どうせ男はいつかなる 「おじさん」
「おじさん」 あるいは 「おっさん」「おじちゃん」「おやじ」 とは、中高年・年配の男性を指す言葉です。 対義語は若い男性を指す少年や青年、お兄さん、もしくは同年代の女性を指す 「おばさん」 です。 自称・他称問わず使われるごくありふれた 普通 の日本語 (一般名詞/ 普通名詞) ですが、おたく や 同人 の世界では、ある種独特な意味や ニュアンス を持っています。
この言葉が特別な意味を持つのは、その年代の男性が、しばしばおたくや同人、あるいは ネット における多数派で発言力も強いという部分があります。 人口の半分が男性で、かつ高齢化が叫ばれる中でそのまた半分以上が中高年なので、これは当たり前の話ではありますが、宛先不明で 「おじさん」 といわれると、それが自分宛のような気がすることも多いでしょうし、とくに近年は男女のあれこれを巡る争いの中で、主に一部の女性から 主語を大きく されて目の敵にされがちな部分もあり、古くて新しいホットな言葉だと云えるかもしれません。
なお漢字で書くと小父さん (近所の年上の男性) なのでしょうが、叔父さんや伯父さんといった縁戚関係を示すものもあります。 意味はそれぞれ違うのに読みが同じなので混乱しますね (これは小母さんと叔母さん、伯母さんも同じです)。 ポジティブ なニュアンスが付加され誉め言葉や美称の扱いがされる云い方には 「おじさま」 や 「ナイスミドル」、イケてるおじさまで 「イケおじ」 があります。
「おじさん」 って、何歳から?
何歳からおじさんと呼ばれるようになるかは時代や状況、おじさん呼びする人間との 年の差 や間柄によっても異なります。 子供や10代の若者にとっては自分よりちょっと年上ならみんなおじさんでしょうし、それでも無理やり大雑把な年齢を求めると、おおむね中年とされる30歳あたりからなら、自他ともに受け入れる人が多いといった感じでしょうか。
とはいえ昔に比べると最近の日本人は随分と若く見えがちで、個人差が大きいものの 35歳とかそれ以上でもそう呼ばれない (青年扱い) など、年齢が後退している印象もあります。 若々しさに価値があると見なされがちなためか、大人同士の会話では配慮やリップサービスも加わり、まず使われません。 あるいはアラサー (30歳前後)・アラフォー (40歳前後) みたいな呼び方が多いかもしれません。
一方で、個々人に対する呼び方では、結婚 して子供がいるとか、見た目が老けている、中年男性特有の特徴、例えば肥満によって腹が出ている、頭髪 が寂しく 禿げ ている、目じりや ほうれい線 を中心に皺が増えたり深くなるなどが、おじさん呼ばわりされがちな特徴かも知れません。 頭が固いとか考えが古いといった部分でそう判断されることもあります。
「おじさん」 呼びは差別? 「おばさん」 呼びが忌避される中で
ひと昔前までは、おじさん、おばさんは普通に使われる極めてフラットな言葉でした。 しかし近年では最初におばさんが、引き続いてそれに対応する形でおじさんも、ある種の負のレッテルや侮辱表現として避けられがちな傾向はあります (筆者 も自分や俺お前みたいな間柄の友人以外に対して個人を特定して使うことはありません)。
とはいえ、別に中年男性・女性でもただの男性・女性でも彼・彼女でもアラサー・アラフォーでも何でもいいのですが、人間誰だって年を取るわけですし、この程度の言葉にいちいちイライラして言葉を狩るのも何だかなという気はします。 しかし呼ばれた本人が不快に感じたらそれはハラスメントだという考えも浸透しているため、時を経るごとにより一層避けられがちな空気にはなっています。
まぁ若さに格別な価値を感じていたり、自分がまだ若いつもりでいる人がおじさん・おばさん呼ばわりされてショックを受けるのはわからなくもないですが、そういう人に限って自分が若い頃は、それこそ明確な侮辱の意図を持って年長者をおじさんおばさん (あるいはジジイババア呼ばわり) していたのでは? という疑念は感じることがあります。 フラットな言葉として使っていたら、別にそれが自分に向けられても、侮辱されたなどと感じたり傷ついたりしないものでしょうし (年取ったな…という一抹の寂しさ的な感慨はあるにせよ)。 その意味では過去の自分に現在の自分が殴られているようなもので、同情はしますけれど。
もちろん言葉に対する感じ方は人それぞれですから、どっちが良い悪いではありませんが、もし若い人に悪意を持ってそう呼ばれてどうしても我慢ができないのなら、こっちはこっちで 「ガキが」 で応戦すれば良いだけです。 個人的には若者におっさんと呼ばれるより、若い頃に大人からガキ扱いされた時の方がよほど腹が立ちましたw
