秋葉原デパート、ついに2006年末、55年の歴史に幕 その2
ミスター陳 店内 |
その1の続きです。 ここではアキデパの大きな魅力の1つ、飲食コーナーと、55年の風雪に耐えた外観、筆者の思い出話をご紹介します。
アキデパでは、1階と2階にそれぞれ飲食コーナーがあり、1階部分はカウンター形式の軽食タイプ、2階にはちょっとした喫茶店やレストランのようなものがいくつかありました。
現在こそ飲食店が豊富に存在する秋葉原ですが、昭和の時代となると数が少なく、もっぱら週末に出かけて行くと、混雑する昼時に腹ごしらえをするのがかなり大変でした。 そんな中、安価で手早く食事が取れる、しかも秋葉原駅直結のアキデパは、とても便利でしたね。
筆者がよく行ったのは回転寿司と そば屋、そして路上から直接入ることができるラーメン屋、「ミスター陳」 でしたね。 とりわけ 「ミスター陳」 は、ほとんど何回行ったかわからないくらいお世話になりました。
食べる店が少ない時代、アキデパの軽食コーナーにはお世話になりました
貫禄十分な外観、ちなみにパーツ売り場や古炉奈があるのは隣の電波会館です
筆者の、アキデパの思い出
開業以来55年、日本最古の駅ビルと呼ばれるアキハバラデパートが、ついに2006年12月31日で閉店とのことで、最後の勇姿をカメラに収めようと、30日の朝からアキバ近辺をうろうろしました。 店内には同じように思う人が多いのか、デジカメを持った おじさん や若者がそこら中にいてシャッターを押していました。 商業施設の場合、店内撮影は普通はどこの店でも禁止しているものですが、お店の人にお願いしたら、「みんな撮ってるよ、頑張って記録してよ」 と優しいお言葉。 懐かしい、大好きなアキデバの店内をたくさん写真に撮りました。筆者が 秋葉原、そしてこのアキハバラデパート、「アキデパ」 に最初に訪れたのは記憶もおぼろげな頃でした。 父親が電気製品やら車やら機械モノが好きなタイプでしたので、まだ幼い頃に買ったばかりの車 (緑色のトヨタ カローラ) に乗せられて連れていってもらったような記憶もありますが、あまりに小さくて覚えていません。 その後自分の意思で足を踏み入れるようになったのですが、それは確か小学校4〜5年生くらいの時だと記憶してます。
当時小中学生の間で流行っていた、海外放送を聴く 趣味、BCL を筆者はやっていて、雑誌 (ラジオの製作 とか) に紹介されている高級ラジオが見たくて小遣いはたいて電車に乗ったのを鮮明に覚えています。 その後中学にあがる頃には部活も科学部で、鉱石ラジオ作るためのパーツを買いに行ったり、当時は片道2時間半以上かかる距離でしたが、年に4〜5回は、通ってましたね。
その後も ゲーム が好きになったり、ビデオデッキやらパソコンのパーツやらが欲しくなったり、あるいは アニメ やらの萌えブームや趣味の同人活動が本格化してくると、それらのグッズを買いに走ったのも秋葉原でした。 秋葉原の中でも アキハバラデパートは、あまり電気製品とか萌えグッズなどとは縁遠いテナントが中心でしたが、駅のホームからそのまま外に出れるので、隣の電波会館に向かう時には店内を必ず通っていましたし、1Fのカレーやそば、うどん、回転寿司なんかの飲食コーナーは、当時食べる店がすごく少なかったアキバでは、貴重な腹ごしらえの場でした。
そういや漫画家の夢破れ、貧乏こじらせて築地の魚河岸で出稼ぎ夜勤した後、疲れた体で朝日を浴びながら寄ったのも、アキデパでした。 ミスター陳でラーメン食べてしみじみしたのもまさにここ。 気がつけば30年余りのお付き合いになってました。
2時間くらいかけてアキデパの内外を探索。 その後、最後にどこで食べようかと悩んだあげく、以前サークル仲間とパソコンショップ巡りをした時に寄った回転寿司 「大江戸」 に決定。 1皿126円の寿司を6枚ほど食べてお会計。 店主のおじさんに、この後どうなるんですか? 残念ですね と尋ねたら、「どうなるか JRさんに聞かないとわからないね、戻れるのか戻れないのか…今まで来てくれてありがとね、またどこかでね」。 2時間あまりの探訪で気分が高まっていたせいもあるんでしょうが、これ聞いてその場で涙が止まらなくなってしまいました。
ありがとう、アキハバラデパート。
さよなら、アキハバラデパート。
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