セラムンファンって、草ネット上がり多そうですよね…
ボランティア・個人の 趣味 ベースで 運営 される、非営利・テキストベースの パソコン通信 ホスト局を一般に 「草の根BBS」 と呼びます。 略して 「草ネット」 とも (何故か “草B” とはあまり呼ばれませんでした(笑)。 BBS は、「Bulletin Board System」 の略で、日本語に訳すとそのまんまですが 電子掲示板 という意味です。
規模も種類も多種多様で、大手商業ネットに匹敵する規模を持つものから、本当に個人が自前のパソコンと1本しかない電話回線とホスト局用通信ソフトを頼りに運営するものまで、全国各地に様々・個性的な草ネットが多数誕生し、運営されていました。
なお大手商業ネットのうちでも、ASCII-NET、NiftY-Serve や PC-VAN、マスターネット、CompuServe あたりはさすがに別格でしたが、地方展開のみの小さい商業ネットなんかも、草の根っぽい 雰囲気 で人気があったりしました。
実際の草の根 BBS の姿は…
インターネット・ホームページや、また自動巡回ソフト利用による大手商業ネットしかご存じない方には、ちょっと実際の 「草の根BBS」 の雰囲気は、想像できないかも知れませんね。 MS-DOS の画面で、プロンプト (¥>) にコマンド (GO FCG 等)を直接手動で入力して巡回するような感じの、今から考えるとかなり 地味〜 な感じの場所だったんですが、それはそれで当時は楽しくワクワクする空間だったんですよ。
現在一番見た目が近いのは、2ちゃんねる などに代表される掲示板系サイトでしょうか。 画像 の表示や リンク 類を除いて、操作系をキーボードオペレーションのみにしたら、見た目はかなり近いイメージだと思います。 AA なんかが多用されているところもそっくりで、歴史は繰り返すんだなぁ…とか、思ってしまいます。
ただし電話回線一本で運営しているホスト局の場合は、同時接続できるのは最大で2人だけ (電話線を使って外部接続する人と、ホストとなるパソコンの前に座っている 管理人 w)、もし外部からやって来た人が ダウンロード でもしまくって回線を塞ぎっ放しにしたら…他の人は話中で全くアクセスできません。
機種依存もバリバリで、MS-DOS パソコンと Macintosh、X-68000 なんかには、有形無形の互換障害がありました。 せっかく接続できても、機種依存文字 で読めなかったりエラーになったり。 さらに音響カプラやモデムのほかに、数万円もするパソコン通信ソフト (ウェブでいう、ブラウザのようなもの) を買わなければなりませんでした。 無料の通信ソフトもありましたが、それをダウンロードするためには通信ソフトの購入が必要だったりで、身近にパソ通をやっている人がいないと、何をするにも万札が飛ぶ勢いでした。
というか、当時はそもそもパソコン自体が高価でしたね。 もちろん電話代は、定額サービスどころかテレホーダイもありませんでしたから、長電話をしているのと同じ状態の料金を支払う必要がありました。 インターネットしか知らない世代にとっては、ちょっと信じられないくらい不便な 環境 でしたね、当時は…。
キラ星のごとく咲き乱れた全盛期のパソコン通信ホスト局
同人の世界で著名なところでは、後に 商業化 宣言を行った 東京BBS、現在では活動を停止している CATCG・NET あたりが、燦然とネット界に与えた影響力とその功績を輝かせています。
このほか、「ナツメネット」「まきちゃんネット」 や 「聖まりあんぬBBS」 や 「ALTAネット」「ふぁんきぃ核爆ネット」「メイプルタウンネットワーク」「Sunday Net」 なども、ウェブ時代の現在にあっても元参加者が 「残党」 を自認してやまないほどの影響力を持っていました。 様々な障害を乗り越えた者が集う、しかも趣味を同じくする者同士のコミュニティでしたから、アットホームで居心地の良い、一体化を強く感じる雰囲気がありましたね。
