馴れ合いの対義語、「殺伐」
「殺伐」(さつばつ) とは、とげとげしく荒涼とし、ピリピリと神経質で思いやりや温もりのないささくれだった状態のことです。 ネット の世界では、通常 馴れ合い の対義語となっており、無駄な挨拶や内輪話、情の通い合いなどのない、ドライな関係や状態、空気を表します。
「殺伐としている」 というのは通常の会話でもよく使われる 普通 の日本語、言葉です。 ですのでネットの世界でも昔からそれなりに使われていた言葉ですが、2000年代以降に頻繁に聞くようになったのは、やはり 掲示板、2ちゃんねる における 吉野家コピペ (2001年4月〜) の大流行と、その中にあった 「吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。」 のフレーズからでしょうか。
嫌われる馴れ合い…その結果が 「匿名」 と 「殺伐」
「殺伐」 の対義語が 「馴れ合い」 というのは先に見たとおりですが、ネットの世界では、この 「馴れ合い」 は比較的嫌われる傾向にあります。
もちろん場所によって参加者の好みは様々ですが、とりわけ 「面白い ネタ の書き込み」 や 「情報」 を取り扱う掲示板では、当事者以外が読んでも無意味な他人に向けた挨拶や、自分と何の関係もない赤の他人の独り言など、「読むだけ無駄」 です。 さらに一部の人が馴れ合って妙な派閥や グループ を作ると、新しく入ってきた人が疎外感を味わったり、面白い書き込みなどがどんどん減っていってしまいます。
こうした書き込みが嫌われるというのは、ネット接続のコストが高かった パソコン通信 の時代にもありましたが、当時は ハンドル (固定ハンドル) がほぼ必須で、会員 ID なども表示されてしまうため、最低限の礼儀や挨拶をするというのは、やむを得ないことでした。 まぁ複数の アカウント を使い分けて論争や バトル に明け暮れていた人も結構いますが w
それが インターネット の時代となり、固定・固有のハンドルを デフォルト で持たない 「匿名掲示板」 が人気となると、「どこの誰かわからない」=「余計な気を使わず、その場その場で話題ごとに関係を切り分ける」「感情をそのつど捨てる」 ことが出来るようになりました。
とはいえ参加者は人間ですから、好意的な レス を返されるとうれしいですし、ついつい身内の話もしたくなります。 そこでそうした 「馴れ合い」 につながる書き込みを攻撃することで排除する 「殺伐」 という考え方が強まることとなりました。
誰かが個人的な書き込みをしても、「ここはお前の日記じゃねえ」「そんなことは チラシの裏 にでも書け」 と罵倒されますし、つまらない挨拶や面白くない書き込みをすると、「誰もお前なんか必要としてないんだよ」「うせろ」「氏ね」「死ね、氏ねじゃなく死ね」「回線切って首つって死ね」「タヒね」 などと叩かれることになります。
しかし一方で、面白い書き込みや、面白いネタを作って公開すれば ワロス、コーヒー吹いた、GJ、神 などと賞賛されますし、良い意見を書けば 禿同、念 と賛成してもくれます。 こうしたことの積み重ねで、面白いネタや書き込みだけを伸ばし、そうでないものを切り離してゆくことになりました。
こうしたやり取りは、初めてやってきた人には 「怖い場所だ」 と感じられ、嫌われるケースも多いのですが、是々非々での対応が徹底している点で、無駄な配慮をしなくて物事がスピーディーに決まると、その有益性をありがたがる人も多いものです。 「誰が書いたか」 ではなく 「何が書いてあるか」 だけが価値の判断基準ですから明快です。
俗に 「半年 ROM れ」 などとも云いますが、その場所、コミュニティの空気を過去の 書き込み などから読んで (読みすぎるとそれはそれで面白くなくなりますが)、自分にあう掲示板、コミュニティとうまく付き合いたいものです。