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「五輪エンブレム」 騒動で一般人とは違う 「上級国民」 さま登場

 「上級国民」 とは、何らかの権利や地位、カネやコネを持っていて、不正やそれに近い不透明な行為によって私腹を肥やしたり、一般人なら当然のように科せられる罪や罰から逃げおおせられるような状況にある人物を揶揄する言葉です。 より端的に云えば、行政や大手マスメディアから不当に特別扱いされて見える人たち、となります。

 それ以前から存在する一般的な言葉の 「特権階級」「上流階級」「上つ方」 と似たような意味を持つ ネットスラングインターネットミーム) ですが、何らかの制度的な裏付けがある立場・地位や、客観的基準によって誰かを指し示すというわけではありません。 あくまで公的機関やメディアによる不公平で不透明な対応を揶揄し、その当事者や関係者に対して罵倒・侮蔑する目的でのみ使われるような言葉となっています。 別に上級国民という階級が存在するというわけではありません。

 元ネタ・語源は、2015年に起こった 「2020年夏季東京オリンピック・パラリンピック」 の 公式 なエンブレム (公式ロゴ) のコンペ選出を巡るあれこれに端を発します。 またその後、2019年に起こった自動車事故でも大きくクローズアップされ再度流行語としてブレイク、さらに2020年に感染が拡大した新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) を巡るあれやこれやの動きや、その影響で延期開催された東京オリパラに関する様々な トラブル でも繰り返し触れられることとなり (後述します)、すっかり新しい日本語として定着した感があります。

2020年東京オリ・パラの公式エンブレム問題の 「パクリ」 疑惑

TOKYO2020 公式エンブレムとPVを発表 (2015年7月24日)
TOKYO2020 公式エンブレムとPVを発表
(2015年7月24日) 公式サイトで発表された直後に炎上
東京2020エンブレムに関する一部報道について (2015年7月31日)
東京2020エンブレムに関する一部報道について
(2015年7月31日) 公式サイトのニュースリリースで、
組織委員会としてもIOCとしても問題はないと発表
サントリー オールフリー「夏は昼からトート」キャンペーン、一部賞品の取り下げおよび発送中止について (2015年8月15日)
サントリー オールフリー「夏は昼からトート」キャン
ペーン、一部賞品の取り下げおよび発送中止について
(2015年8月15日)

 「2020年東京オリンピック・パラリンピック」 の公式エンブレムを決めるコンペが行われ、応募104点の中から採用されたデザイン案が、2015年7月24日に公式発表されました (公募は前年2014年)。 デザインしたのは、東京都出身の著名なアートディレクター・デザイナーでデザイン事務所代表・多摩美術大学教授の肩書を持つ人物でした。

 しかしその直後、選出デザイン案と酷似する既存デザイン (ベルギーのリエージュ劇場ロゴや、後にはヤン・チヒョルト展の ポスター なども) が発見され、いわゆる 「パクリ疑惑」 が勃発。

 騒動が広がるとともにこのデザイナーが過去に関わったそれ以外のプロダクトの検証もしらみつぶしに行われるようになり、こじつけや言いがかりに近いものもあったものの、サントリーのキャンペーンで使われたトートバッグのデザインをはじめ新たな盗作・模倣疑惑が次々と 浮上 (後にデザイナーは不手際を認め謝罪し、キャンペーンは賞品を取り下げ (右図)。

 騒動は 炎上状態 にエスカレートし、その過程で不透明な五輪エンブレムの選定方法や選定基準、行政とデザイン業界、大手広告代理店の癒着とも思える 馴れ合い の体質などが憶測も含め様々持ち上がり、「税金を食い物にしている」「業界に自浄能力もその気もない」 と受け取られ騒ぎはさらに拡大することに。

仕事仲間の擁護 「デザインの常識」 が燃料となり炎上も拡大

 とくにこの騒動が持ち上がってすぐに、このデザイナーの友人や仕事仲間のデザイナーが炎上を食い止めようと 工作員 さながらに 「パクリだと批判している人たちは、デザインのことが何もわかっていない素人」「コンセプト が違うのだから全く似ていないし、それがデザイン界の常識」 などといった内容の反論を SNS で行って論争や バトル が始まり火に油を注ぎ続けたのは、騒動拡大の大きな原因のひとつでしょう。