個々人の個性や多様性が重視されるようになった今、ことさらに他人への呼称に年齢やら性別やらの要素を加えなくてもよいではないかという意見にはわりと 同意 する部分もありますが、おばさん呼びを女性差別だと口を極めて批判し、エイジズム (年齢差別) やルッキズム (ルックス・容姿差別) をなくしましょう、多様性を大事にしましょうと声高に叫んでいながら、自分はおっさんだの キモイ おじさんだのを使う人もいます。 そのような人とは、申し訳ないですがちょっとまともな会話は成立しないかな、とは思っています。
中年男性をおじさん呼ばわりしたからといって、それでその人が若者になれる訳でもありません。 若者の味方でありたい、いつまでも若々しくありたいという願いや努力は素晴らしいと思いますが、他人を侮辱し蹴落とすことで相対的に自分を上げるのは止めた方がいいと思うし、ダブスタ がどうのという以前に、そういった論で 自己顕示欲 を満たすようなことはしたくないなとは強く思います。
キモいおじさんでキモおじなど、派生語もたくさん
なお負のニュアンスを強めるために他の侮辱的な言葉と複合することもあります。 代表的なのは前述したキモイおじさんで 「キモおじ」、いつまでも実家で子供時代からの部屋に住むおじさんを 「こどおじ (子供部屋おじさん)」、古臭い価値観に 縛られ て頭の固いおじさんを 「昭和 のおっさん」、おじさんにありがちな 痛い 文章を 「おじさん構文」 と呼ぶなどです。 加齢臭や 老害 といった言葉と複合することもあります。
一方、経済的に困窮したり、容姿に恵まれず 非モテ・コミュ障 などにより結婚したくてもできない、彼女いない歴=年齢 といった中年男性らを指す言葉として 「KKO (キモくて金のないおっさん)」 や「弱者男性」、「おぢ」(頂き女子と呼ばれるパパ活・金目的の恋愛詐欺の加害者が被害者の中年男性を指して使った言葉)、30歳を越えた高齢の 童貞 がそうなるとの意味の 「魔法使い」 などがあります。
これらの言葉のいくつかは、蔑称として使われるのはもちろん、むしろ 自虐 として本人が使う場合も少なくないでしょう。 他方で、同じような厳しい境遇にあってもそれが女性ならば弱者と呼ばれメディアが同情的に報じたり人権団体や公的機関による支援もあるのに、中年男性だと 「自己責任だ」 などと突き放され、それらがなされないか手薄だとの問題提起を内包した言葉ともなっています。 いわゆる氷河期世代と重なる年代でもあり、お金もないし所帯も持てないしで後は孤独死するしかないような男性の存在を、メディアや人権派の団体や論客らの、まるで女性にばかり寄り添ったように見える主張や態度に対し、カウンターの形で可視化するための言葉としても機能しています。
エロい創作物では竿役として大活躍のおじさん
同人の世界では、中心となる世代がおじさん世代だからか、あるいは美女と野獣的にギャップのある組み合わせが喜ばれるためか、男性向けの エロ い マンガ の 竿役 としておじさんは大人気です。
一般におじさんは若い女性から敬遠されがちな 雰囲気 もありますから (実際、個人差はあるにせよ、思春期ころの女の子のおじさんに対する忌避感は並々ならぬものがあります)、あえて若い女性や ロりっ子 と組み合わせるそれは、定番・鉄板・王道 と云っても差し支えないでしょう。 この場合は 「ロリおじ」 とか 「おじロリ」(受け・攻め の役割分担などによっても呼び名が変わる) と呼ばれます。
逆に 健全 な作品が好きな人、二次創作 はともかく 公式 なもので自分の好きな キャラ がおじさんと接点を持つのを避けたいという男性も少なくありません。 その場合、性欲があふれるほどの若い男性や脂ぎったおじさんは、とくに避けるべきものとして扱われます。
物語の展開上、推し と異性である男性とにどうしても接点が必要なら、ギリギリ 小2後期男 (小学2年までの男児か、後期高齢者以降の男性) だけは認めるといった考えもあります。 これは別に性的な関係や恋愛感情などとは無関係で、「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」 という、かなり切羽詰まった感情になります。 百合 な作品が男性にも人気ですが、これも百合や GL (ガールズラブ)、レズ が好きだというよりは、とにかく男が出ない、その影もないというのが安心できるからという部分も一部の男性にはあるでしょう。
中年男性から初老の紳士まで… 「アダコン」 なども
一方で、女性向けの作品、とくに やおい・BL においては、男性向けの熟女嗜好にも近いような年長者男性のあれこれを魅力的に描くパターンもあります。 これらは アダコン (アダルトコンプレックス) と呼ばれ、大人の男性と少年といった組み合わせが多いでしょうか。
渋くてダンディな大人の男を描くものですが、熟女もの同様に加齢による衰えを間接的に描くような作品もあります。 中には実在政治家同士のあれこれを描いたような作品もあり、バリエーションは極めて豊富です。