アニメーションだったりムービーファイルだったり 「動画」
「動画」 とは、動きのある 画像 や動きのある映像全般を指す言葉です。 映像やムービー、アニメ と呼ぶこともあります。 それぞれの意味するものはおおむね同じですが、静止画 (スチルイラスト) や実写映像に対してアニメーションを指す使い方が比較的一般的かも知れません (とくにひと昔前までは)。
また映画館やテレビ・ビデオなどで撮影・上映・再生されるものを映像とし、パソコンやスマホ (スマートフォン) などでのそれを動画と呼んだり、静止画と映像とが混在している ゲーム といった コンテンツ で動く 絵 をそう呼んで区別することも多いかもしれません。 生配信 される映像に対して、データとして記録されたりそれを ネット に アップロード したものを動画と呼んで区別することもあります。 この場合、Flash によるアニメデータや アニメ GIF といった画像ファイルも動画として扱われることがあります。 ただしその境界線は曖昧で、時代と共に静止画や動画を自由に扱うデバイスが普及するにつれ、動画それ自体を細かく分類する意味もなくなってきているかもしれません。 対義語は画像や静止画、あるいは スチル となります。
動画の原理はパラパラ漫画などと同じで、連続した静止画を次々に撮影・表示することで動きを記録したり再生することができるようになっています。 また 一枚絵 の画像と異なり時間軸を持っているので、記録する 動画形式 (フォーマット) にもよりますが、視覚情報だけでなく音声データを合わせて持っている場合もあります。 ただし初期の映画などはフィルム面に音声を記録するトラックがなく、サイレント時代を過ぎた後もフィルムで視覚情報、テープで音声情報とにわけ、双方を同期させて記録・再生していました。 その後フィルムに磁気や光学による録音情報の記録ができるようになったり、ビデオの時代となり様々な情報を1つのフォーマットで記録できるようになり、現在に至ります。
なお歴史的に見れば、映画 (動画) の発明は、1890年にアメリカのエジソンによるキネトスコープ、1895年にフランスのリュミエール兄弟によるシネマトグラフがその祖とされています。 いずれもフィルムを使って記録し再生 (上映) するのは同じですが、キネトスコープは箱状の暗室内で再生してのぞき窓から見るタイプ、シネマトグラフはスクリーンに映写するタイプで、現在の映画やその流れをくむ動画一般はシネマトグラフが発展したものだと云えます。
ひと昔前は、動画を動画として残すのは極めて困難でした
シネマトグラフ発明から映画は発展しますが、基本的には銀塩フィルムで撮影したものを現像し、そのまま映写機にかけて上映するというスタイルは長らく変わりませんでした。 一部では電子的な撮影・映写が可能なビデオカメラなども使われるようになりますが、一般人 が手にできるようになるのはずっと時代を下って1978年、日本ビクターが発売した CV-G70 からです。 またテレビ放映を記録する据え置き型の ビデオデッキ は 1969年の Uマチック方式を経て 1975年の Betamax、1976年の VHS 方式のものが発売されていました。
それ以前にも モノクロ でオープンリール式のほとんど業務用のようなものもあり民間でも使われていましたが極めて珍しく、いずれも高価で普及にはもう少し時間が必要でした (本体だけでなくテープも高かった)。 テレビ局ですら、番組のマスターテープを上書きして使っていて、番組の動画がろくに残せなかったような時代です (ドラマなんかはフィルム制作が多くて結構残ってたりもします)。
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8ミリの映写用フィルム |
ビデオ以前に普及していたのは 商業 の映画用のフィルム (35mm や 70mm) より小さくリーズナブルな 16mm フィルムや 8mm フィルムを用いたホームムービーでした。 とくに 8mm フィルムを使った8ミリ映画と呼ばれるフィルム映画撮影カメラは、それなりに普及していました。 日本ではコダック社製のスーパー8方式と富士写真フィルム社製のフジカシングル8が人気と シェア を二分していましたね。
