人が和食を食べたり和服を着たり、侍や忍者、kawaii などを作品のモチーフとして利用したり日本作品の コスプレ などを楽しむ行為を文化の盗用と批判するならば、そこには 「我々強者の文化を弱者の日本人に分け与えるのは問題ないが、彼らの文化を我らが奪うのはよくない」 との、ある種の 「差別感情」 があると思われても仕方ないでしょう。

 「文化の盗用」 というあたかも文化のオリジナル性や当事者性を尊重し配慮しているかのような建前を騙り、自分の嫌いな異文化の受容や流行を妨害・排斥しているだけではないか、よりはっきり云えば 「自らのアジア人蔑視を隠しつつ、アジア文化に敬意を持ち好意的に取り上げたり触れている人たちを文化の盗用という概念で収奪者だと攻撃しているだけだ」 との批判もあります。

文化は混ざり合い、栄枯盛衰しながら豊かになるもの

 日本は良くも悪くも他の文化からの影響を強く受け続けてきた国だと云えるかもしれません。 オリジナリティや独創性に欠ける、他文化の模倣ばかりだと批判する人もいますが、仮にそれが事実だとしても、文化とはそもそもそういうものです。

 例えば文化の結晶であり文明の証ともいえる 「文字」 も、元は中東はじめ大河周辺の文明で作られ、世界に伝播して地域ごとに独自に発展して日本にも伝わり、それぞれが持つ固有の言葉や文字や記号と混ざり合いながら、現在まで使われるようになっています。 日本は東の端であり、そこで行き止まりではありますが、日本で使われるようになった中国生まれの漢字は独自の進化をし、ヨーロッパ文化と触れ合う中で様々な新しい言葉を生み、それはやがて中国に逆輸入されて、現代の中国語にも強い影響を与えています。

 最初に一定の規模・それまでとは異なる形の文化を生み出した民族や人々へのリスペクトはあって然るべきですが、長い人類の歴史の中で、その時点その時点で文明のピークにある国や民族、所属する個人が紡いだものが融合し、与えあって発展したものが文化なのですから、単に特定の民族や国からの生まれや出身だというだけで 「文化の正当な保持者」「文化の当事者」になるわけではないでしょう。 その文化が好きで、敬意をもって触れたり守っている人こそが、生まれや出身はどこであれ、その文化の保持者や当事者であって欲しいと思います。

 日本出身の日本人でも、日本文化に敬意を払わず理解もせずに踏みにじる人は大勢います。 そうした人に 「日本人だから日本文化の保持者だ、当事者だ、利用に対して批判・決定する権利がある」 と血統主義に基づいて名乗られたり、日本人全員の代理人を自称されても困ってしまいます。 人権や差別と云った問題で、当事者性と生まれ育ちが分けがたいものであるのは事実ですが、それのみを文化の領域で当事者性の絶対基準とするのは誤りだと思いますし、まして 「当事者の代理人」 を勝手に自称して、敬意や理解を示して触れ合っている人を殴るための棍棒に 「文化の盗用」 を使うなどは、まったく間違っています。

 こうした概念は徐々に広まっていますが、「差別主義者のそれを隠した新しい攻撃方法」 だと見て備える必要も、場合によってはあるかも知れません。 彼らがそういうルールを作って殴ってくるなら、それに対抗する論が必要です。 そしてそれは、ジェンダー問題などにも共通する課題です。

「文化の盗用」 ではなく、「文化の剽窃」 では…

 なお日本、とりわけネットの 掲示板 などの世界においては、文化の盗用や剽窃という概念が1990年代末あたりからあります。 これは他国の文化、例えば日本の侍や武士道、刀、忍者、歌舞伎や折り紙、剣道や茶道、寿司などの起源を主張し、捏造した歴史観から自国の文化だと強弁する国やその国民を指して使われていました。

 対象国がもっぱら韓国だったことから、韓国語で自分を表すウリと オリジナル を組み合わせて 「ウリジナル」、コリアとクリエイトを合わせて 「コリエイト」 などと揶揄されていました。 これらはここでいう文化の盗用とはあまり関係がありません。

