国や法律で規制される前に自分たちで… 「自主規制」
「自主規制」(じしゅきせい) とは、ある物品の製造や販売、サービスの提供などを行う企業、もしくは団体や個人などが、自分たち当事者以外の、例えば国や自治体などにより法律や条例で製造や販売、サービス提供についての基準や制限を作られ規制される前に、自ら自主的に規制措置を行うことです。 「自粛」 などとも呼びます。
多くの場合、「開発や販売の競争に晒されているもの」 を製造提供、サービスする複数の企業や団体、個人による任意団体、任意協定で、過度の競争の結果内容のエスカレートにより何か問題が生じたり、それを一因として問題が起こりそうな場合について、しばしば因果関係の有無とはあまり関係がなく 「業界保護」 のために行われるケースが多くなっています。
「国に介入される前に」「法律で縛られる前に」、自ら問題点を解決するというのは、その物品やサービスによりこれ以上問題が生じるのを防ぎ、迅速に消費者などを守るという効果があります。 しかし当事者自らが 「自浄能力」 をことさらに発揮、アピールしてその問題から生じる批判を回避したり (批判が客観的に正しいかどうかはあまり重要ではありません)、単に批判を沈静化させ封じ込めるためのみの目的で行われる場合もあります。
こうした 「自主規制」 は、同じ物品の製造販売やサービスの提供をしている企業などが作った業界団体や連絡会の一部で示し合わせたり、自主規制だけを目的とした専門の団体などを立ち上げて 運営 管理します。 その団体に参加、加盟した企業などは、そこで定められた自主規制や自粛の呼びかけなどに、原則として従うこととなります。 ただし業界が、その団体の方針や主導権などで争い分裂した状態となり、複数の自主規制団体が立ち上がり、それぞれ独自の基準で異なった自主規制を行う場合もあります。
製品に説明をつけたり、製品の内容自体を規制したり
こうした自主規制の発端で多いのは、市民団体などが声を上げ、マスコミなどがそれを報道で取り上げ大騒ぎすることによる 「社会問題キャンペーン」 と、世論の高まりでしょう。
例えば交通事故による死者が年々増え続け、「交通戦争」 が叫ばれるようになると、自動車やオートバイを製造販売している業界団体は様々な自主規制内容を自ら策定して、加盟する自動車会社などがそれを守るようにします。 一例としては車やバイクのエンジン出力 (馬力) などの スペック の上限を決めてそれを超えないようにするとか (行政指導による 280ps 自主規制などが有名です)、スピードリミッターを取り付けたり、危険な速度超過運転を誘発するスポーツ走行の気分を煽り立てるようなテレビコマーシャルや広告の自粛、「安全運転を心がけましょう」 といった文言をカタログや広告に入れ啓蒙を促す…といったものがあります。
こういったものを法律や条令で禁止と決められてしまうと、後でそれを撤廃しようとしても膨大な手続きが必要になりますし、外部の人間がその手続きに決定権を持って必ず関わるようになってしまいます。 同じ自動車会社同士の 「自主的な取り決め」 なら、社会情勢の変化、技術の進歩、輸出のための製品の国際競争力の推移などを見ながら柔軟に対応ができます。
ただし社会的な批判を浴びて自主規制を一旦行うと、それを撤廃するのもそれほど簡単ではなく、そのまま何十年も自主規制がそのままの形で残る場合もありますし、名目上自主規制という建前があるだけで、実質的に国がそれを強く求めている場合 (監督官庁などが懇親会や懇談会、研究会などの報告書でそれを促したり、自主規制しないなら法令で規制しますよと勧告する) もあります。 明文化された規制ではないものの、国や行政は業界の自主規制を前提として通達や運用を行うケースが多く、その意味では全くの自主的な規制ではないケースが大半です。
なおクルマやバイクの出力制限の自主規制は1989年に始まり、運輸省が認可しない方針で1992年からはさらに厳格化。 その後段階的に解除されてはいますが (普通自動車は2004年7月、オートバイは2007年7月)、軽自動車などの規制はその後も続いています。 ちなみに軽自動車の排気量については、1990年に 550cc から 660cc にアップされており、意図的な 「馬力競争」 などせずとも、イヤでもエンジン出力が上がってしまう状況です。 これは排ガス規制によってエンジン出力の低下が懸念される中での判断でもありましたが、結果的に排気系に過度の抵抗を設けるなどして無理やり出力を落として許認可を得、出荷せざるを得ないような状況が20年間以上も続いています。
