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事象や表現から何をどう受け取るか、どう表現するか… 「解釈」

 「解釈」 とは、何らかの事象や表現に対して、それを受け取る側が状態や内容や意味を吟味・推測・判断して理解すること、あるいはそれに基づく考察や説明や創作などのことです。

 参照する事象や表現を受け取り側がどのように解釈するかは人それぞれで、表層に現れるものを額面通りに受け取ったり、隠された意図を看破したり、あるいは本当の原因や理由、作者 の意図をあえて無視することもあります。

 物理現象の科学的な解釈はともかく創作物に対するものなどは、作品に表面上に描かれたものより別途インタビューなどで表明された作者の意図や想いが公式の見解や解釈として尊重される傾向がありますが、それも絶対的なものとされない場合もあり、人の数だけ正解や間違いがあると考える方が実態に合った考え方でしょう。

同じものでも、見る人によって受け取り方が変わる

 例えば雨雲の間に閃光が走り雷鳴が轟いたとして、今日の物理現象としての定説に基づく常識的な解釈では 「これは自然現象の雷で、大気中の氷の粒の摩擦によって静電気が発生し帯電して一気に放出したもの」 という理解や説明がされるでしょう。

 この場合、「天の神の怒りだ」「雲上で龍が暴れている」 と解釈するのは科学的に見たら誤りですが、太古の昔に人々の多くがそれを信じていたのなら、もちろん迷信ではあるものの、その当時の人々の解釈やその後の追体験としての解釈として正しいとされることもあるでしょう。 現代にあっても、それを信じている人たちだっています。 信じている人たち同士の間では、その解釈が正解だとされることだってあります。

 また赤いリンゴを見て 「リンゴだ」 という解釈もあれば、「赤い物体だ」「食べ物だ」「禁断の実」「万有引力」 という解釈もあるでしょうし、それらはいずれも見るものの立場やどこに注目するか、何が見たいかによって正しかったりそうでなかったりします。

 同人 の世界、とくに 二次創作界隈 でも解釈という言葉がよく使われますが、前述したような意味の他、解釈を元にした表現方法や ジャンル、作品の改変、さらには好き嫌いや 趣味、傾向の一致や不一致の宣言など、より広い意味で使われることもあります (後述します)。 他人のそれと同じ場合は 「解釈一致」 や 「解釈大一致」(おおむね誉め言葉)、違う場合は 「解釈違い」(文字通りの意味の他、キャラ崩壊 など強めの批判的意図を含む場合も結構多い) と使い分けることが多いでしょう。

 これは一方を明確な解釈の間違いだと断じることができない中で、「自分の解釈とは違うだけ」 という云い方で解釈の多様さや自分とは異なる解釈の尊重を込めた配慮のある言い回しとして時代を経るごとに広まっているものですが、実際は多くの場合に賞賛・批判や好き嫌いの文脈や意図を強く持ったものだと云えます。 「好みが合う・合わない」「気が合う・合わない」 という云い方が、しばしば相手への好意や悪意をそれとなく持っているのと同じです。

表現・創作物なら、作者の意図は絶対的解釈になるか

 明確な作者が存在する表現や創作物の解釈でも、作者の 設定 や意図が全てと云う訳ではなく、一旦作品が世の中に放たれて多くの人の耳目に達した時点で、それぞれの受け取り側の想いや時代性、作者ですら気が付かなった作品に現れた作者の心の奥の何かやその変化が複雑に絡み合って様々な解釈を生みます。 そのどれが正しくてどれが誤っているかなど、そう簡単に答えが出せるものでもないでしょう。

 もちろんそれでも多くの人が納得し、作者の設定や意図とも合致し、その解釈とは違う解釈を持つ第三者にも理解や共感が得られるような合理的な説明が可能な 「正解らしきもの」 が提示されることがあります。 しかしそれ以外のものを 「解釈違いだ」「誤読だ」 と切り捨ててしまうのは、ちょっともったいないような気がします。 もちろん 深読み をし過ぎて解釈が明後日の方向に飛んだり、明らかな事実誤認に基づく誤読や誤解釈もあるので、全てを等しく価値あるものだとするのもそれはそれで 「何でもあり」 の無責任なものになってしまうのでしょうが。

