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永遠の別れか、それとも単なる次の生への準備か…「死」

 「死」 とは、生物が活動を完全に停止し、蘇生の可能性もなくなった状態のことです。 ここから転じて、生物以外のものでも機能を喪失することを死と呼んだり、何らかの価値や評価が喪失した場合 (例えば社会的地位や全財産を失う) を社会的な死と呼んだり、それらと区別するために本来の死を 「生物学的な死」 と呼んだりします。

 現在の日本における人の死は、自発的な呼吸と血液循環が停止し、脳の全機能を喪失し、蘇生する可能性もなくなった状態が継続した場合を死亡とし、医師が 死亡確認 を行ってはじめて、その人が死んだと医学的にも法的にも確定されます。

 ただし生物の死は、その定義が非常に難しいものです。 ある瞬間の一点で明確に生と死とが別れるわけではなく、その間には グラデーション があります。 脳が機能を喪失 (脳死) しても、しばらくの間は身体や細胞の一つ一つが活発に活動し続けることもありますし、自発呼吸しなくなり血流もなくなればいずれ死を迎えるとしても、その間には時間的に大きな差があります。 医療の発達により呼吸や血流も今は人工的な処置で代替できますから、いつまでも肉体やその一部を生かし続けることだって可能です。

 脳死は人格や記憶、その人のアイデンティティの喪失とほぼ同義ですから、肉体の状態や存在のあるなしを問わず脳が死んだら人の死だという考えは直感的に納得がしやすいですが、記憶喪失や認知症 (痴呆) で人格や記憶が完全に失われたらその人はもう死んでいるのかといえば、医学的にも法的にもそうだとは認められていないし、家族だって割りきれない感情があるでしょう。

 今後医学や科学や AI が発展し、肉体が朽ち果てても個人の人格を完全にコピー・移植できたら、それは生きていると云えるのかという疑問もあります。 周囲の人間は判断できなくても、本人は自我のあるなしで判断できるという意見もありますし、様々な SF 的なパラドックスも提唱されています。 もちろん自分の脳とコピーした意識とが別れた状態で同時に 覚醒・起動していたら別の自分を 認知 し違和感を覚えるかも知れませんが、睡眠・停止中に一方 (あるいは完全に融合した状態でその一部) のみを覚醒・起動して切り替えたり、交互に入れ替え続けてあるタイミングで切り替えた時、果たしてどちらが自分だったのかを自分で判断するのは難しいかもしれません。 有名なテセウスの船のパラドックスの脳版やスワンプマンみたいな感じですね。

 また老衰による死や突然死のようなものは、まさに生と死が紙一重でもあります。 生きていた時と死んだ時の肉体的な違いはほとんど、あるいは全くなく、ちょっとした外的要因で死んだり今までと変わらず生き続けることもあるでしょう。 一度完全に心肺が停止しても、適切な処置によって蘇生させることだってできます。

 このあたりは子供の頃に誰でも一度は布団の中であれこれ考えたことがあるでしょうし、大人になって多少知識が増えたところで、魂と肉体、精神と物体といった哲学や宗教の教えとも混然一体となってますます混乱し、結論など出るものではないでしょう。 人類が知性を獲得してから恐らくはずっと問い続けてきたものであり、考えるのをやめるにせよ悩み続けるにせよ、あるいは医学や法・哲学や宗教いずれかの見解や 物語 を受け入れるにせよ、いつか迎えるその日に向かって生き続けるしかないのでしょう。

「死」 は等しく誰にでも必ず訪れるもの

 生命あるものに等しく必ず訪れるのが死であり、その運命から逃れられるものはいません。 その意味では 「人はみな平等」 というお題目を担保する最大究極のものであり (メメント・モリ)、また日常にもあふれたものだと云えます。 一方で医療技術が発達し、公衆衛生も行き届き、平和な時代が長く続く日本では、死はどこか遠くにあるもの、現実感のない 概念 のようにも思え、いざ家族や親しい友人といった近親者が亡くなったり、死の可能性が高い大きな怪我や 病気 になった際に改めてその現実を突きつけられ、強く意識するものでもあります。

 死は言葉として非常に重く 強い ものでもある一方、逆に現実感もなく、日常会話、とくに子供や若者などのそれでは、気軽に用いられるものでもあります。 とくに死からもっとも遠い状態であろう子供の頃に自我の発達とともにもっとも強く意識して恐れ、また頻繁に言葉として使われるのが死でしょう。 自我が発達したり自分とは何かを考え始めた頃、それが消えてしまう恐怖はとても大きなものです。 

 「死んだ」 あるいは 「死にそう」、反対に第三者に死を与える 「殺す」、死を願う 「死ね」 などは、意識しないと一日に何度も使ってしまう子供もいるかも知れません。 また若者の間の過剰表現や おたく用語ネットスラング としても用いられ、死亡フラグ爆死尊死 といった言葉もあります。