「自主規制」、違反した場合、厳しいお沙汰も…
こうした業界団体の定めた自主規制に違反した場合、法律で罰せられたり行政処分を課せられるようなことはありませんが (例外もあります)、同業者との 「約束、協定」 を裏切り抜け駆けして破ったことになりますので、多くの場合業界内で罰則が独自に与えられます。 自主規制団体から除名されたり、加盟している他の同業他社や関連企業が取引を停止するなど一斉にソッポを向きますから、業務に深刻な影響を受けたり、商売ができなくなってしまうケースもあります。
なお業界団体によらず、それぞれの企業や団体、個人などが、自分たちだけで社内基準のような形で自主規制する場合もあります。 その場合はそれが社会に対してアピールできるものなら積極的に外部に宣伝、告知 する場合もありますが、多くの自主規制内容は、製品の魅力を抑えたり、コストが多大にかかる 「経営的にはマイナス」 なものが多いので、なかなか上手くいかない現実があります。 おのおのの会社が独自に努力しても足並みも揃わず効果も薄いので、業界団体で全体でやりましょうという形が非常に多くなっています。
また多くの自主規制団体は、政治家や役人に対して説明会を行ったり、業界の立場を説明し支持を取り付けるためのロビー活動を行ったりします。 「私たちはこうした取り組みを自分たちでやっています、だから国や法律で規制するのはやめてください」 という訳ですね。
もっと露骨なケースでは、特定の政治家に団体として政治献金したり、自主規制団体にその業界を監督する関係省庁のお役人を 「天下り」 として役員に迎え入れ、便宜を図ってもらったりする場合もあります。
規制内容に根拠がなくとも、批判を避けるためにはやむを得ず…
自動車のような規格化され内容を数量化しやすい工業製品であっても、法規制を招きかねない状況に追いやる批判に、客観的あるいは科学的な根拠が乏しい場合が少なくないものです。
「エンジンの出力が大きすぎるから死亡事故が起こるのだ」…などは、あまりに短絡的、非現実的で乱暴な主張ですが、交通事故被害者の会のような団体がマスコミの力を借りて大声でそれを主張し世論がそれを後押ししたら、跳ね返すのはかなり厄介となります。
これは、いくら客観的なデータを出しても相手は納得せず、完全に感情的な話になってしまっているからです。 国や政治家は、「なぜ規制しないんだ」 と国民から声が上がれば動かなくてはならなくなりますし、規制をすればするほど自らの権力が拡大するので積極的です。
報道や表現、通信など、規制が難しい分野では…
様々な安全、品質管理のための法律で規制がされていて、品質や構造を数値化でき販売が許可制となっている工業製品などに比べると、表現の自由 によって国が内容に対して原則として規制 (検閲) を行えない出版や放送、言論やその他全ての表現に対する 「自主規制」 は、さらに感情論、印象論が支配し、根拠が乏しい独特なものとなります。
こうした表現に対する自主規制は、「自らが節度を持って自制しなければ、結果的に公権力に口実を与え介入を招く状態に陥りかねない」 という、過去の様々な言論弾圧事件への反省などもあり、古くから欧米などで行われていました。 もっぱらその テーマ となるのは、社会秩序を乱し社会不安を煽るような 「デマ」「偽情報の流布」 と、風紀を乱し青少年に悪影響を与えると信じられている 「ポルノ」「暴力表現」 や 「犯罪表現」 となっていますが、国によって、あるいは時代によって、その規制範囲や目的、名目は様々なものとなっています。
今日の出版・放送・上映などの自主規制の 「形」 を作ったのはアメリカの映画産業の影響が大きく、日本における出版や映像、ゲーム作品などの自主規制も、戦後アメリカによるGHQの統治時代に、アメリカの映画産業の倫理規程策定と運用、及び レイティング (Rating/ X指定、R指定 など) の考え方と仕組みが、そのまま持ち込まれたものといって良いでしょう。
これらが作られた当時、映画はまだ 「新しいメディア」 で、他の既存メディアから商売敵として批判されやすかったこと、動く映像と言葉 (文字)、後には音声や音楽まで扱えるようになった映画は、それまでのあらゆるメディアと決定的に異なる大きな影響力を持っていると目されていたからなのでしょう。
当初は 「統治国のメディアを検閲する目的」 で設置
