おたくと云えばやっぱり… 「アニメーション」
「アニメ」「アニメーション」 とは、コマ撮り (ストップモーション撮影) した 絵 や写真を連続再生し、動いているかのような視覚効果を与える映像作品全般のことです。 英語では 「Animation」(動画) で、語源は 「生命を与える」「命を吹き込む」 といった意味の 「Animate」 からとなります (「カートゥーン」(Cartoon) とも呼びます (後述します)。
おたく と称される人たちが強い興味や関心を持つものは色々ありますが、マンガ や ゲーム と並び、おたくを語る上で決して無視できないのがアニメでしょう。 なかでもアニメを中心に活動している おたく は アニメオタク (アニヲタ) と呼びます。 同人誌即売会 などの イベント で上映されたり、ビデオの形で 頒布 されるものは、自主制作アニメのほか同人アニメなどと呼ばれます。
また 動画共有サイト などで発表されるアニメ作品は前述した名称の他、もっぱら既存作品動画を継ぎ接ぎして編集した MAD動画 が多いこともあり、制作者が自ら絵を描いたものを特に 「手書きアニメ」 などと呼ぶ場合もあります。 3Dソフトを使って制作したものは3Dアニメになります。
ファン活動としてのアニメとの関わりと、自主制作アニメ
「おたく」 のアニメとの関わりは、大きく分けて2種類に分けられます。 すなわち、「観る」 か 「創る」 かです。 この2つは車の両輪のようなもので、アマチュアが 同人 の形で実験的なアニメ作品を自ら作ったり、映画館やテレビで放映される 商業 アニメ作品を見てファン活動に勤しむ一方、その後プロになって商業作品の制作に携わったり、プロがアマチュアの場に作品を持ち寄るなど、両者は多くの部分で人と技術が行き来しています。
映画人や漫画家、SF作家、広い意味での小説家や画家、及びそれらが作る創作物を楽しむファン。 それらが同好の仲間と 同人サークル や FC、学校の同好会、研究会などで既存作品の批評をしたり創作活動を行い、素人が手にできる16mm映画や8mm映画、ビデオ、コンピュータなどの機材を使い、新しい表現や技術を生み出し発展させています。
ごくごくかいつまんでとても大雑把にいえば、アメリカのディズニー映画からの影響と、それに触発されて作られた日本製アニメに、漫画と特撮とSFの文化・人材が混ざりあい 1960年代に芽が出、70年代から80年代に一気に花開いたのが 筆者 の考える日本アニメの世界ですが、日本SF大会や コミケ などの人が出会え作品を発表できる場が作られ、さらに ネット の登場と普及、アニメの発表にうってつけの動画共有サイトの発展により全てが加速する中で、これからも新しい表現や技術が次々に登場することになるのでしょう。
大雑把なアニメーションの歴史
「アニメーション」 がなぜ動いて見えるのかですが、原理的には人間の目で見た時に生じる残像現象を利用し、ほんの少しだけ変化した絵や写真などの 「静物」 を連続再生して 「動物」 と認識 (誤認) させるものです。
19世紀末に 「キネトスコープ」(1891年/ アメリカ、エジソンによる/ Kinetoscope) や、その影響を受けこんにちの映画の始祖ともなるフランスのリュミエール兄弟の 「シネマトグラフ」(1894年/ cinematographe) などが登場。 初期には写真を切り貼りしてずらしながらコマ撮りしたものを動画の一部として使用したり、タイトル文字や描き起こした図案を動かすなどにより技術が確立して行きました。
「Le Voyage dans la Lune」 |
フランスのジョルジュ・メリエスがジュール・ヴェルヌの小説を原作として1902年に制作した映画 「月世界旅行」(Le Voyage dans la Lune) では、港のシーンでストップモーションによるアニメ表現があり (現在でいう切り絵アニメーション)、世界初の本格的SF特撮映画であると同時に、アニメ表現の始祖ともなっています。
これと前後して、同じフランスで手書きの人物が動く 「哀れなピエロ」(Pauvre Pierrot) など 商業的 に成功した作品もあらわれ、実験的な制作作品も含め数多くの作品がアメリカ、フランスを中心に、世界中で作られるようになりました。
セルアニメと長編アニメが登場
「Men's styles」 |
「桃太郎 海の神兵」 |
日本で 「アニメ」 というと、透明なセルロイド (後にはアセテート(TAC) に線画を描きそれをコマ撮りした 「セル画アニメ」(セルアニメ) が一般的です。
こうした手法は1914年にアメリカの映画監督、アニメーターであるアール・ハード (Earl Hurd/ 1880年9月14日〜1940年9月28日) が、盟友でもありプロデューサーであったジョン・ランドルフ・ブレイ (John Randolph Bray/ 1879年8月25日〜1978年10月10日) と共に 開発 しました。
ハードらは特許を取得。 特許権を巡る裁判などにより、一部のアニメ作品が公開できなくなるなど混乱もありましたが、制作した新聞漫画などに基づくアニメ作品や短編映画などと共に、広くその手法を公開すると、その圧倒的な表現力から、ほどなくして主流となりました。
当初はセルロイドが高価なため、この手法は作品の一部で使われるなど特殊な技法のような扱いでしたが、徐々に普及し、1917年には長編アニメ作品 「使徒」 がアルゼンチンで、1941年には中国でアジア初の長編アニメ映画となる 「鉄扇公主」(西遊記 鉄扇公主の巻) が登場しています。 その後この中国作品の人気を受ける形で、日本でも1945年4月12日に海軍省による国策長編アニメ映画 「桃太郎 海の神兵」 が登場しました。