作品を解釈 (理解) した結果、生み出されるのが二次創作なのだとしたら

 アニメゲーム、あるいはその 世界観 や登場する キャラ についても、受け取り側にそれぞれの解釈が生まれます。 それがその作品やキャラに対するその人の見立てや理解となり、それを土台として、さらには作品とは別にその人が求める姿や願望、時として流行や社会的な建前なども新たに投影・付与されて感想や考察や二次創作、パロディファンアート が生まれます。

 その二次創作は場合によっては世界観やキャラの改変やほとんど作り変えにまでつながるわけですが、同じ解釈の人が多数派だったり作者を含めた 公式側 の見解と合致していればそれは正しい解釈 (王道鉄板) だとされがちですし、それと異なる解釈はおおむね解釈違い (受け取り方や好みや傾向が自分とは違うだけだ) と云いつつも、言外に 「見方がおかしい」「正しく読み取れてない」「誤りだ」「改変だ」 との決めつけや意図 (邪道) が含まれたものになりがちでしょう。 「自分に都合よくキャラを動かすために性格を勝手に変えている」 というわけです。 解釈の上にさらに解釈が次々に積み上げられるため違いがより拡大し、抜き差しならないほどの違いとなってしまうこともあります。

 この違いが我慢を超える レベル となり 「見たくもない」 ような状態にまで至ると、そうした作品は 地雷 と呼ばれたりします。 地雷という言葉も、元々は 「よく見てみないとわからない」「実際に触れてみないとわからない」 という性質を、踏んでみなければ分からない隠された待ち伏せ兵器である地雷になぞらえたものですが、時代を経るごとに、単に 「こちらに被害を与える迷惑なもの」「避けようと思えば避けられるもの」 との ニュアンス が加えられたり、意味そのものが変化しています。

「解釈は人それぞれ」 とはいうものの…

 これまで繰り返してきたように、同じものを観てそれをどう感じるかは、考え方の違い、育ってきた 環境 とか身に着けた知識、それまで触れてきた作品、審美眼やものを見る感受性や 解像度 の違いなどで人それぞれです。 他人の解釈を一方的に間違っているなどと否定したり自分の解釈を押し付けるような言動は、するべきではないでしょう。 一般に 「正解だ」 と考えられがちな作者の解釈や考え方だって、作者本人が無意識のうちに別の解釈を作品に入れてしまうこともあるし、長期連載作品などは連載途中で 読者ファン からの意見で解釈が変わったり、自分の解釈のおかしさに気づいて後付けで変更されることすらもあります。 とりわけ 人権 や差別と云った センシティブ な部分では、批判を避けるために公式なコメントで嘘をつく場合だってあるでしょう。

 「解釈は人それぞれ」「自分の地雷は誰かの推し」 といった考え方は、他人を否定したり傷つけるようなことを避けよう、結論がでない争いを避けようという倫理観や配慮から出るものだと思いますし、それは正しいことです。 しかし大好きな創作物の解釈を巡って友人などとあれこれ議論を (時として 徹夜 してまで) 戦わせるのは、それはもう楽しいものだったりもしますし、そうした議論の積み重ねが創作物の発展に寄与してきたのも事実でしょう。 物分かりの良い 「人それぞれ」 あるいは 「not for me」 は、逆に云えばそうした議論や対話を打ち切ってしまうことでもあるので、場合によってはもったいないことだなどと思うこともあります。

 考え方や好みの一致・不一致と相手の人間性のあれこれとは異なるものですが、面と向かって自分の好みとか解釈を否定するような反対意見を述べられると、まるでこちらの人格まで否定されているような気分になってしまう人は少なくありません。 とくにコミュニケーション能力が未熟な若年層だったり、自分の好きなものへの依存度が高い人ほど、両者の切り分けが上手くいかないことが多いでしょう。 そして傷ついたり、傷つけたりします。

 とはいえそもそも表現物などは、それが人の心に強く作用すればするほど、時として人を傷つけるものになりますし、逆に強い勇気や希望も与えるものでしょう。 自分と他人、作品とその解釈、それらをどう自分の中で優先度付けして付き合うかは、豊かな人生を歩む上で大切なものなのでしょう。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2010年4月4日/ 項目の再構成です)
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