「女性の体や文化は誰のもの?」 ジェンダー問題にリンクも

 〇〇の盗用といった概念は、他のものにも当てはめて使われるようになっています。 代表的なのはフェミニズムやジェンダー問題などで、「女性の体や文化は女性のものであり、男性が性的な目的で利用するな」 という議論があります。 これは女性に対する男性側の肉体関係を伴う直接的な行為だけでなく、男性による創作物への女性性の性的利用・商業 利用などにも用いられ、「女性の体や文化 (ファッション、仕草など) を性的に見るな」「売買や代替や自分の都合で操作可能なモノ扱い (客体化) にするな」 との強いアピールがされています。

 この論は一見それなりの理があるようにも思えますし、判断基準はともかく、客体ではなく主体を尊重する姿勢も理解できる人が多い考え方でしょう。 しかし実際は、「女性の体は女性のもの」 ではなく、「自分の体は自分のもの」「自分の文化やファッション、仕草は自分のもの」 です。 女性に生まれたら自動的に全ての女性の体や女性的な文化に対して主体性や当事者性を持ち使い方の決定権を得られるわけではなく、自分以外の女性やその他の性の人が自分の体や文化、価値観をどう考えようが使おうが、成人 である限りその人の自由です。 同じ悩みを持つもの同士の連帯ならともかく、そうでない相手に自説を強要するようなことはあってはなりません。

 そもそも 「女性の体は女性のもの」 は、「女性以外には女性の問題を理解できないし、声を上げる資格もない」 と言外に云っているようなものであり、そんなことをいったら圧倒的な少数者の体、例えば 「障碍者の体」「少数民族の体」 が数の力に抗せず守れなくなってしまいます。 「誰の体であっても平等に社会全体で守るものとして尊重すべき」 なのが、目指すべきあるべき姿だと思います。 また当たり前の話ですが、男性でも祖母や母親、姉妹、妻や娘、友人同僚など、大切に思う女性が誰かしらいるはずです。 女性問題は女性だけが解決すべき問題ではないのです。

 もちろん経済的に困窮しがちな女性を男性が弱みに付け込んで性的な目的で利用することには断固として反対の声を上げるべきですし、それは女性だけでなく多くの男性だって同じでしょう (そうでない男性が少なくないのも否定はしませんが)。 性的被害者の救済にも反対する人などほとんどいないでしょう。 しかしこれが架空の女性、創作物の女性となると話は別です。

 とりわけ 萌え と呼ばれるような キャラクター (あるいは おたく から連想されがちな価値観) を攻撃する際に 「被害者の女性 対 加害者の男性」 という図式でこの論法がしばしば使われますが、実際のところ萌え絵を描いている人のかなりの割合 (一説には半数以上) は女性であり (そもそも萌え絵の大きな源流の一つが女性作家による少女漫画です)、趣味の非商業はもちろん、商業であってもその多くが自由意思でそれを行っています。 それを支持する ファン にも女性は少なくありません。 つまり彼らの言う、極めて直接的で皮相的な意味の性別からくる主体性や当事者性を持っている存在です。 またこれは、批判する側が 「男性が描くからこうなる」「制作者側の責任者や決定者が男性ばかりだからこうなる」「おっさんのやらかし」 などと根拠のない主張をするため、あくまで 「そうではない」「女性もいる」 という文脈から出た話です。

 こうした状況は、女性がイラストレーター (あとライターなど) といったおおむね不安定で低賃金になりがちな仕事に就かざるを得ないという部分もあるので手放しに良いことだとは云えず、本来の文化の盗用的な文脈で云うならイラストレーターやライターといった仕事の待遇向上に視線が向けられるべきです。 しかし萌えイラストの制作や起用は男性がやっているはずだと勘違いして誤りを指摘されると 「あいつらは名誉男性だ」「自由意思などなく社会からの抑圧の結果、男に媚びているのだ」 では、つじつまが合いませんし他人の意思決定を侮蔑し女性イラストレーターやライターの活躍の場を踏みにじっています。