ちなみに自主制作アニメなどを作るためには 「コマ撮り」(1フレームずつ撮影する) の機能がなければいけませんが、フジカシングル8では対応するカメラがほぼなく、おおむねスーパー8方式がよく用いられていました (互換性 はないです)。 一応コマ撮り機能のないシングル8カメラでも2〜3コマ程度のぶつ切り撮影ができなくはないのですが、正確性にかけ実用性はいまいちでした (筆者 はコマ撮り機能なしのシングル8カメラだったので頑張って撮ってました…)。 FUJICA ZC1000 が 死ぬ ほど欲しかったずらよ…。
8ミリ映画は学校の運動会でカメラ好きなお父さんが何人かは持っている程度には普及していましたが、3分程度の撮影にフィルム代や現像代合わせて数千円かかるもので、ちょっとした贅沢品のような存在でした。 しかも見るためには暗い部屋で映写機に掛けるしかなく、一般の写真 (スチル写真) に比べるとまだまだ当たり前のものにはなっていませんでした。 ちなみに生産のピークは 1977年で、カメラの年間生産数は 161万台余りとなっています。 アニメ 「宇宙戦艦ヤマト」 の劇場版が大ヒットし、コミケ は始まったばかりの7回目、会場 は大田区産業会館 (現/ 大田区産業プラザPiO) で サークル参加 が 131 サークル、大卒初任給が 101,000円 (厚労省データ) の時代です。
まだビデオが普及する前、テレビの録画に使うこともありましたが (テレビ画面を三脚で固定した8ミリカメラで撮影する)、画質が悪く 解像度 なにそれ状態な上、30分のアニメを記録するのに数万円かかり、とても実用性はありませんした。 この時代、一般人が動画を動画として保存するのは極めて困難な状況でした。 アニメなんかは基本オーディオテープで音声記録のみして当時創刊されたばかりのアニメ雑誌を眺めるか、好きなアニメならおこづかいをはたいてフィルムコミック (アニメの画面で作ったフルカラーの マンガ 単行本) を購入して補完するみたいな感じでした。 まぁ60年代のテレビ番組や CM のビデオ映像を個人で所有している人もいますから、趣味人でよほどのお金持ちなら可能だったんでしょうけれど。
安価なビデオカメラの登場と、パソコンの普及で動画が身近に
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ビクター/ Victor S-VHS HR-S9800 1990年製 |
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標準的な VHS テープ |
その後民生用のビデオデッキやカメラは少しずつ低価格化が進みます。 ビデオデッキについては 1980年代中頃には一家に一台とまではいかないものの若い世帯を中心にそれなりに普及しはじめており、テレビ番組を動画 (映像) のまま保存することができるようになりました。
カメラに関しては、1989年5月31日に SONY から 「パスポートサイズ」 をキャッチフレーズとして発売されたハンディカム55 (CCD-TR55) が大ヒット商品となり、本格的なビデオカメラの時代、そして個人がいつでも自由に動画を動画として記録することができる時代となりました。 子供の成長記録のために購入するケースが多かったのでしょうが、バブル景気も手伝い、海外旅行にビデオカメラが当たり前の時代になりました。
ちなみにこの頃、いわゆるデジカメ (デジタルスチルカメラ) はまだ本格的に登場しておらず (一応コダックや富士フイルム、SONY から実験的なものは出ていたけれど普及してなかった)、「現像せずに撮影から鑑賞までが完結するカメラ」 は、動画の方が一足早く広がったこととなります。 スチルカメラでも自宅に現像施設があれば個人で全てが完結しますが、ほとんどの人はカメラ店で現像処理を頼んでいたため、「人に見せられないエッチなもの」 を撮影するにはビデオカメラがほとんど唯一の選択肢になっていました。
この頃、いわゆる ハメ撮り なども、マニア・成人向け の 投稿 を中心としたアダルト雑誌 (投稿誌) の読者コーナーや一部のプロカメラマンの 作品 を除けば、おおむねビデオカメラ利用による動画が先行する形で一般にも広がっています。 なおデジカメが本格的に普及し、さらにそれが携帯電話に搭載されて 写メ として流行したのはようやく 2000年代に入ってからです。
