個人間の感情を優先するのか、場の空気を大事にするのか…馴れ合いと殺伐
「馴れ合い」(なれあい) とは、ネット の上の 掲示板、例えば あやしいわーるど や あめぞう、2ちゃんねる、ふたば などの利用者同士が必要以上、過度に親しくなること、あるいはそうした状態を意図したり目的として書き込む個人的な発言 (チラ裏 レベル の レス) などのことです。
こうした 書き込み や 「馴れ合い」 が続くと、例えば 「馴れ合い」 の輪に入っていない他の参加者が疎外感を味わったり、古株が取り巻きを従えて場を仕切り、新規 の参加者などが入りづらい 雰囲気 になったり、あるいは 「挨拶」 や個人的な書き込み (赤の他人には何の価値もない) が増えて、場が淀んだりします。
一部の 「馴れ合っている人たち」 には居心地が良くても、他の多くの人が不愉快になったり、当事者以外には無意味な書き込みを無関係な人がいちいち目にし、無駄な時間を過ごしたり、無駄な通信料を払わなくてはならなくなります。 と云う訳で、コミュニティによって温度差はあるものの、いわゆる匿名系掲示板などでは、否定的な意味で使われるケースが大変に多い言葉となっていますね。
ただし本来話すべき テーマ の話題が枯れてきて、長期間発言がなく過疎となっている場合には、あえてルール違反である慣れ合い話で活性化するといった特殊なケースもあります (賛否両論あります)。 また一部の参加者同士だけが裏でグルになっている… リア友 とそうでない人とで極端に対応に差がある…といった意味で 「馴れ合い」 を使う場合もありますが、これはその人たちと距離を持つ人の、単なる被害妄想の場合も少なくありません。
その後は掲示板以外のコミュニティサービスでも馴れ合いが否定的な意味として使われるケースが次々に登場。 例えば mixi の慣れ合い、ニコニコ動画の慣れ合い、ツイッター の慣れ合いなども、概念 として使われるようになっていますが、元々が慣れ合うためのサービスの場合、部外者からのただの難癖の場合も少なくありません。
一方、「はてなブックマーク」 のような オンライン で ブックマーク を 共有 する ソーシャルブックマークサービス の場合、自分たちが 運営 するサイトや ブログ が注目されるよう、仲間同士でブックマークし合うケースもあり、こちらは単なる馴れ合いなのか、あるいはある種の スパム行為 なのか判断が難しい場合もありますが、おおむね批判的に見られるようになっています。 こうした行為は 互助会 などと揶揄されます。
荒れているのと、殺伐としているのとは、また微妙に違う難しさ
ちなみに 「馴れ合い」 の対義語は、一般的に 殺伐 となります。 また殺伐としていると 荒らし がいる、荒れているというのとは、状態が全く異なるばかりか、概念それ自体が全く違いますので、注意が必要です。
まぁ掲示板の初心者などは、「氏ね」(死ね)、「失せろ」 なんて発言が飛び交っていると、「場が荒れている」「怖い場所だ」 なんて第一印象を持ってしまう場合が多いと思いますが、しばらく発言を読む (ROM する) と、本当の空気や雰囲気が、分かってくると思います。
「馴れ合い」…不特定多数が出入りする掲示板では頭の痛い問題です
「馴れ合い」 という概念は、パソコン通信 のかなり初期の時代から存在していました。 当時は ハンドル (ペンネームのようなネット内で使う呼び名) が必須だったり、会員番号やIDが表示されたり、ログイン の有無を他の参加者が知ったりなど、個々人の区別が明確についたので、どうしても 「馴れ合い」 になりがちで、ことはさらに深刻でした。
また 「無駄な挨拶」「自己紹介」「どうでも良い自己アピール」「自分語り」 なども、インターネット のつなぎ放題当たり前の時代と違い、高い通信料 (電話代と 課金) を利用者が支払って無駄に読むことになり、かなり嫌われる雰囲気がありました。 さらにデータの記録媒体も フロッピー だけだったり、HDD (ハードディスク) があってもその容量は小さく (40MB とか 80MB の世界でした…)、ログが無駄な書き込みだらけになって膨張するのも困ってしまいます。 ですから、要点のみを簡潔に書くことが良いとされていたんですね。
もちろん 「仲良し グループ」 で作った 「閉じたコミュニティ」「私的な場」 なら、挨拶や本題と無関係の雑談は何の問題もありませんし、参加者同士の交流を目的としたコミュニティなら、「馴れ合い」 などと否定的な呼ばれ方はせず、「みんな仲良くやりましょう」 が正しい振る舞いとなるでしょう。 参加者同士の親睦が目的の何でもありの雑談掲示板などでは、堅苦しい話、礼を失した用件のみの書き込みの方が、むしろルール違反でしょう。