創作物における死の扱いは様々

 マンガアニメゲーム をはじめ、創作物においても死は重要なものとして扱われます。 とくに 主人公 の肉親や ヒロイン、友人や仲間、重要な影響を与える主要な キャラクター などの場合は、主人公が乗り越えるべき大きな試練として扱われることが多いでしょう。 あるいは ヒーロー ものや人の 一生 を描く 一代記 などの場合、主人公の死をもって話が終わることもあります (死亡エンド)。

 また死んだ後に生き返る、蘇る、死後の世界がある、別の人間や世界や時代に転生するといった、現代の常識では存在しないとされるものが、当たり前に描かれたりもします。 もちろん存命中の人物で実際に死後の世界を見た人はいないので、もしかしたら奇跡のような蘇りや何らかの別世界がどこかにあるのかも知れませんが、現代科学や医学のあらゆる観測結果からは、そのようなものが存在する根拠は見つかっていません。

 創作物における、ある意味で自由奔放な死の取り扱いについては、創る側と受け取る側それぞれ持つ死生観やある程度の社会的な倫理観や常識などに基づき、受け入れられたり拒否されたりするものでしょう。 軽々しく扱うなという声もあれば、ご飯を食べる、寝て起きるなどとさして変わらないほど軽く扱う場合もあります。 「一度死んだキャラは絶対に生き返らせない」 という信念を持っている人もいます。

 これは時代とともに変化するものでもあり、戦後まもなくあたりだと、人の死の扱いが創作物はもちろん報道であっても、現代感覚で見てあまりに 人権 への配慮にも欠けていて驚くことがあります。 今と比べて平均寿命が短かったり、治安 も悪く子だくさんの時代で命の価値が相対的に低かったのかも知れませんが、戦争で大勢の人間が理不尽に殺されたり死んだのに、いまさら1人や2人の死がなんだ、みたいな 殺伐 とした世相も感じられたりします。

 しかしその後世の中も変化し、時代を下るごとに 「なるべく死は避けようよ」「描くとしてもあまりに直接的なのは嫌だよね」「命が一番大事だよね」 みたいな 雰囲気 が強まっている印象もあります。 一方で、それに逆行するかのように極端にグロテスクな死を売りにする 作品コンテンツ も折々でカウンターのように登場しヒットしますし、サブカルの文脈ではむしろ 露悪的 な扱いもされ一様ではありません。 このあたりは作品の ジャンル や取り扱う テーマ によって様々です。

近年はネットを中心に、もはや 「死」 という文字それ自体が避けられるように

 ただし近年にあっては、創作・報道問わず、とりわけ自殺 (自死) については、相当以上に センシティブ な扱いがされるようになったと云って良いでしょう。 心身が弱っている時に自殺に関する物語や情報に触れると、心が引っ張られる可能性が統計学的に見ても有意に高いと判断されているからです。

 また ネット、とくに 動画共有サイト などでは、自殺や自死はもちろん「死」 という文字そのものにセンシティブ判定がされ、投稿 した作品や投稿者に何らかのペナルティが科せられる可能性から、近年は避けられる傾向が極めて強くなっています。 「殺」 や死を教唆する 「死ね」 については、荒らし や何らかの アンチ による罵倒を防いだり脅迫にならないよう 「56す」「氏ね」「4ね」「逝ってよし」 といった 誤変換当て字伏せ字、言い換えにする文化が1990年代の 掲示板 の時代からありますが (死亡を脂肪にするなど、おかしみを狙ったものもある)、近年は客観的な状態を指す一般用語まで 「脂肪事故」 とか 「事故シ」「シ刑」「〇刑」 といった誤変換や伏せ字が蔓延することにもなっています。

 これはこれで仕方のないことなのかもしれませんが、死去とか生死とか死因、死別、死活、九死に一生などなど、死を含む熟語や表現がことごとく誤変換や伏せ字にされたり言い換えられ、言葉としての豊かさを スポイル してしまっているのは残念です (そのくせ英語の death は問題なしとか)。

 ニュース報道などでは死亡や死去に関するものも多く、それらはネットや動画サイトでもそのままの文字列で報じられますが、別にそれで検索結果から除外されたり動画サイトのチャンネルや アカウントBAN されたり動画の収益停止処置などされていません。 言葉狩りのような行き過ぎた自粛や 自主規制 はやりすぎだと思いますが、BAN や収益停止の具体的な理由が開示されないケースが多く、疑心暗鬼になってしまうのは止むを得ない部分もあります。

 「死」 やそれに関係するものを 「穢れ」 として、避けたり遠ざけたり清めたりする文化が日本では昔から根強く存在します。 それがネットの時代になり、理由や動機はともあれ IT の力や 電子化 の流れで強化されるのも、それはそれで興味深いものではあります。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2002年5月10日)
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