もっとも当時は、個人でやってる 「草の根BBS」 でも ID と パスワード 管理は結構きちんとやっているところが多く (自宅の固定電話を利用させる訳ですし)、例えばユーザ登録などは郵政メール (電子メール ではなく、ハガキや封書) を使って行なっていました (ってか、それしか方法はなかった訳です
筆者 は当時いくつかの草ネットに出入りしていましたが、東京BBS、CATCG・NET の2つの ネット から受けた影響はとりわけ大きかったですね。 ネットごとにいろいろな特色あるソフトやローカル用語が生まれ、それらが 同人イベント の場で混ざり合い、さらに新しい言葉が生まれたり、地方のネットで生まれたフリーフェアソフトやすごい CG を、コミケ や 「パソケット」 の場で全国から集まった草の根BBS利用者同士で フロッピー で交換したり…今とはまた一味違う目的や喜びが、当時にはありました (うちにも郵便(!)で、辞書データファイルの転載許可のお願いが届いたなんて事がありました)。 → 三大ライブラリ
なお、現在ではインターネットの急速な普及により、こうしたテキストベースの小規模な 「草の根BBS」 局は残念ながら消え去ろうとしていますが、それらで活躍されていた多くの方々が、ともすれば匿名性ゆえに暴走しがちなインターネットの世界で “ネットの先輩” として模範となっているのは、同じ草ネットやパソ通出身の筆者にとっても、寂しいながらも嬉しく心強い出来事ですね。
ちなみに我がサークル 《ぱら☆あみ》 は、パソコン通信時代の NiftY-Serve を拠点としていましたが (PC-VAN にも支店あり)、うち鹿児島に在住の仲間が地元で草ネット 「《ぱら☆あみ》BBS (鹿児島支店)」 を運営して下さっていた時期もあります。 なお現在の《ぱら☆あみ》ウェブサイトの設置は 1998年からですが、この方が1996年頃に立ち上げてくれたウェブサイトが、《ぱら☆あみ》の初代ホームページだったりします。
代表的なBBS用ホストプログラム
パソコン通信のホスト局を構築、運営管理するためには、ホストプログラムと呼ばれるものを利用します。 フリーウェアでは 「MASH」 が良く使われていて、他にも 「KTBBS」「RTBBS」「WANI-BBS」「VS」 など様々なソフトがありました。 市販品では、「FirstClass」 や 「BIG-Model」「TeleFinder」 などがその代表でしょうか。 当然ですが、それぞれ操作系も異なり、対応する通信ソフトや回線接続状況も左右されます。
インターネットなどでおなじみの Web サーバなどに比べると、画像を扱えない、操作や構造がまったく違うなど今となっては地味な印象を受けますが、テキストベースなだけに極めて高速な処理が可能で (と云うか、当時は接続スピードがあまりに遅かったので、そういう仕様でしか使えなかったんです
ホスト内部のユーザのアクション (命令) は、コマンド入力方式なので面倒に感じますが、実際はスクリプトによって自動制御が可能だったので、慣れるとインターネットでホームページ (Web) を閲覧するよりもずっと効率的に情報を集めることが出来ました (ただしインターネットのように、他のネットワークと有機的につながっている訳ではないので、情報の絶対量は比べるべくもなかったりするんですが…)。
そしてパソ通は、過去の思い出の中へ…
なお、現時点では少数になったとはいえ、まだまだ草の根BBSは存在しています。 「telnet」 を利用して、ウェブ上から簡単に接続する方法もあります (「秀Term Evolution」 のような対応パソ通ソフトがあると便利ですが、Windows に標準付属している 「Telnet.exe」 や 「ハイパーターミナル」 でも利用可能です)。
また大手商用BBSである NiftY-Serve (@nifty) や 「Asahiネット」 でも、憎っくき 2000年問題を乗り越え、嬉しい事に未だにパソ通部門を営々と運営していて、うちのサークルでも 1995年から現時点まで、「@nifty」 においてパソ通BBSをずっと維持していたりしますw (2007年3月末についにサービス終了しました…)。