同人用語の基礎知識

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「創作」「自己表現」「趣味」 を仲間と共に行う 「同人」

 「同人」(どうじん/ どうにん) とは、同じ趣味、目的、志を持つ人が集い、一緒に活動することです。

 言葉として近い、もしくは同じような意味で使われてきたものには、「同好会」 とか 「研究会」「勉強会」「結社」 や 「サークル」「ファンクラブ」「ファンサークル」(FC) などがありますが、いずれも同じ目的や目標を持つ人たちが、しばしば互いに平等な立場で自分の自由意志で集い、活動に参加するグループという点では同じです。

 うち、コミックマーケット (コミケ) などと関連の深い同人の集いは、同人サークル などと呼びます。 また 「同人活動」 と呼ぶ場合は、もっぱら作品を制作し、それを配布 (頒布) する事を指します。

幕末から明治にかけて、文学同人の登場

 「同人」 という言葉の源流をさかのぼれば、いわゆる 「文芸同人」、あるいは 「美術同人」 の世界の言葉から始まっている用語が根本のベースとなります。 俳句や和歌、小説や文芸批評、あるいは日本絵画、西洋絵画、版画、彫刻などを、仲間とともに創り、そして楽しむ集まりが 「同人」、その成果を一冊の本にまとめたものが 「会報」 もしくは 同人誌 などとなります。

 日本においては、幕末から明治にかけて活躍した小説家、尾崎紅葉 (1868年1月10日〜1903年10月30日) らが1885年 (明治18年)、東京九段に設立した文学グループ、「硯友社」 が、近代文学における 「同人」 という言葉と 概念 をこんにちの形に非常に近い形で作った最初とされています。 同年、小説のほか詩や短歌などを収めた 肉筆回覧誌 である 「我楽多文庫」 を発行 (後に活版印刷されて書店売り)。 山田美妙、石橋思案らをはじめ、明治から大正にかけて大きな文学の潮流を作りました。 なお 「硯友社」 には、挿絵作家として狩野派の流れをくむ武内桂舟 (1861年11月13日〜1942年1月3日) も参加しています。

 この同人活動 (というより文学運動) は、尾崎紅葉の死去によりグループの解散となりますが、その後、同人誌 「馬酔木」 やその後を継ぐ 伊藤左千夫 (1864年9月18日〜1913年7月30日/ 野菊の墓が有名) によって発行されていた同人誌 「阿羅々木」 を機関誌とする正岡子規 (1867年10月14日〜1902年9月19日) らアララギ派の歌人らのグループ 「根岸短歌会」(1899年) が登場。 その後分裂しますが、同じく正岡子規や夏目漱石 (1867年2月9日〜1916年12月9日) らの参加した 「ホトトギス」 の隆盛など、複雑に多数の志や才能を持つ人があいまみえ、日本近代文学を形作る大きな役割を演じたのが、これら 「同人」 活動でした。

 その後、文学者だけでなく多くの画家なども参加した 1910年の雑誌 「白樺派」(1908年に発行された回覧雑誌 「望野」 の後継誌) を中心とした 「白樺派」 も活動を開始。 作家の武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、画家の梅原龍三郎、中川一政らの活動は、武者小路実篤 (1885年5月12日〜1976年4月9日) が在学していた学習院の仲間と集った集まり、「一四日会」 が発端となっており、武者小路が東京帝国大学在学中の旗揚げでした。

「艶本」 から 「地下本」、そして 「エログロナンセンス」

 性的な内容を扱ったもの、俗に 「艶本」「地下本」 とか 「裏本」 とも呼ばれる出版物を発行していた宮武外骨(1867年2月22日〜1955年7月28日) や小倉清三郎、梅原北明 (1900年〜1946年) の存在も忘れられません。 元々は江戸時代の 「艶本」 やその復刻、明治期の 「造化機論」(造化機…すなわち 「性器」 を扱った性的な読み物) のブームや、大正期の性研究ブームなどの中心にいたのがこれらの作家や学者で、それぞれに同好会を組織し、会報の形で 「エロ」 な本を発行していました。

