同人用語の基礎知識

ハンドルネーム/ HN/ ハンネ

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自分で付けられる自分の名前、「ハンドルネーム」

 「ハンドルネーム」 とは、パソコン通信インターネット などの通信の世界で、自分で自分を表す名前、愛称、ニックネームのことです。 略して 「ハンネ」 とも。 本人が 掲示板書き込みチャット などで名乗って使ったり、個人を識別する名称として他人が使ったりします。

 他には 「ハンドル名」 や、単に 「ハンドル」 と呼んだり、「Handle Name」 を略して 「HN」 としたり、パソコンのディスプレイに表示される名前との意で 「スクリーンネーム」 と呼んだり、後にハンドルのないのが当たり前のようなコミュニティ (いわゆる匿名掲示板など) が人気になると、「名無しではなくいつも決まったハンドルを使う人」 として 「固定ハンドル」 略して コテハン と呼んだりもします。 また本当の 「ハンドル」 を明かしたくない人が、その場限りの名前として使うものは 「捨てハンドル」 略して 「捨てハン」 などとも呼びます。

 代々受け継がれるラストネーム (姓、苗字、ファミリーネーム) や、親につけられる戸籍上の実名 (ファーストネーム) や、友人らにつけられるあだ名、ニックネームなどと違い、自分で好きなものをつけることができ、基本的に周りの人もそれを尊重してくれますから、ネット への依存度が高い人にとっては、まさに第二の名前とも呼べる大切なものでしょう。

ところでなぜ 「ハンドル」 なのか

 「ハンドル」 の語源については諸説あるようです。 有力なものには、長距離トラックのドライバーが暇つぶしと交通情報、警察の取り締まり情報などをやり取りするために使っていたアマチュア無線、CB無線のニックネーム (トラックのハンドルを握っている人の意) から転じたものとする説があります。

 警察の取り締まり情報のやり取りや、中にはちょっとしたエロ話をする場合もあり、本名やコールサインは名乗れないので、「ハンドルは○○がお送りしました〜」 みたいな感じで、自分で考えたニックネームを名乗っていたんですね。 これが後にネットの 「チャット」 などで 「チャットネーム」 として転用されたという説です。

 もうひとつの有力な説としては、コンピュータプログラムの橋渡しをする番号のようなもの、「ハンドル」 に由来する説などがありますが、う〜ん、これはどちらもありそうな感じです (他にもいくつか説があります)。 無線由来の言葉は オタク 界隈 や初期の 「パソ通」 時代には掲示板やチャットなどの世界で用語がいくつか引き継がれているので (アクティブ、現着、チャージ、ワッチ など、俗語的なものが多い)、筆者 は自分が昔無線などをやっていたこともあり、トラック運転手のCB無線スラング転用説が近い感じがしますが、う〜ん、どうなんでしょうか。

 また 「ハンドル」(Handle) それ自体に 「名前」 の意味が含まれているので、「ハンドルネーム」 は誤りだ、単独の 「ハンドル」 だけが本来は正しい、とする説もありますが、元々この言葉が使われだしたアメリカなどでも 「Handle Name」 は使われている場合がありますから、「ハンドルネームは誤りだ」「使うべきではない」 とまで決め付けるのは行き過ぎのような感じもします。

実名主義とハンドル主義

 実名どころかハンドルすら使わない 「名無し」 はともかく、ごくごく初期の通信の世界では実名が結構多かったので、「本名を名乗らず適当につけたハンドルを使うのは卑怯だ」「匿名だ」「偽名だ」 との意見がよく叫ばれていました。 「名前を名乗れない者の意見など、聞くに (読むに) 値しない」「単なる 便所の落書き だ」 という訳です。

 実際は 「ハンドル」 であっても長く使うとそのハンドルそのものに対する信頼性がネットの世界で育まれ、顕名、通名、符牒としての意味や価値が高まりますし、世界中に1つしかないハンドルと、同姓同名が多数いる実名とでは、個人の 特定 の意味で前者が勝るとの意見もあります。 初期のパソ通の時代には、ハンドルから容易に本名を調べることができましたし、作家のペンネーム、タレントの芸名のように、むしろ本名よりそちらの方がその個人をよくあらわす場合もあります。

 まぁコロコロと年がら年中ハンドルを変更する人の場合は、これらの条件には当てはまりませんが、究極的には 「誰が書いたことか」 より 「何が書いてあるのか」 が大切なのがネットの世界ですから、上手く使い分ければ良いのではないでしょうか。

総務省が 「実名でのネット利用」 を提言

 2005年6月になり、総務省が自殺サイトやら薬物、劇物情報サイトやらがあふれ 「有害情報の温床」 ともいわれるインターネットを健全に利用するために、ネットが持つ匿名性を排除し、実名でのネット利用を促す取り組みに着手する方針を固めたと発表。 具体的な方針は見えていませんが、お隣韓国がやっているように、ネット接続には住民基本台帳番号の入力を必須にするとか、そういう感じでプロバイダを規制してゆきながら、いずれは署名記事を デフォルト にしてゆく流れにしたいのでしょうか (そうとう難しいと思いますが)。

 言葉どおりの実名というより、顕名というか、完全に個人を特定できる 「ハンドル」 があればいいのかも知れませんが、匿名性が低いとされる blog や ソーシャル・ネットワーキング・サイト (SNS) を小中学校の教育で活用するよう求め、匿名での掲示板書き込みなどを規制してゆくつもりなんだそうですが…。 しかしこれ、自殺サイトや爆弾の作り方サイトなんかとはまた別に、完全に 2ちゃんねる あたりも標的にしてますね。