 またパクリ騒動が広がる中、ネットの一部では 大喜利 的に 「私も五輪エンブレム考えてみました」 といった様々なデザイン案が出てきましたが、多くのネット民が 「これすごい」「良い」 といったフリーデザイナーのデザイン案に対しては、「汚い」「どこがいいのかわからない」「恥知らずが跋扈するクリエイティヴ後進国」「自分が、自殺の名所に立っている事もわからない不思議な感覚」 との批判を殺到させ、問題のデザイナーを擁護し続けたこともイメージ悪化に拍車をかけました (フレンドリーファイア)。

 しかもこうした擁護を行っていた人物の経歴背景を詳しく見ていくと、それぞれが問題のデザイナーと仕事で密接に関係を持ち、他の公募やデザイン賞の審査員なども仲間同士で持ち回りで行い、お互いに応募したり審査したりを交代で繰り返していた人たちでした (いわゆる 駄サイクル の可視化)。 今回の五輪エンブレムコンペは応募者の制限が厳しく、その中に 「過去の受賞歴」 はじめ一部のデザイナーだけが有利になる足切り項目が多数あったため、「都合よく仲間同士で受賞歴や実績を作り、応募条件を 設定 し、選出したのではないか」 との疑念が生じるものでした。

 もともと狭い業界内での出来事だけに、仕事や事業の領域がある程度重なるのは仕方がないとはいえ、これらあまりの偶然の一致具合に 「身内への利益誘導を行っていたのではないか」「公募の形をした出来レースではないのか」 との憶測は広がり、大手メディアも報じる大騒動となってしまいました。

 また騒動が起こった7月から8月までの段階ではデザイナー本人や仕事仲間だけでなくその妻も疑惑に 「事実無根だ」 と強く反発。 記者会見などで疑惑の一つ一つに反論を行いましたが、それが 「審査や日頃の業務に関わる不透明なコネ・人脈の存在」「その業界内でしか通じないような話を社会常識かのように強弁」「身内の庇い合い」 を強く連想させるものだったこと、しかもその反論がすぐに新事実の発覚によって崩れて説明が二転三転するのを繰り返し 「その場限りのウソばかりついている」 と思われたのは、ネット民 の間で広がった 「カネやコネを使って濡れ手で粟のズルい金儲けをしている」 というイメージに対する強烈な嫌悪感と、この 「上級国民」 という言葉がその後生まれる空気を作る分岐点だったと云えるでしょう。

 さらに付け加えるならば、当初 「コンパクト五輪」 と称し低予算での開催を目指すと公言しておきながら関連予算は膨張の一途を辿り莫大な税負担が避けられなくなったこと、また一般人相手のボランティアに対してはろくに予算を割かず厳しい条件を課していたこと、そもそも東京五輪自体に否定的意見が少なくなかったことなども、前後の 燃料 と合わせ、騒ぎを大きくする要因となっていました。

「しかし一般の国民の方々が納得できないかもしれない」 記者会見が反発を招く

大会組織委員会によるエンブレム使用中止の記者会見 (2015年9月1日)
大会組織委員会によるエンブレム使用中止の記者会見
(THE PAGE/ YouTube/ 2015年9月1日)

 結局この東京五輪エンブレム案は白紙撤回され、五輪組織委員会は9月1日にその説明と騒動に対する釈明の記者会見を開きました。

 しかし、パクリを疑われたデザイナーの 「盗作はしていない」 との コメント や、デザイン案を採用した審査委員長の 「デザイナーのいう通り、これはオリジナルとして認識できる」「デザイン界としてはそういう理解」「専門家ならそれがわかる」 との発言を紹介するのみで、デザイナーとデザイン案、コンペのありようを全面的に正当化し、「問題はなかった」 と結論するものでした。

 問題がないならなぜ撤回するのかについては 「一般の国民の方々が納得できないかもしれない」「一般国民にはわかりにくい」「デザイナーやその家族に誹謗中傷が続いており、本人から五輪への悪影響を考え取り下げたいとの話があった」 と述べるに留まり、これが 「一般のお前らにはわからないだろうが、単なる誤解であってパクリではないし、俺たちにはそれが常識」「でも誤解されて誹謗中傷されたから撤回するわ」 と開き直っているように見るものには感じられ、むしろ嫌悪感がさらに強まって反発もピークに。