 女性作家や男性作家による少女漫画の影響を受けて、いわゆる萌え絵や萌えキャラが生まれ、その制作を女性作家や男性作家が担って男女問わずファンがつく。 ファンからまた新しい作家が生まれ、画風が生まれ、もし男女に感受性や好みの違いがあるのなら、それぞれが自分の好きを持ち寄って切磋琢磨して高める。 そこにまたファンがつく。 これが文化でなくて一体なんだと云うのでしょう。

 また逆に、女性による女性から見た男性性を性的に表現している作家も大勢います (同人 を含めると、こちらの方がボリュームが大きいです)。 さらに同性に対して女性性や男性性を性的に表現している人、自身の性自認があやふやで、それを表現している人だって大勢います (こちらも同人まで含めたら、むしろ異性愛の方が少数派です)。 実在人物に対する実害を訴えるのならともかく、萌え絵やキャラを、異性愛を暗黙の前提とした男性による女性性の決めつけや まなざし、収奪だと決めつけてことさらに取り上げるのは 主語が大きすぎる し、恣意的なもの、もっといえば表には出さない別の差別的な意図すら感じられます。

 時代時代によって女性らしさ、男性らしさは変わりますし、いずれこうした〇〇らしさも過去のものになる日が来るのかもしれません。 個々人の認識だって変わっていきますから、表現の傾向が変化することはありますし、それを議論や対となる作品の発表を通じて自分にとって好ましい方向へと誘うのはあっても良いと思います。 しかし自分や自分の周りの賛同者の意見に過ぎない受け取り方を自明のものとし、それに合わなければ謝罪しろ、作品の撤去や法的な規制をしろ、勉強が足りない意識のアップデートができてない、おじさんだ昭和だでは議論や認識も深まりません。 それでは方向性がやや異なるだけで、実際は単なる時代錯誤の抑圧社会の再来でしかありません。

 そもそもこれらの人たちの多くが、いわゆる 「女性らしさ」 をジェンダーロール (性的役割の押しつけ) だと批判しているのですから、個々人でそうではない 「自分らしさ」 を追求し、賛同者を増やすようにすれば良いだけです。 なぜそこまで 「他人のふるまい」 にいちいち腹を立て、女性全体の表象を自分たちだけの占有物だと思い込み、 罵詈雑言を浴びせて法的に規制までさせようとするのか理解できません。

女性性や男性性は、男女等しく当事者で責任者で人間性の範疇に入るもの

 社会通念上の女性性は良くも悪くも男女の長い営みによって形作られたものであり、女性という性の所有物ではなく、男性性ともども、いわば男性女性共に当事者であり責任者でもある、人間性の中に含まれる人間共通の所有物です。

 仮に一方から見て古臭く誤っているように見える価値観のものがあっても、それはそのキャラを描いた人の価値観であり個性です。 もちろんそれに対する批判や対抗するような作品やキャラ表現を行うのも 表現の自由 があるのですから議論や創作をすれば良いと思いますが、謝罪しろ、取り下げろ、規制しろでは話し合いになりません。

 まして裸体でも性行為の描写でもない単なる着衣状態の架空キャラの イラスト児童ポルノ だ環境型セクハラだなどと性犯罪扱いして中傷するのは、根拠のない名誉棄損です。 それは 作者 が女性だろうと男性だろうとそれ以外だろうと、中傷する側が女性だろうと男性だろうとそれ以外だろうと、全く同じです。

 このあたりはツイフェミと呼ばれる、ツイッター などで言論活動を行っている自称フェミニスト風の人たちが、過去の経緯や現状を調べもせず正しく理解もせず、自らの偏った印象や思い込みだけを拠り所に、海外から自分たちに都合が良く使えそうな人権にまつわる論を片っ端から雑に集めて援用しようとした結果なのでしょうが (児ポ法 の問題でもさんざん見た光景です)、もう少し現実を見て首尾一貫した主張をしてくれないと、議論も進まず困ってしまいます。 萌えキャラやその作者、ファンは、自称フェミニスト風の人たちのストレス発散のための道具ではありません。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2017年6月9日)
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