同人用語の基礎知識

自画像

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単に顔出ししたくないからか、それとも内面を表現したいのか 「自画像」

 「自画像」 とは、絵描き が自らの姿を描いた イラスト絵画 のことです。 現在この言葉がもっともよく使われるのは、あるいは ツイッター などの SNS における プロフィールアイコン に、自ら描いた自分の姿を表示するものでしょう。 また マンガ作者 なども、自分の 作品 の中に登場するかどうかを問わず、自分の姿を描いた を良く描きます。 これは著者近影といった本人の 画像 を表示する際に、実際の自分の顔写真を出したくない場合の代替として機能するものです。

 広くその他のアートの世界も含めると、この形式は絵描きやアーティストらの自己表現、さらには内面や自己認識、自己探索としても機能します。 顔出し したくない場合の単なる写真代わりの肖像画ではなく、むしろ描かれた絵の方がより本当の自分に近いというケースもあります。

 なお描く際に年齢や性別、もっと云えば生物としての種やその他の 属性 がごっそり挿げ替えられることもあります。 男性が 女体化 した美少女風の自画像になる、大人が子供っぽい キャラ として描く、さらには猫とか犬とか、場合によってはロボットとか何らかの道具といった無機物になることもあります。

 またそれらを アイコン を超えた アバター として用い、自画像というよりは ネット の世界での自分自身として用いる場合もあります。 この場合は VTuber での世界の言葉にならい、セルフ受肉 と呼ぶこともあります。 ある程度言葉通りの自分自身の肖像画の場合もあれば、単に自分が好きなキャラやそれに近い属性を 盛っオリキャラなりきる といった使い方もされます。 ただし長年その姿で活動すれば、それがネット上での 「その人そのもの」 になりますし、自画像の持つ機能や意義とあまり違いはないものとなるでしょう。 これは本名ではなくペンネームや ハンドル にも同等の機能や効果があります。

自己顕示や存在証明に使われたり

 自画像は古くから存在しており、鏡など存在しない古代にあっても、目鼻立ちを描かない単なる人型の図形として描かれたものを含め、歴史のあるものでしょう。 とくにヨーロッパのルネサンス時代においては、アーティスト自身が画題となるだけでなく、パトロンから注文を受けた大作の一部として自らの姿を誇らしげに描くことが多く、また本人や周囲もそれを重視しました。 この頃の絵画の多くは宗教画や宗教に モチーフ を求めるものが多かったのですが、画面中に登場する群衆の中の一人として描いたり、明確な自画像の形を取らずとも、宗教的な偉人の姿に自らの姿をモデルとして重ねるといった描き方が広まっています。

 またルーベンスやレンブラントの作品に見られる自画像は、画力や技術力の誇示や証明だけでなく、その作品を取り巻くアーティストの感情や思想も、ある意味で メタ的 な形で反映されているものがあります。 いずれの場合もこの絵を描いたのは自分であるとの自負や強い 自己顕示、自画像を通じて個々のアイデンティティを探求し、社会的位置付けや自己の役割について考えたり外に問う意図をしばしば持っています。  一方、より時代を下ると、精神分析といった 概念 や学術が発展し、それらの影響を受けた画家が、自画像をより深い心理的な文脈で扱うようになりました。 そこには自分自身の境遇や社会に対する希望や絶望、単なる思想や風刺に留まらない、自分自身の心の痛みや自分とは何かを問う内省的なものであり、時として自画像と呼ぶにはためらうほどの異形に描かれることもあります。

 日本で著名な画家の自画像と云うと、激しい筆致から 「炎の画家」 とも呼ばれるゴッホのそれが真っ先に思い浮かぶ人が多いかもしれません。 同画家の代表作であり、全部で37点もの作品が知られています。 こちらについては、単に印象派絵画が当時はまだ受け入れられておらず、肖像画の注文もなければ経済的に窮してモデルも雇えなかったとの説がもっとも有力ですが (他の印象派絵画もおおむね同じ)、独特な色彩や、なかでも 1889年の 「耳を切った自画像」(頭に包帯をした自画像) は、そのショッキングな出来事を含め、見る者に何かを圧倒的に訴える力を持っています。

 1940年に制作されたメキシコの画家、フリーダ・カーロの作品群も、自画像を語るうえで外せないものでしょう。 現代絵画を代表するもののひとつに数えられ、自身のアイデンティティ探求の過程や苦悩を表現する手段として自らを題材とし、個人の経験を社会的・普遍的なテーマに結びつけて描いています。 作品としての価値の他、特徴的な眉毛の描き方から、ネタ として扱われることも多いかもしれません。

 自画像という存在自体は、写真が発明されカメラが一般に普及し、とりわけ携帯電話の 写メ とスマートフォンの登場による自撮り (セルフィー) が流行し、かつそれをアプリで加工する行為が広がる中で、それまでとはまた異なる意義を持ち始めています。 自分をどう表現したいかは自分がどうありたいかと表裏一体の関係であり、それを SNS などを通じて広く公開するのは、自分の中にあるものと社会 (あるいは他人の目) を繋げ、否応なしにその関係を強めるものです。 それは内面を視覚化して他人に問う、あるいは他人である誰かのそれを受け取って 解釈 する会話やキャッチボールであり、しかもそれが絵心や絵を描く技術のない多くの人に開かれたという点で、画期的なものでもあります。

 自画像を美化しすぎるのも、逆に醜く、あるいは異形に描くのも、他人のそれを見て美しいと感じたり騙されたと感じたりと反応は様々ですが、他者との関係性に供する大きな要素が新たに加わったと見るべきなのでしょう。 それをどう活用するのは、個々人に委ねられています。 当たり前の話ですが、他人の自画像やアイコン、アバター、自撮り写真などを、安易にいじったり罵ったりするのはやめましょう。 それは相手の画力や容姿だけでなく、内面や人格そのものを罵倒するのと同じです。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2007年10月27日)
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