友達100にんできるかな…「数友」
「数友」 とは、友達の数を増やすためだけの友達、友達の人数を水増しするためだけの友達のことです。 別の言い方をすると、「誰でもいい」「あまり大切な友達ではない」「失いたくない本当の友達ではない人たち」 との意味でもあります。
俗に リア充 (リアルが充実している) などという言葉もありますが、「友達がいること」「その友達の数が多いこと」、そして 「豊かな友人関係、交友関係を持っていること」 が、若者の間である種の ステータス、自分を飾ることのできるポイントとなっている昨今、こうした数友といった 概念 も、クローズアップされるようになっています。
なお数友における友達の カテゴリ は、リア友 (リアルに友達) でも ネトモ (ネット の友達) でも、どちらにも当てはまりますが、一般的にはネトモの方が多いようです。 リア友の場合は、単に同じ グループの友達や仲間 (グル友) と呼ぶこともあります。
友達の数が可視化される
こうした考え方は携帯電話が普及し、携帯の メール が誰でも使うツールとなった頃に誕生しました。 いわゆるメール友達 「メル友」 の数自慢です。 単純に50人だ100人だという数値自慢になる場合もあれば、メアドの登録メモリーがいっぱいになった、上限に達したなどと表現する場合もあります。
「友達の数を競う」 という感覚は、何も今に始まったことではなく、また子供や若者だけでなく社会人や大人になっても珍しくないものでしょう。 「顔が広い自慢」 などは、中高年になっても老人になってもよく見かけます。 そうしたものとネット時代における 「数友」 に多少の違いがあるとすれば、かなり明確に友達の数が可視化される、デジタルな数値でハッキリと見える化されてしまう点でしょう。
自己申告の世界から、見比べられる世界へ
こうした携帯電話のメアドのメモリは、基本的に自分の携帯電話端末のみのローカルな話、他人にそれを云うにしても自己申告の世界なのです。 これは、名刺の数自慢、年賀状の数自慢なども同じです。
ところがこれが ネトゲ や ソーシャルサービス となると、さらに事情が変わってきます。 とくにソーシャルサービスは登録している友達の数が別のユーザーからリスト状態でハッキリ見えてしまうケースが多く (例えば mixi のマイミクなど)、これがあまりに少ないと 「恥ずかしい」 という感覚も、人によっては生じるようです。
別に友達の数が多くても、その全てと親密な関係が時間的に築けるわけではなく、まして登録だけして交流がないのならその数値が多くても全く意味がないと思うのですが、気になる人は気になるものなのでしょうね。
ただあまりに数だけが多いと、「数友ばかりの見栄っ張り」 だと逆に批判的に見られてしまうケースもありますし、それが原因で本当に気の合う友人候補を遠ざける原因になることもあるでしょう (「友達の数が◯◯人以上の人とは友達になりません」 という人や、自分の プロフィール に 「数友いりません」「数友申請拒否」 などと書く人もわりといます)。
友達とはいったい自分にとってどんな人なのか、どういう人を必要としているのか。 友達の意味など人それぞれでしょうが、そのあたりを考えてバランスよく交友関係を広げる方が、結局は豊かで充実した生活になると思うのですが、どうでしょうか。