アキハバラデパート、ついに2006年末、55年の歴史に幕
日本初の駅ビル的なショッピングビルとして1950年12月にオープンした3階建ての 「アキハバラデパート」 が、ついに2006年12月31日午後4時を持って閉店となりました。
2002年にJR東日本が買収、同年3月18日から 「アキデパフジヤマ」 としてリニューアルしたものの、客足は思うように伸びず、2005年2月からは東京圏駅ビル 開発 の 運営 となり、「遅かれ早かれ閉店」 との噂が飛び交っていましたが、いよいよとなると寂しいものですね。
在りし日の 「アキハバラデパート」 |
思えばアキデパは、不思議なお店でした。 秋葉原の名を冠し、駅に隣接して古くからあるにもかかわらず、「秋葉原の象徴」 のような存在ではありませんでした。 筆者 も散々利用してきましたが、秋葉原の象徴のようには思えなかったですね。
これは、駅と一体化してほとんどの人がアキデパを意識することすらなく自然に受け入れていたことと、無縁じゃないと思います。 余りに近すぎて、逆に気がつかない初恋の 幼馴染、みたいな感じでしょうか。
秋葉原の電気街口を出てすぐに右方向に進むと、いまは秋葉原クロスフィールドの中核施設、秋葉原 UDX がそびえ立っていますが、少し前までは空き地で (バスケやスケボーのコースなんかがあり、駅前広場・駐車場だった)、それ以前は 350年の歴史を有する 「東洋第一の青物市場」 と呼ばれた神田市場 (初期の神田市場は神田多町2丁目近辺で、昭和3年に移転、さらに平成元年に大田区へ移動) がありました。
長い長い 秋葉原 の歴史からすると、55年もあっという間。 しかもその 55年の間に街は大きく変貌し、行き交う人たちの風貌や、あるいは 「国籍」 すらも大きく変わりました。 そんな秋葉原をずっと見つめてきたアキハバラデパート。 きっと様々な立場で、別れを惜しむ人がたくさんいるんでしょうね。
このページでは、そんなアキハバラデパートの最後の姿をミニ写真集としてまとめたいと思います。 なお開店から平成にかけての写真は、今回の閉店に際して店内に掲示されたアキハバラデパートの歴史を紹介する ポスター の写真部分をデジカメで撮影して トリミング したものです。 それ以外の写真の大半は閉店前日および閉店後の撮影なので、店内に閉店セールとのポスターやPOPが貼ってある状態になっています。
なお 2010年11月19日、4年にも及ぶ工事の後、アトレ秋葉原 (atre) としてリニューアルしています。
開店から平成、フジヤマ、そして取り壊し工事…アトレ秋葉原オープン
迷路のように建物のそこら中にある入り口…どこかどこだかわかりますか?
アーチ型の柱が特徴的なアキデパ内部、階段も独特の作りです
アキデパの魅力といえば飲食店っすよね!
アキデパの魅力といえば、よく分からない地方産物のお土産とか (狸の信楽焼きとかここで買ったですよ…)、人情味溢れる店員さん、そして数々の飲食店でしょうか。 次のページでは、そんな飲食店と 55年の歴史を刻んだ重厚な外観を見て行くことにしましょう。
という訳で、その2に続きます。
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