 こうした状況の中、掲示板 2ちゃんねる を利用する人たちの間では記者会見での発言が 実況 も交え逐一まとめられ、「一般国民一般国民って、何様のつもりか」 との批判が噴出。 Twitter などとも相互作用しつつ、一般国民と対比する形で、「上級国民」 といった 概念 と言葉が生まれ、「さすが上級国民さまは我々一般国民とは違う」 との揶揄が広がることとなりました。

 ネット で嫌われがちな対応に 謝ったら死ぬ病 というのがあります。 記者会見ではそうした病を発症した組織や人がやりがちな、論点ずらしの 「謝罪もどき」 を感じた人が多かったから、さらなる反発を招いたのでしょう。 またこれを報道するメディアの側の追求も核心部分を鋭く突くには弱く感じられ、それが 「オリンピックの放送利権」「メディアに強い影響力を持つ広告代理店への配慮」 を見るものに感じさせ、不信感を高めたことも相乗した結果なのでしょう。

 その後も 「上級国民」 という言葉は、公務員や大手企業経営者、メディアに影響力がある著名人などの犯罪行為における警察側の不透明な対応 (一般人なら即逮捕・起訴されるような事件でも書類送検・不起訴で終わったり) や、事件報道における異例の肩書・敬称問題 (過去の大手芸能事務所タレントの事件報道における、〇〇容疑者ではなく〇〇メンバー・司会者・タレント呼称など) の違和感を述べる中で度々使われ定着。

 そして4年後の2019年春、この言葉が爆発的に使われるきっかけとなる事故が起こり、ネットスラングというよりは、一般用語のような広まりを見せることとなりました。 死者2名負傷者10人に及ぶ、池袋母子死亡暴走事故 (東池袋自動車暴走死傷事故) の発生とその対応問題です。

「池袋母子死亡暴走事故」 ドライバーへの不可解な対応から 「上級国民」 がクローズアップ

「運転やめる」告げていた87歳 猛スピードの目撃情報 (2019年4月19日)
「運転やめる」告げていた87歳 猛スピードの目撃情報
(朝日新聞/ 2019年4月19日)
ドライバーの 「さんづけ報道」 は憶測を呼んだ

 2019年4月19日、東京都豊島区東池袋の路上で、多数の死傷者を出す自動車暴走事故が発生。 母娘2人が死亡し、10名が重軽傷を負う大惨事となりました。

 赤信号を無視し猛スピードで交差点内の横断歩道に突っ込むという事故の内容、その被害の大きさ、ぐちゃぐちゃになった事故車両 (トヨタプリウス) や衝突によって横倒しになったごみ清掃車、巻き込まれ跳ね飛ばされフレーム部分で真っ二つになった自転車など報道された事故 現場 の凄惨さもあわせ、大きなニュースとなりました。

 なかでもこの事故は、運転者が87歳の高齢者であり事故車両がプリウスだったことが、ネットの間で好奇の目で見られ強い関心を引く原因となっていました。 高齢者の 「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」 ことによる交差点や歩道、店舗への暴走 突っ込み 事故が高齢化社会と共に増えていること、中でもプリウスは、俗に 「プリウスミサイル」 などと揶揄されるほど、そうした事故で度々名が挙がるクルマだったことなどが背景にあり、「また老人の暴走か」「プリウスか」 と、ネタ としても 叩かれ がちな内容だったからです。

 それとほぼ同時に、全く別の騒動も巻き起こりました。 大手マスコミによる事故報道で、事故を起こしたドライバーの名前が出なかったり、出ても敬称の 「さん」 がついていたり 「元院長」 との肩書がついていたり。 通常事件事故報道で広く行われる 「容疑者」 でなかったのが、「何らかの配慮がされているのではないか」 との憶測を呼んだのでした。

 このドライバーが現行犯逮捕も後日の逮捕もされていないこと、その後の報道で元政府高官で叙勲もされていた著名な人物だったこと、事故現場で被害者の救助活動を一切しなかったこと、自分の非を認めず謝罪もしないこと、事故直後にドライバーが関連する SNS 等の削除を行うなど手回しがよかったことなどから、「さすが上級国民さまだ、我々とは扱いも常識も違う」 との強い不快感と揶揄を招くこととなりました。

「なぜずっと逮捕も起訴もされないのか」 事故後の経緯に不信感を持ち署名活動も開始

 こうした 「一般人との扱いが違う」 状況について批判が高まると、メディア関係者や法曹・警察関係者らなどが 「それは事情を知らない人間の思い違いだ」 との情報発信をしたことも、騒動に拍車をかける形になりました。