しかし常に人が入れ替わったり、人数がどんどん増えている 「情報交換を目的とした公開されたコミュニティ」 では、ネットが誕生してすぐの頃から、雰囲気を悪くする 「馴れ馴れしい口調」 と並び、メリットがまるで見えない、何かと トラブル の元となる問題でした。
ゲームの掲示板のはずなのに、関係ない内輪ネタで盛り上がる人たち
例えばゲームソフトの情報を知ろうと、そのソフトの話題を扱っている掲示板やフォーラムにアクセスしたら、参加者がぜんぜん関係のない内輪の話で盛り上がっていたら…「なんじゃこりゃ」 と思ってしまうでしょう。 さらにそれを指摘したら、「後から来たお前に文句を云われる筋合いはない」 などと云われたら、そもそもそのコミュニティは、掲げている目的を果たしているとはいえません。
また直接の物理的な被害のほか、参加者同士が過度の 「人間関係」 を作ることにより、逆にそれがこじれた場合には大きな争いごと、ケンカになったり、少数派が嫌がらせなどを受けて追い出されてしまうようなことにもなりがちです。 最初から一定の距離を持った付き合いならば、人間関係がこじれたり、些細な言葉の行き違い、感情のもつれでトラブルになったり、おかしな義務やしがらみなども発生しづらくなります。
「板違い」「スレ違い」 の 「逸脱・脱線した ネタ」 が、「馴れ合い」 によって発言内容が雑談化するなかで増えるという問題もあります。 マイルールを押し付ける自治活動が林立したり、実況 (テレビなどを見ながらその感想を リアルタイム で書き込む) が始まったりもします。 さらにそうした 「ルール違反」 をした利用者に対して、筋道の立った注意や警告をしづらくなる…結果、ルール違反が蔓延するという事態も発生しやすくなってしまいます。 確かに 「脱線ネタ」 や 「実況」 はとても楽しいのですが、その板や スレ で掲げている目的を無視してまで見ている人の全てが楽しい、あるいは価値があると判断できるかどうかは分かりません。
情報交換よりも、人間関係に時間を割くことになったり…
「お付き合い」 をせず、情報交換などの 「目的だけ」 をその場に期待している人にとっても、「馴れ合い」 は邪魔になります。 その場が情報の 共有 を図る場所なら、利用者は新しい情報を書き込みしたい時だけ書き込みし、新しい情報がなかったり、書き込みをしたくなければしなくて済みますが、情報とは無関係にその場の人間関係だけが濃くなると、例えば自分と仲の良い参加者が批判されたり反論されていると擁護したくなったり、助太刀しないと後で冷たいヤツと文句を云われるかも…と義務感に苛まれたりして、本来しなくて良い余計な発言をしがちとなります。
結果的に 「有益な情報」「面白いネタ」 を提供してくれる人たちから 「面倒だ」「うっとうしい」 と敬遠され、情報やネタが集まらなくなって、どんどん 「つまらない掲示板」 になってしまいます。 場から 「面倒くささ」 をなくし、「有用な情報だけを集める」 ためには、「馴れ合いの排除」 は極めて有効な考え方となっていました (まぁやりすぎてローカルルールだらけになるのも考え物ですが)。
いわゆる 「名無し」 が生まれた理由にも…さらには隔離板なども
「利用者同士が仲良くなって何が悪いの?」 という人も結構いますが、すでに人間関係がガチガチに出来上がったコミュニティに新しく入るのは勇気がいりますし、新しい人が全く入らないコミュニティはどんどん煮詰まって行くものですから、これを避ける雰囲気は、多くの 「匿名掲示板」 と云われている場所では (後にはブログの コメント欄 などでも) 主流となっていますね。
そもそもこうした 「匿名」(「名無し」 が デフォルト で固定のハンドルなどが存在しない掲示板) が生まれ主流となったのも、この 「馴れ合い」 を防ぐためと云うのが、第一の理由となっていました。 マスコミがいうように 「身元を隠して悪いことをする」 ためではありません (そういう意味での匿名性は、IP が記録されている以上、ほとんど無意味になっています)。 もちろん 「ハンドル」 があっても意識して振舞っていれば問題はありませんが、「名無し」 が初期設定なら、さらにこの考えを行動に移しやすくなります。
とは云え親しい人との雑談は楽しいので、「雑談用の掲示板」(パソ通時代の アスキーネット の 「練習用掲示板」 や、NiftY-Serve の 「壁板」、各フォーラムに設けられる質問や初心者歓迎の掲示板とか)」 を設けたり、チャット (「RT」「OLT」 などとも) を設けたり、「ロビー」 や 「ラウンジ」 といったハンドル歓迎の雑談掲示板を設けたりと、隔離 のための様々な工夫もされていました (インターネット掲示板の時代になり、隔離や 避難板 も様々な形のものが考案されたり生まれたりしています)。