なお切り絵アニメーションや、粘土を使ったクレイアニメーション、その他の実験的な小作品は日本でも大正時代には作られていました。 また狭義の動画、アニメーション映画とは呼べない幻灯機 (スライド映写機の原型) を利用したアニメ表現や、パラパラマンガのようなアニメ表現はさらに大きく遡れますが、こんにちのアニメの歴史と云えば、映画の登場からのおよそ100年間余りというのが一般的でしょう。
中でも 戦前 から世界中で公開されていたディズニー映画の影響と、1958年10月22日に日本初の本格的カラー劇場用長編アニメとして公開された 「白蛇伝」(東映動画)、及びそれから影響を受け日本初の連続テレビアニメシリーズとして制作放映された 「鉄腕アトム」(1963年/ 原作/ 手塚治虫) の登場は、日本のアニメーション史において特筆すべきトピックでしょう。 それ以前にもアメリカ制作のアニメ作品を定期的に流す番組は1950年代からありましたが、これ以降は徐々に日本製アニメが比率を増やし、1970年代からの日本アニメ全盛時代を迎えることとなります。
「コミックマーケット」 や 「日本SF大会」 の開催史を中心に、1950年代からのアニメやおたくの流れは、同人おたく年表 の形でまとめてあります。 詳しくはそちらもご覧ください。
ANIME と ANIMATION と HENTAI と CARTOON
英語では一般的にアニメ作品を 「カートゥーン」(Cartoon) と呼びます。
アニメーションは本来 「動画」 という意味で、マンガや イラスト を動画化したものという意味で使うのは、あくまで 「カートゥーン」 です。 しかし日本では長らく 「漫画映画」「活動漫画」 といった呼ばれ方をした後、1963年の日本初のテレビアニメシリーズ 「鉄腕アトム」 の頃からアニメーションという呼び名が広がり、その略語として 「アニメ」 という言い回しも登場。 その後日本製のアニメ作品が世界に広がる中で 「Animation」 や 「Anime」 が 「日本製カートゥーン」 といった意味で広がっている状況もあります。
なお日本製アニメーションという意味で、「ジャパニメーション」(Japanimation) という呼び方が1970年代頃からアメリカを中心に使われていた時期もあります。 これはアメリカ製アニメーションに比べ低品質で出来の悪いアニメ、といったある種の蔑称のような表現でした (そうでない場合もありますが)。
これは一つには、日本とアメリカでは文化的・宗教的な表現方法の違いがあり、さらに コミックコード に代表されるように、一部の暴力表現、性的表現などが日本では問題がなくてもアメリカでは強く規制されているという事情もあります。 日本から来たフィルムやテープは、重要なシーンの大幅なカットや継ぎ接ぎによる無理な編集が施され、アメリカ版が作品として破綻しているケースが多かった点も大きく影響していたのでした (アメリカ人はそれを オリジナル だと思って見ている訳ですから)。
ある意味でキャッチーな名称である 「ジャパニメーション」 は、その後日本の側で 「世界で大人気のジャパニメーション」 といった文脈で好意的に触れられるケースもあるのですが、そもそも日本人の蔑視表現である 「JAP」 をアニメに接頭した 「Jap-Animation」 とも読めますし、あまり筋の良い言葉でもないでしょう。
Hな ANIME は HENTAI に…
一方、HENTAI (ヘンタイ) という呼び方もあります。 こちらは日本語の 「変態」 が元となる言葉で、日本製のアダルトアニメが広がる中、一部のマニアが 「日本製アダルトアニメ」 の意味で使うようになり広まった言葉です。
アニメと日本文化
日本のアニメに限った話で云えば、マンガ同様に異常なほどのすそ野の広さがあり、ありとあらゆる日本的な文化の極めてキャッチーな発信プラットフォームとして機能している部分があります。 日本アニメ (あるいはマンガ、ゲーム、特撮、コスプレといった文化) の海外での人気は別に新しいものではありませんが、今後ネットがますます広まり、動画を動画として気軽に楽しめるような環境が訪れると、アニメを中心とした日本文化の巨大な情報発信基地、あるいは日本文化を理解してもらうためのエコシステムのエンジンとして機能することが期待できるでしょう。その影響を受けやすいのは音楽 (アニメソング) やおたく・腐女子的な生活スタイル、原宿や kawaii などといった若者向けの比較的新しい文化ですが、いずれは和服、和食、伝統芸能に至るまで、多岐に渡る牽引役として機能するようになるはずです。
かつて日本は、「顔の見えない国」 などと呼ばれ、経済を中心に国際社会における存在感はありつつも、しばしば欧米などから異質な国だと遠巻きに見られるような状態もありました (いわゆるジャパンバッシングなどが叫ばれた時代には、世界中で販売される日本製品の取り扱い説明書などに日本文化を紹介するコーナーを設けようみたいな話が大真面目に検討されたみたいな話もあります)。
わざわざそのためだけにつまらないアニメを創っても仕方がありませんし、そのような企ては上手くいかないでしょうが、日本人クリエイターが自分たちの作りたいものを作り、それを日本人ファンが受け入れて応援し、それが海外でも人気になって相互理解の一助になるというのは、文化交流としてこれ以上ないほどの幸せなパターンでしょう。 現状では多くのネット上のアニメ動画が違法な海賊版だという点は、もう少しどうにかならんのかという気はしますが。
おたく文化は何かと目の敵にされがちではありますが、そのような状況はもう長くないような、そんな期待があります。