日本で現在まで続くこの種の倫理規程や団体が設立されたのは、アメリカ統治下の1945年に、占領軍GHQの指導と強い要請によってでした。 要請とは云え実際は有形無形の強制力があるものでしたが、あくまで民主主義国家としての表現の自由を国は守るべきだとの建前は持っていました。 後に現在の 「映倫」(「映画倫理規程」 と 「映倫管理委員会」) になる、映画産業の自主的な審査機関とその審査基準が設置され (「映画倫理規程」(1949年) と 「映画倫理規程管理委員会」)、守るべき指針とされました。
こうした取り組みはその後、ラジオ、テレビでも順次行われ、放送法の番組編集準則にそった 「番組基準」(放送基準、いわゆる 「放送コード」) が各放送事業者、その業界団体 (民放連/ 日本民間放送連盟 や BPO/ 放送倫理・番組向上機構 など) で作られ自主的に守られたり、新聞社、通信社なども日本新聞協会などを作り、独自の倫理基準やガイドライン、同業他社との協定などを作って運用しています。
出版に関しては、戦後雑誌がブームとなり、その一部の内容に 「低俗だ」 との批判が出たり、1954年アメリカの コミックコード を巡る騒動や、その影響を受けて日本で1955年から吹き荒れた 悪書追放運動 を受ける形で、1963年に出版社や取次会社、小売書店の関連4団体が 「出版倫理協議会」 を設立。
雑誌や出版物等に関する青少年関連施策 が定められ、各地方自治体などで 有害図書 と指定された出版物等に対して、未成年者に読ませないための各種表示 (18禁マーク や 成年向け雑誌マーク など) を行ったり、問題図書の自主回収などを行うよう、出版社に対して通知などを行う活動をしています。
行き過ぎた自主規制と自粛
これらの自主規制が、「お上の規制」 を招かない業界側、民間の努力義務やある種の 「知恵」 なのはこれまで見たとおりですが、一方で、日本社会特有とも云われる強い同調圧力、「長いものには巻かれろ」「右むけ右」 の 雰囲気 が、結果的に法規制を上回るギスギスした自主規制、忖度含めた異常なほどの過剰反応による行き過ぎた規制に結びつく場合もあります。
自主規制を行う業界団体に所属している企業から、「縄つき」(逮捕者など) がでてしまっては、公権力からの介入を招くきっかけとなったり、業界全体にイメージの悪化をもたらすなど迷惑をかけることになります。 「自分だけはそうなるまい」 と、他社の顔色を伺いながら自粛が行き過ぎるケースが多いものです。
自粛や自主規制は 「ムード」「空気」 が支配しますから、いったん規制方向に風が流れると、それを跳ね返すのはかなり大変です。 誰もが内心 「これはおかしい」 と思っていても、それを口に出すのがためらわれる雰囲気に支配され、それが慣例として踏襲され続けます。 規制すべきと主張していた国や国民が時間と共に無関心になっても、あるいは社会情勢の変化でそれが無意味なものになっても、他ならぬ同業他社から厳しい目を向けられてさらに萎縮してしまうのです。
これは一つには、自主規制団体に加盟している会社や個人は、基本的には同じ市場で争う商売敵、ライバルだという点も小さくないでしょう。 他社が売り上げを伸ばし シェア を奪えそうな新しい技術や独創的なアイデアを産むと、「同業他社の足を引っ張るため」 に、自主規制が悪用される場合もあるのですね。 いやそれが、悪意から出た悪用ならまだ救いがあって、場合によっては業界のために良かれと思って同業つぶしに邁進するような、ある意味で歪んだ社会正義追求の姿勢がはびこる温床となっている場合もあります。
こうしたものが慣習化する場合もあります。 よくあるケースでは、芸能事務所がライバル事務所のタレントや自分の事務所から独立・移籍したタレントなどをメディアから 「干す」 ために行う圧力や、それに対するメディア側の過度の自主規制や自粛でしょう。 お役人や国民からの声と異なり、いち芸能事務所などの顔色を窺って自粛するのはおかしな話ですし、芸能事務所 (や、それらが加盟している業界団体) からのあからさまな圧力は明確に独禁法違反となりますが、業界の暗黙のルール、慣習として今なお残っているのは、いちいち具体的な例は挙げませんが、過去の様々な芸能関係の トラブル・裁判沙汰などで明らかになっているところです。
様々な レベル の圧力や世間の空気、利害関係の、いったいどのあたりでバランスを取るのか、どう 「手打ち」 とするのか、そのせめぎ合いは工業製品にしろ表現や報道などの創作物にしろ、今もずっと続いています。