なお 「2ちゃんねる」 では、1999年11月9日に 「自己紹介掲示板」(自己紹介@2ch掲示板/ 自己板/ 自己紹介のデータベース掲示板/ 固定ハンドル参加者が、原則一人一つのスレッドを立てる) が作られ、「馴れ合い」 は カテゴリ の1つともなっています。 こうした場所で行う交流は、顔見知りが増えれば増えるほど、楽しくなってゆくものです。
ことさらに 「殺伐」 を演じてまで避けたい 「馴れ合い」
ところで、初めて 「2ちゃんねる」 などに書き込みをした人は、いきなり 「氏ね」(死ね) とか、「ウザイ 消えろ」 などと見ず知らずの他人から罵声を浴びて驚く人が結構いるようです。 これは、相手を憎んだり嫌って書いているのではなく (実際に嫌っている場合もありますがw)、妙な馴れ合いの空気を作らないような工夫、と同時に、本当に殺伐とした時の予行演習であったりします。
実際は、「2ちゃんねる」 であっても感謝や励まし、ごく普通の人間同士の会話が 「名無し」 のままで成り立っていますし、馴れ合いOKの雑談のためのスレッドも人気があったりします。 利用者は仮想空間の住人ではなく、パソコンの前に座っている普通の人間なんですから、これは当然です。
しかし基本的には、個々人の感情は意図的に 「その場その場で使い捨て」 にし (怒りも、感謝の心も、後に引きずらない)、「場」 の雰囲気や空気を大切にする姿勢が求められていたりします。
こういった姿勢は、同じ掲示板の中であっても板によって、あるいは スレッド によっても微妙に違ってはいますが、「個人的な話は メール でやれ」「電話でやれ」「関係ない人間にいちいち読ませるな」 ってのは、匿名系に限らず、不特定多数が利用する掲示板を使う上での当たり前のマナー、お約束 のような感じじゃないでしょうか。
オフ会ネタ、オフネタは嫌われる傾向が…
「馴れ合い」 の、ある意味極地なのが オフ会 でしょう。 何しろ直に会うんですから、一気に親しくなります。 しかしそれをネット上に発言として出すのには、注意が必要です。 例えば100人参加のコミュニティがあったとして、そのうち50人が 「OFF会」 に参加すると、残りの50人とOFF会参加者との間に、見えない溝ができてしまったりします。
誰だって自分が知らない話題でみんなが盛り上がっているのは面白くないものです。 それがネット上で出た話題なら、掲示板の過去ログを読むなどして後から話題に追いつくこともできますが、ネットの外の集まりの話、内輪の話などは、調べようがありません。 参加者たちの盛り上がりの外で疎外感を覚える未参加者は、そういう話題を他の利用者が大勢いるネットでする人の無神経さに、思わず腹が立ったりする場合もあります。
掲示板なりコミュニティなりで読める、理解できる話題以外の話題 「オフ会ネタ・オフネタ」 などは、昔からとにかく嫌われる傾向がありますね。 これも 「馴れ合い」 を嫌うのと全く同じ理由で、パソコン通信の会議室などでは、「オフネタ厳禁」 とか、発言のタイトルに 【オフネタ注意】 といった 閲覧注意 をあらわすヘッダをつけるようローカルルールで決めたりと、フォーラムのシスオペや掲示板の 管理人 などが求めるケースが多かったものです。 場合によってはオフラインで生じたトラブルが原因でオンラインでもめごとが起こることもあり、こうなるとオンラインの事情しか分からない人には仲裁も難しくなるでしょう。
仲が良い、雰囲気が良いと、馴れ合いは違います
良好な人間関係とは何でしょうか。 単にベタベタと馴れ合うのもある種の居心地のよさがありますが、それは当人たちだけの居心地の良さであって、回りの人の感情や気持ちまでをちゃんと考えているとは云えないかも知れません。 特定の人とだけ仲良くやりたいのなら、その人たちだけでどこかに集まるべきなんでしょうね。
なお、馴れ合い…とはまた ニュアンス が違うのでしょうけれど、「匿名」「名無し」 の対極にあるような SNS (mixi など) を支持する人も多いようです。 こちらは情報のやり取りと云うより、利用者同士のコミュニケーションが目的のもっぱらなのでしょうから、用途 (と、利用者層) が、全く違うんでしょうね。 どちらが優れているとか劣っているとかではなく、純粋にTPO (時と場所と場合にあった方法) の問題だと認識し、その場にあわせるのが大切なのは、実社会でもネットの世界でも、全く同じなのですね。