頭が働かなくなったり、脳のスイッチを OFF にしたり 「脳死」
「脳死」 とは、医学の分野における死の 概念 のひとつで、脳幹を含む大脳・小脳という脳全体の機能が失われてしまった状態を指す言葉です。 この段階となると 回復 する可能性はないと判断され、現代では脳死がすなわち人の死だと認識されています (後述します)。
これが転じて、医学的な意味ではなく、単に緊張や驚きで頭が真っ白になってしまう、思考が停止してしまう、頭が回らない、記憶が飛んだといった日常生活でありがちな状態の比喩として脳死を使う場合があります。 また ゲーム の世界において、何も考えず脳のスイッチを切ったかのように 虚無 の心持ちで同じステージやマップをひたすら ボット やスクリプトのように 周回 をすることを 脳死周回 と呼ぶとか、ブラック企業や悪徳宗教団体などに洗脳され、自分の頭で考えることをせずに云われるがままに操られる様を指すなど、アレンジされた様々な使われ方がされます。
一方 ネット の世界においては、1990年後半頃から盛り上がった、いわゆる 「テキストサイト」 の流れの中で、悪目立ちする一部のサイトや 管理人、その取り巻きや 凸する ヲチ者 (ネットウォッチ者)、掲示板 の利用者らを揶揄・罵倒するような使われ方もしています。
テキストサイト (テキサイ) が大ブームとなる中、アクセスアップや人気ランキング争いなども激しくなりますが、不必要に論争や 炎上 を招きかねない過激な意見や主張、パクリ疑惑や根拠が不十分なそのレッテル張り、目立つための 逆張り など何かと面倒や厄介ごとを引き起こす人たちも多数現れ、これらを苦々しく思う ネット民 が 「まともな思考ができないやつ」 との意味で脳死とか脳死系と呼ぶような使い方でした。
なお類似の言い回しで比較的広く使われているものに、野球用語の 「ボーンヘッド」(ガイコツ頭) があります。 ガイコツなので脳みそがないとの意味で、愚かな判断を行った監督や選手などにアホだバカだ脳なしだという ニュアンス で使われます。
いずれのケースにおいても、現実に存在する症名や病名を指す言葉であり、しかも人の生死や脳機能のあれこれといった部分を指す非常に重い言葉でもあるため、当然ながら 「気軽に冗談として脳死だなどと云うな」 という意見もあります。 症名病名を使った俗語はたくさんありますが、使う場合にある程度の配慮なりがあっても良いでしょう。 少なくとも当事者や関係者にとっては冗談で使えるほど軽い言葉ではありませんので。
人の死と脳の死、植物状態の人
脳死といった言葉が医学の世界から 一般人 の間でも広く使われるようになったきっかけは、1960年代頃からの植物状態になった人の延命措置の是非という文脈で語られていたものでしょう。 人の死とは何か、あるいは人の意識とか心、人そのものが何かを考える大きな テーマ のひとつでもあり、当事者家族らの苦悩を通じて医療・倫理・宗教的な問いを行うノンフィクションやフィクションがいくか出ていました。
この時代の おたく に身近な代表的表現に、手塚治虫さんの マンガ 「ブラック・ジャック」(1973年11月〜1983年10月不定期の休載期間あり 全242話) における、植物状態の母親と息子である少年トッペイを描いたエピソード 「植物人間」 があります。 後に単行本未収録となったことで封印された問題作だと様々な憶測を呼んだ作品ですが、作中に 「脳の死」 といった表現で、植物状態を説明するくだりがあります。
作中では植物状態から意識が戻った例を挙げつつ、現代の医学や医療機器技術では確実な脳死判定などできないとした上で、植物状態の母親と息子の脳をつないで意思疎通を図ります。 命の不思議さや 尊さ、絆、人間の賛美を幻想的に描き、息子が将来医者になって母親を治す未来を希望的に暗示させるものでした。 これは母親を不発弾の爆発事故で亡くした (そして本人も顔に大きな縫いキズができるほどの大怪我を負った) 黒男(クロオ/ ブラックジャック) 自身の過去にも通じるエピソードともなっています。
また アニメ 「宇宙戦艦ヤマト 完結編」(1983年) において、初代 (無印) で地球帰還寸前に亡くなったはずの沖田艦長が復活した際に、いぶかしがる 主人公 古代らヤマトクルーに対し軍医の佐渡酒造が、「そうか、艦長がなぜ戻ってこられたか、それを聞きたくてうずうずしとるんじゃろう古代」 と問いかけ、古代が 「ええ」 と答えると、「実はな古代、沖田艦長が倒れられた時、わしの誤診でな、まだ脳死に至っておられなかったんじゃ」 と述べるシーンなどがあります。
臓器移植を巡る論争
その後、1980年代末から1990年代頭にかけて臓器移植を巡る議論や報道が活発化。 脳死が人の死かどうかを巡り、より大きな社会的論争が巻き起こりました。 日本においては文化的な倫理観の問題や、とりわけ札幌医科大学で1968年に行われた国内初となる心臓移植を巡る問題、いわゆる和田心臓移植事件から、脳死や臓器移植に関する研究はもちろん議論ですらタブーのような扱いとなり、長らく停滞が続いていました。
医療技術の進歩により世界の医学界が臓器移植で次々に人命を救うといった成果を挙げる中、日本でも脳死や臓器移植を巡る議論が活発化。 政府の特別立法によって脳死と臓器移植の臨時調査会が発足し、1992年に最終答申として打ち出された内容が、今日の脳死に関する社会的コンセンサスの元になっているといって良いでしょう。
1997年には臓器移植法が施行され、本人が生存中に臓器提供の意思を書面で表示する 「臓器移植意思表示カード」 なども作られ、脳死下における臓器提供・移植が可能になりました。 メディアでは連日脳死の話題が報道され、日常会話で使われる言葉の意味はともかく、脳死という言葉がこれ以降より広がることとなりました。