東池袋自動車暴走死傷事故 遺族のブログ (2019年7月20日)
東池袋自動車暴走死傷事故 遺族のブログ
(2019年7月20日)

 情報発信には 「まだ逮捕されていないから容疑者扱いになってないだけ」 との意見がありましたが、過去にもこの事故の前後にも事故や事件で逮捕されていない人間が容疑者として報道されたケースが多数あることで、説得力はあまりありませんでした。

 また 「そもそもなぜ逮捕されないのか」 についても、「高齢だから」「逃亡の恐れがないから」「怪我をしているから」「入院したから」 との情報発信や反論がされましたが、こちらも反例がいくらでもある状態で、さらに怪我が治り退院した後も逮捕されず、交通違反の行政処分がされただけでした。 いずれも 「今回のケースとそれ以外の数多くのケースとの違い」 をなんら合理的に説明できておらず、むしろ不透明さを際立たせる結果になっていました。

 こうした状況から、妻と3歳の娘を亡くした遺族の男性は記者会見を開いたり ブログ を開設するなどして情報発信を開始。 亡くなった母子の写真や動画を公開し悲しみを訴える一方、加害者に対し 「二人の命を奪った罪は償ってほしい」 と厳罰や法整備を求める署名活動を行うと、事故やその後の対応に怒りを感じた人たちが署名や情報の 拡散 で支援。 街頭署名や郵送分も含め、合わせて 39万筆もの署名が集まることとなりました。

法の運用に幅があるのは良いが、そこに 「発表できる合理的な理由」 はあるのか

 今回のケースでは、報道内容を見る限り、司法の対応やメディアの側に明白な違法行為は当然ながらありません。 事件事故などはケースバイケースであり、似たような状況でも必ず同じ手続きとなるわけではありませんし、またそうすべきでもないでしょう。 個別に丁寧な対応をするのが望ましい姿です。

 高齢者には留置場に拘束しての取り調べに対する体力や健康状態の懸念もありますし、公務員や資産家などに対して逃亡の恐れを低く見積もり逮捕を見送るのも、一方の合理的な理由ではあるでしょう。 容疑者の身柄を拘束し自由を奪う逮捕ですが、別に見せしめや懲罰のために行うのではなく、あくまで逃亡や証拠隠滅を防ぎ公正な捜査を行うためのものです。 逮捕しない方が事件事故の公正・迅速な解決にふさわしい場合だって当然あるでしょう。

 しかし加害者の年齢、加害者の事故後の心身状態、加害者の事故原因に対する意見 (認否)、事故の被害状況、その他の条件などを比較して、ほとんど同じかより軽微、真摯だったケースで、現行犯逮捕がされたり実名報道や容疑者報道がされていることなどは多数あります。 それぞれの事故・事件に沿った個別の対応を認めた上で、なおそれだけでは理解できないほどの、手続き判断を左右する明確な基準の違いが示されないからこそ、様々な憶測を呼び、批判の声が高まる結果となったのでしょう。

 もちろん検察や警察が恣意的に逮捕を乱発したり自供しない限り長期間拘留したり、逮捕された段階でまるで真犯人であるかのように根掘り葉掘り人となりまで メディア・スクラム状態 で報道するメディアのありようには問題があり、それぞれの手続きを人権に配慮しながら慎重に行うことが必要です。 しかしその慎重さが、まるで 「一部の著名人や社会的地位の高い人に対してだけはしっかり行われる」 ような状況なら、手続きに瑕疵がなくとも法の下の平等や公平な報道の理念に反するものになるでしょう。

 今回のケースとそれ以外のケースのどこがどう違うから逮捕も起訴も容疑者報道もされないのかについて、法治国家の検察や警察はもちろん、権力の監視・社会の木鐸を担うと公言するメディアにも、きちんと説明する義務や責任があるのではないでしょうか。 そしてそこに 「合理的に説明できない何か」「そうせざるを得ない空気」 がもしもあるのだとしたら、「上級国民」 なる言葉に、単なる嫌味や中傷ではない一定の正当性があるのを認めないといけません。

事故を起こした人物は一貫して自身の責任を否定

 事故を起こした人物はその後メディアの取材に対し、「おごりがあったのかなと思い反省しております」 と軽く頭を下げ 「おわびの気持ちをずっと持ち続けていることをお伝えいただきたいと思います」 と述べる一方、事故直後から主張している 「突然暴走しブレーキを踏んでも効かなかった」「車に問題があった」 との主張は曲げず、「安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしいと願っております」 とコメント。