パソコンによる動画の扱いについては、ある程度まともに扱えるようになったのは1990年代に入ってしばらくしてから、それもおおむね Windows95 が登場したあたりからでしょう。 前後して当時の バズワード である マルチメディア をうたったパソコンが発売されてはいましたが、アナログのテレビチューナーやアナログの映像・音声の入出力端子がついていて 「モニタでテレビも映せます、ゲーム機もつなげられます」 程度で、スペック からして動画をデータとして扱える レベル ではありませんでした。
当時 Windows3.1 とか 95 とかでビデオキャプチャを使ってチャレンジしましたが、ほとんどお話になりませんでしたね。 そもそも記録媒体も HDD は 120MB 程度 (その頃に使っていた PC-9821Ap は 320MB だった記憶)、フロッピー や MO が現役で、その後 CD-ROM が普及しビデオも 電子化 しますが、一般向けのパソコンはテレビが映せて CDドライブがついていればとりあえずマルチメディアじゃん? みたいな状態でした w
アップローダーの登場と、面白く軽量な Flash 動画の大ブーム
その後日本ではパソコンも安価となり、インターネット が普及すると共に ADSL といった高速通信が可能な規格が広がり、動画データの オンライン でのやり取りが始まります。 とはいえ動画データはファイル容量が大きくなりがちで、容量を小さく圧縮したものが アップローダー などを介して細々とやり取りされる程度でした。 個人の ホームページ などに動画ファイルを置いて閲覧できるようにしているケースもありましたが、あまり一般的ではありませんでした。
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恋のマイアヒの空耳 Flash |
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ロイツマ・ガールの MAD 動画 |
その結果、巨大な AVI や MOV、やや軽量ながら高画質だとやっぱり大きい MP4 といった動画ファイルと違って軽量で、さらにウェブブラウザでそのまま閲覧できる Flash (フラッシュ) が実質的な 動画形式 としてよく使われるようになります。 アップローダーを介さずにホームページ上に HTMLタグ を使ってそのまま貼り付けられるのもポイントで、良作はフラッシュ倉庫といった名称の まとめサイト としてアーカイブもされました。
内容的には動画データを Flash に変換し、映画やアニメの名シーンやお笑いネタを 切り抜きした動画 もありましたが、掲示板 2ちゃんねる なども盛り上がっており、ネタ や パロディ としての MAD や ネットミーム を表現した作品なども出回ります。
この Flash の流行は動画と云う 概念 をかなり抜本的に変革するもので、カメラといった光学機器を用いず、パソコンで全てを作ることができる画期的なものでした。 映像や図案ではなく文字が主体のものがあったり、クリックするとゲームのように先に進むとか、選択肢を選ばせるなど、いわゆるインタラクティブ (双方向性) な使い方もできるものでした。
ただ凝ったものを作ろうとすると結構大変で、それだけに面白い Flash の 作者 はフラッシュ職人などと呼ばれ、注目を集めることとなります。 とくに 空耳 と呼ばれる、海外の楽曲に 「そう聴こえる」 適当な日本語歌詞を当てはめたものは、2004年の 「恋のマイアヒ」(Dragostea Din Tei/ O-Zone) のように メジャー な世界でヒットしたものを含め、その後の 初音ミク などに続く、ボカロ曲や音楽全体にも極めて大きな影響を与えた存在でしょう。
最盛期には2ちゃんねるの 「Flash・動画版」 からフラッシュ合戦 イベント Flash★BOMB も開催され、数多くの作品がエントリー。 笑える作品あり泣ける作品あり話題作・問題作もありで、Flash が発端でネットで 祭り が起こったり、逆に祭りが起こるとそれをネタにした Flash が多数の職人によって作られるなど、後のニコニコ動画的な文化が花開くこととなりました。
一世を風靡し後世に多大な影響を及ぼした Flash 文化でしたが、その後の本格的なネットの高速化と動画の普及、また Flash フォーマット自体のセキュリティ的な脆弱性などが原因となり徐々に衰退。 とくにネット利用がパソコンからスマホに移る中、iPhone が Flash に非対応だったこともあって、スマホ普及が本格化した2010年代途中から急速に存在感を喪失します。 Adobe Flash Player (フラッシュプレーヤー) のサポート終了 (2020年12月31日) に伴い、キラ星のごとく輝いていた職人とその技術の多くが失われることとなっています。 ただし演出方法とかスピリットは動画時代にも脈々と受け継がれています。