 これらは 商業出版 の形を取ったり、会員制の同好会のみの発行形態を取ったり、あるいは表では一般的な書物や学術書を著し、影でひっそりと趣味として発行している場合もあり、時代が古いこと、元々表舞台にでるような本ではなかったこと (発禁処分になったものも多い) で、全体を把握するのは難しい ジャンル となっています。 ただし 「グロテスク」 とか、昭和初期の 「エログロナンセンス」 などのムーブメントを起こした中心勢力であり、後の 「カストリ雑誌」、ひいては エロパロ同人、美少女コミック誌 にも通じる創作や研究の様式がありました。

 これらの活動は、間に戦争をいくつか挟み、平和運動、愛国運動、あるいは政治運動などの色彩をも持ちながら、文学や書道、絵画、音楽など、芸術創作活動、自己表現活動の受け皿として無数に誕生し、分裂や統合、参加者の交流や断絶を繰り返しながら、多くの作家や芸術家を育み、日本の文化や芸術を発展させてきました。 一方で、治安維持法により 「反社会的な書物だ」 として、数多くの書籍や作家が弾圧された歴史もあります。

戦後、マンガやアニメなどの同人活動が本格化

 マンガ に関しては、大衆小説などと共に大昔からその歴史があり、戦前 から娯楽として新聞や雑誌の一部に掲載されたり、1930年代には、雑誌スタイルの単行本のような形のマンガの貸本 (現在のマンガ雑誌のような販売形式でなく、レンタルの形の雑誌、「赤本」 とも) が人気を博すなど、一定以上の役割と 需要 をすでに獲得していました。 名もない趣味の集まりも、たくさんあったはずです。

 その後、絵本作家や挿絵作家、食い詰めた画家や貸本の作家らのほか、大学のマンガ研究会などが母体となったマンガ同人誌が相次いで作られ、後に商業雑誌 「少年誌」「少女誌」 の世界で 「マンガ大国日本」 を作る礎となった著名作家が数多く活動し、羽ばたく土台となっていきました。

 また既存の同人の世界で主流であった文学の世界に比較的近いSF作家や、オカルト文学、架空歴史文学のような、マンガと並んでこんにちの 「アキバサブカル」 に近い創作活動が、1950年代頃から大学の研究会、同好会や社会人の趣味の集いの形で盛り上がってきます。 明治期に同人の形で登場した近代文学は、すでに商業ベースにも乗り、社会的にも確固とした地位を確立していましたが、マンガやSFの世界は、まだそうはなっていませんでした。

石ノ森章太郎らによるサークル、「東日本漫画研究会」 と 「墨汁一滴」

 なお漫画家の石ノ森章太郎 (1938年1月25日〜1998年1月28日) が、デビュー前にアマチュア投稿欄に 投稿 していた雑誌 「漫画少年」(1947年12月〜1955年10月/ 学童社) の投稿仲間とともに作ったサークル 「東日本漫画研究会」 と同人誌 「墨汁一滴」 も、日本の漫画史のトピックのひとつでしょう。

 中学時代にサークルと同人誌を作るものの上手く行かず、一度挫折。 その後高校時代に改めて仲間と旗揚げし、さらに漫画雑誌などで仲間を募集する形で 運営 していたこのサークルは、正岡子規の随筆の書名にちなみ 「墨汁一滴」 と名づけられた同人誌を10回にわたって発行。 1953年から1960年にかけ、前後して現れる 「SF」 ブームとともに、新しい日本のサブカルチャーの中心に一気に躍り出ることになります。

雑誌 「SFマガジン」 の創刊と、「日本SF大会」 の誕生

 戦後の画期的な出来事としては、とりわけ1959年12月に創刊された 「S-Fマガジン」(早川書房) の存在があります。 この雑誌に衝撃を受けた文学青年や少年・少女は多く、後に日本のSF界を代表する作家となる筒井康隆なども、これをきっかけにSF専門の同人誌 「NULL」(ヌル) を発行 (学者であった実父や弟など、家族で作ったもの)。 この同人誌は、筒井がプロ作家としてデビューした後も不定期に続けられ、有名作家の多くがここから生まれています。

