相手の心を見抜くのは難しい… 「試し行為」
「試し行為」 とは、宗教や恋愛の場や主君家臣・上司部下の間柄で、一方が相手の心根を見通し判断するための試みのことです。 単に 「試し」、あるいは 「試練」 と呼ぶこともあります。
例えば宗教では、神 や教祖、本尊 とされる者が、弟子や 信者 に対して過酷な試練や理不尽な命令を行い、それを遵守できるかどうかで信心のあるなしを見極めたり本人にそれを自覚させたりします。 恋愛なら経済的な苦境に陥ったなどの嘘をつき、それでも相手が自分を愛してくれているかを確かめるなどが代表的でしょう。 これは君臣・上司部下の関係でも同様です。
相手が本当に神仏に帰依していたり、恋人を愛していたり、主君や上司を敬っていれば、どんな無茶苦茶な試練や命令、状況でも決して離れることなく忠実に付き従ってくれるはずだとの考えは、その良し悪しはともかく、古くて新しい普遍的なものです。 様々な神話や創作物にエピソードとして登場するだけでなく、規模や内容は違えども、リアルな日常生活でも似たようなことが行われることもあるでしょう。
宗教や昔の君臣ものの過酷・理不尽な試しは異常
とりわけ宗教や中世・近世の君臣の間では、深い信仰心や忠誠度をあらわす逸話として現代の感覚では理解不能なほどの苛烈・理不尽な 「試し」 が行われがちです。 全財産を差し出す、故郷や家族を捨てる、親や子を殺めるなど、「いくら神様や主君でもそれはないだろう」 みたいな逸話が宗教や歴史読み物にはつきものだったりします。
基本的には宗教にせよ君臣の間柄にせよ、神仏や目上の者に対する信心や忠義、絶対服従を道徳的・美徳とする価値観を理不尽に耐える者への称賛を通じて補強する役割を果たしていたものですが、それに従う者の愚直さや忠義心を愛するみたいな楽しみ方、あるいは試練や苦難に耐え忍ぶことに喜びや美しさを見いだすものもあったりはします。
一方現代でも恋人に無理何難を突き付けたり、親が破産して借金まみれになったと嘘をついて反応を伺ったり、デートで男性側がファミレスや安居酒屋を選ぶ、女性側が高級レストランでのデートや高額な物品をプレゼントとして要求するなどを 「相手の真意や真心を見るためのうまいやり方」 のような紹介をして 炎上 したりは良く聞く話です。
こうした恋人に対する試し行為は、嘘や理不尽な命令に騙された相手から拒絶され別れた後に本当はお金持ちだったなどの ネタバレ が起こり、金目当ての恋愛だったことが看破されて後悔し寄りを戻そうとして失敗する…といった 「スカっと系」「いまさらもう遅い系」 の話などにもつながりますが、形は違いますが、これも宗教や君臣のそれと構造は全く同じものでしょう。