 上でも述べていますが、パソ通やインターネットも出始めの頃は、実名が中心でした。 アメリカの黎明期はともかく、日本では元々大学で情報の 共有 などに使われて広まっていたことから、これは当然なんですが (筆者が生まれて初めてウェブを触ったのも10年以上前の某国立大の研究室でした)、「個人情報の悪用」「プライバシー保護」 の観点から、必要に迫られてどんどん個人特定可能な情報を消していった流れがあるんですよね。 別の言い方をすると、ネット利用者らが、実社会では実現しづらい自由な世界を、ハンドルを使うことによって実現したとも云えます。

 単に新しく出さなくなっただけでなく、すでに出ている情報を消す必要もあり、「実名はなるべく避けましょう」 という状態になった際には、かなり面倒な手続きを経て、苦労して消していました (過去のコミュニティへの書き込みだけでなく、大学や企業での研究発表や論文などに配慮して、管理人メール でいちいち連絡したり、されたり)。

 インターネットの前のパソコン通信は、ほぼ匿名性などない世界でしたし、元々実名主義でやってきて、「弊害があまりに多い」 から、個人情報や実名、メールアドレスすらネット上の 露出 を制限する方向に結果的になっていた訳で、いまさらそれを逆転させることが正しいんでしょうか。 最初っから偽名を使う気満々の人、実名を出すことになんの躊躇もない少々頭のおかしい人、あるいは何か強力な組織なりグループなりを後ろ盾にもっている人だけが喜び、かつネットで大声でしゃべれる様になる施策だと思うんですが。

「誰が書いているか」 ではなく、「何が書いてあるか」

 もちろんウェブが登場する前、パソコン通信の時代にも、実名主義かハンドル (匿名) 主義かで、それなりに議論はあったんですよね。 でも、「鈴木一郎」 みたいなありふれた名前と、めったにない苗字や名前では、そもそも平等の実名性が担保されるのか、とか、結婚 して苗字が変わったら、それだけで結婚した、あるいは婿養子に入ったって個人情報が漏れるじゃないか、とか、当たり前の意見で実名主義は随分と分が悪かった印象があります。

 またそれとはまったく違ったベクトルの話ですが、リアル世界の価値観や情報を、ことさらにネットの世界に持ってくるのが正しいのかどうか、って意見も結構ありました。 つまり既存の権威や権力を新しい世界、ネットでリアル社会と同じように再び振りかざすのは良いことなのか…といった意見ですね。

 これはインターネットの時代になって、馴れ合い を防ぐ、という意味とともに、匿名性、名無しを支持する有力な考え方でもありました。 大新聞社や大マスコミ、著名人などが、それらの肩書きを使って物をいうのを、ネットの世界では軽蔑していたんですよね。 すなわち書いている者が誰であろうと、それが良いものか、意味のあるものかを判断するのは、書いてある文章こそが全て、肩書きも名前も関係がないという考え方です (後にこうした考え方は、2005年に登場した 「フラット化する世界」(The World Is Flat: A Brief History of the Twenty-first Century) を拡大 解釈 する形で再定義されています)。

 外から閉ざされたソーシャルネットに関しては、パソ通的な世界への回帰が感じられて、それはそれでアリだと思いますが、そもそも閉ざされたネットワークではなく、外部のネットワークへ有機的につながっているのが便利だからインターネットが普及してきた訳で、ネットのいち ジャンル としてソーシャル系や実名主義は生き残っては行くけど、それが全体を覆うとはとても思えません。

規制一辺倒ではなく、根本からの対応を

 次から次へと生まれてくる新しいサービス、技術を一つ一つしらみつぶしに規制してゆくのではなく、例えば メディアリテラシーネットリテラシー の考え方のように、自分にとって有益で良い情報とそうでない情報、正しい情報と虚偽の情報とを見分ける意識の啓蒙、つまりは 「仕組み」 や 「インフラの整備」 ではなく、利用者の根本的な 「教育」 に力を入れる方が、結局は早く、またコスト的にも安上がりとなるような気がします。 いずれにせよ、有害かどうかなんて見る人の基準によって違うんですから、一律で規制、実名にしろってのは無理があるように感じます。

 まぁとりあえずは、「実名にしろ」 と主張している総務省の役人さんが、まずは民間人に先立って、ネットで実名や個人情報をどんどん 晒し て意見を発表したらいいんじゃないでしょうか。 筆者のようにハンドルが 「うっ!」 の人間がいっても説得力ないかも知れませんが、このハンドルで1995年からネット上に文章を書いていますから、有名でもない実名で書く文章よりは、ずっとずっと気を使っているつもりです。 そういう人も、少なくないと思いますが。

 2010年になり、日本でも実名制を必須とするフェイスブック (Facebook) などのサービスが盛り上がりを見せているようです。 ネットはリアル社会と断絶した架空の空間ではなく、当たり前の話ですが密接に繋がっているものです。 しかし場所が変われば、仕組みやルール、マナーも自ずと変わるものでしょう。 ネット規制の点も含め、どのように発展して行くのでしょうか。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 1999年12月20日/ 2005年6月27日の日記の再構成です)
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