 無数の 「SF小説家予備軍」「ファンサークル」 を生み出す大きな原動力となった 「SFマガジン」 とともに、こうした世界を強力に牽引するイベントも開催。 1962年5月7日には、SF ファン らが集う日本SF大会 「MEG-CON」 が東京・目黒公会堂清水別館で開かれ、180人が集まりました。 これがさらに、既存のSF同好会が意見や情報交換を果たす一方、数多くの新しい同好会や同人会を作る契機ともなりました。

 1968年4月11日に日本公開された映画 「2001年宇宙の旅」 では、SF文学とビジュアルが一体化し、数多くのSFファン、SFアートの集いが誕生。 著名なところでは、1970年に松崎健一を中心とする同人会 「SFセントラルアート」 が旗揚げ。 のちにこの同人会は 「スタジオぬえ」 となり、前述した 「マンガ同人」 の世界と、テレビ放映される アニメ などを接点として融合。

 詩歌や書はともかく、明治時代にはある種のサブカル、前衛扱いだった 「近代文学」「西洋絵画」 などがどっしりと日本のメインカルチャーになって行く中、戦後のアニメやマンガ、後に ライトノベルゲーム などの、こんにちでいうサブカルが、これ以降の若者の同人の世界の主流となっていきました。

1975年、コミックマーケットが誕生

 1975年12月21日、第1回目となるコミックマーケットが東京・虎ノ門の 日本消防会館会議室 で開催されました。

 漫画批評を行っていた同人サークル 「迷宮」 の 主催 により、当初は大学のマンガ研究会 (漫研) の会報や、既存漫画の批評や感想をまとめたような同人誌の 展示 (頒布ではなく回覧) などがメインでしたが、およそ600から700人ものマンガファン、「マンガ少女」 が参加し、以降、似たような趣旨の小規模の集まりや、さらには 同人誌即売会 も立ち上がることになりました。

 前年 1974年に、マンガとSFとアニメとが融合した記念碑的作品、「宇宙戦艦ヤマト」 の放映があり、再放送で人気が爆発。 「マンガ情報誌」 に加え、「アニメ雑誌」 も創刊され、「コミケ」 も大きく注目を集めることに。 ここに 「アニメやマンガ、ゲームなどのサブカルを中心とする同人」 の世界が、さらにさらに大きく発展する土俵が誕生したのでした。

正しい同人、間違った同人はなく、全てが同人なのです

 こんにちでは、この用語集サイトでもっぱら触れているアニメやマンガ、ライトノベル、ゲーム (いわゆるサブカル) などを題材とした 二次創作、あるいは オリジナル による、マンガや動画、ノベル、ゲーム、音楽、グッズなどの創作活動、さらにそれらより古い批評や純粋なファンジン (Fan + Magazine/ 後に同人とかけて ファン人) が、「同人」 の意味で使われるケースがとても増えています。

 若い人の間、あるいは 1980年代からの パソコン通信 など ネット の世界では、ほぼこれの意味でのみ使われているといっても、過言ではないでしょう。

 「同人」 を 「アニメやマンガの本を出すこと」 だと考えるのは誤りですが、「小説や詩歌の集まりが本物の同人」 というのも、ちょっと違います。 どちらも同じ、「同人」 です。 ただし言葉としての 「同人」 から受けるイメージは人それぞれですし、アニメやマンガ、自主制作映画や音楽などの同人の中でも、いろいろなジャンルや カテゴリ があります。 関わり方や、同人のやり方、それぞれで蓄積されたノウハウなども違うでしょう。

 「コミケ」 でも、詩歌や純文学を発表しているサークルはいくつもあります。 伝統的な絵画や彫刻、さらには コスプレ という、まったく新しい自己表現、創作の形も生まれ、その後 「コミケ」 を発端として大きく広まっています。

 世の中にまだ受け入れられていなかったり、不当に低い価値、評価を与えられている新しい文化を、年齢や心が若い人々が同じ志、気持ちをもって、高めようと集まる。 そこで互いに刺激しあい作られ洗練された作品や文化、様式、言葉が、ジャンルを問わず、あるいは飛び越えたり融合したりして、また次の世代の新しい文化を創っていく。

 それがきっと、本当の意味の 「同人」 なのでしょう。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2000年3月6日)
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