ファイル共有ソフトと動画共有サイトの登場
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YouTube |
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ニコニコ動画 |
Flash の隆盛と前後して、2000年代に入ると ファイル共有ソフト が日本でも広まります。 WinMX や日本生まれの匿名性が高い Winny や Share といったソフトで 版権もの の映画やアニメ、ドラマ、アダルト動画や 援助交際 などの動画が丸ごと高画質で違法にやり取りされるようになります。
著作権違反で逮捕者が出たり (もうだめぽ/ 2001年11月30日)、暴露ウイルス による個人情報漏洩 (つこうた/ 2005年6月16日) などの トラブル や事件も頻繁に生じるようになります。
その後 Youtube (2005年10月/ 日本語版サービスは 2007年6月19日開始) やニコニコ動画 (2006年12月12日) といった 動画共有サービス が次々にサービスを開始し、こちらも当初は 著作権 的に問題のある違法動画が多く含まれていましたが、徐々に新しいネット動画文化を形成するようになります。 この動画共有サイトの登場と利用者の増大は、カメラやパソコンといった個人が持つデバイスが動画に与えた影響以上のものを生み出したと云って良いでしょう。
現在は安価なデジカメや携帯電話も普及し、気軽に動画を撮影する、それをその場で再生したりデバイス上で 編集 して楽しむ、ネットを通じて友人らと共有するといった行為が当たり前になります。 そして2000年代後半に登場した iPhone が先陣を切る形で日本でもスマホが爆発的に普及 (国内では第二世代モデルの iPhone 3G がはじめての iPhone として2008年7月に発売)、子供から大人まで、いつでも動画を楽しめる時代となりました。
動画が当たり前の時代に
8ミリ映画からビデオ、パソコン、フラッシュ、携帯電話やスマホといった時代の移り変わりを見てきた中で大きく変わったと思えるのは、フォーマットは何であれ、やっぱり「動画を人に見せることが簡単になった」 ことでしょうか。 もちろんフィルムを買ったり交換したり現像したり、ビデオをあれこれ機材を揃えて編集していた時代から見れば、手の平に乗るスマホ一台で全部できるのは、それ自体が驚異です。 未来キタコレみたいな。 しかしこれらは重度の 機材オタ だった筆者からすると、いずれそうなることが予想できたので、実はあまり大きな衝撃はありません (いや、十分に大きな衝撃ではあるんですよ)。
それより何より驚くのは、撮影した動画をすぐにネットで共有し、それを数十万人とか数百万人という規模で個人が世界に 拡散 できるスピード感とスケール感です。 8ミリ映画なんて撮影して現像編集して完成させるまでに最短でも1週間程度、それを人に見てもらうのも大変でした。 筆者は中学の時に1本、高校の頃に2本の8ミリ映画を撮りましたが、イベントや学校の文化祭で上映する際にはガリ版で刷った 告知 の チラシ を友人らと共に配ったり人に声を掛けたりで必死に人を集めて、それでも上映日丸2日かけて3〜4百人程度が精一杯でした。 それがあなた、そこらの携帯ショップでスマホ買って ニコ動なり Youtube なりの アカウント 取ってアップすれば、タイミング次第で誰でもすぐに達成できるのはやっぱりどう考えても すごい、すごすぎ です。
「何かを創ろう」「発信しよう」 と考えるクリエイターな人には、もう最高の 環境 ではないでしょうか。 才能ある人たちの創った動画に若干の嫉妬を持ちつつ、おたく な 界隈 の動画を今後も楽しみたいと思います。 個人的には Flash 全盛期やニコ動黎明期をいち ネット民 として過ごせたのはラッキーだったなぁ…と思います。 次は生成AI による動画でしょうか。 長生きしなければ…。
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