 事故の原因や自らの責任について問われると 「裁判が控えているのでコメントは差し控える」 とした上で、2020年10月8日から東京地裁で始まった裁判でも、「車の異常で暴走した」 と起訴内容を否認し、過失はなかったとして無罪を主張、全面的に争う姿勢を示しています。 もとより裁判での否認は認められていますから、否認それ自体を咎めるのは誤りですが、このまま裁判を長引かせれば被告の寿命が先に来る可能性もあり、それによる 「逃げ切り」 を図っているのではとの邪推も生じています。 しかしその後の裁判では批判の声に耐えかねたのか、一転して被告側は上告しないことを決定。 実刑判決を受けて収監されることが決定しました。

 なおこの裁判の初公判の直前となる10月6日、2018年に車で女子高校生2人をはねて死傷させた別の高齢者による事故裁判 (前橋死亡事故) の二審判決が出ています。 こちらの事故は、被告が服用していた薬の副作用によって運転中に突然極度の低血圧となって意識を失い事故が生じたもので、一審で 「これほどの副作用は予期できなかった」 との認定がされ無罪判決が下されたものの、控訴後の二審で被告自ら 「罪を償いたい」 と主張し、逆転有罪判決となったものでした。

 被告は弁護人を通じて 「犯した罪を償い、人生を終わらせたいと思っており、被害者の苦しみを思うとその思いは一層深まっている」 と述べ、そのありようが 「池袋母子死亡暴走事故」 の被告と比較され、さらに不信感や怒りを増幅する役割を果たしていました。 なおこちらのケースでは事故を起こした当時被告は85歳、その場で過失運転傷害の疑いで逮捕され、実名の上容疑者として報道されています。

2020年の新型コロナでも 「上級国民」

 「池袋母子死亡暴走事故」 の話題が続く中、翌2020年になると新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) が世界や日本で広がることに。 これを巡る様々な問題でも再び 「上級国民」 という言葉がクローズアップされ、揶揄や罵倒と云うよりは、もはや憎しみを込めたキーワードとして注目されるようになっています。 またこの頃にはすっかり言葉が定着していたこともあり、その使い方も極めて多岐にわたります。

 例えば一般国民には感染拡大防止のため 不要不急 の外出や 濃厚接触 になる会食、県をまたいだ移動の自粛を強く求めながら、自分たちは公務以外の個人的な会食や遠距離移動を繰り返す政府や政権与党の政治家たち。 一般国民が新型コロナに感染しても検査や入院ができないのに、一部の政治家や財界の有力者らは即日検査や入院ができたり、海外から帰国した際の隔離対応に差があったり。

 また外出の自粛や一部業態への休業要請、緊急事態宣言の発出などにより仕事を失うなど生活が困窮する人が大勢出る中、救済のための施策である国の緊急融資や給付金、補助金、助成金などの運用や広報に、巨額で不透明な税金の使い方がされたり。 政権与党実力者と関係の深い業界に手厚い支援・優遇対策がなされながら、無視されたり規制が強められる一方の業界があったり。 これら不公平感が刺激される状況が、短期間に数限りなく生じることになりました。

「石原伸晃議員コロナ感染で入院 事務所コメント発表」(2021年1月22日/ テレビ朝日)
「石原伸晃議員コロナ感染で入院 事務所コメント発表」
(2021年1月22日/ テレビ朝日)

 なおこの頃とくに強く批判された政治家の中に自民党の石原伸晃議員がいます。 政府や本人自身も不要不急の外出を避けるよう国民に強く呼びかけながら会合やパーティーなどに参加し新型コロナに感染。 さらに発熱やせきなどの症状は何もでていなかったにもかかわらず、感染が分かるとそのまま入院することになりました (2021年1月22日)。

 当時医療体制は逼迫しつつあり、重い症状が出ていながら入院できず、自宅療養や自宅待機となる感染者が東京都だけで 6,000人ほどもいる状況でした。 石原さんは議員ではあるものの政府要職に就いていたわけではなく、また他の感染した議員も一般人と同じ対応となっていたため、この即日入院には 「さすが上級国民」 との揶揄があふれることとなりました。 なお1ヶ月ほど前となる前年12月27日には、発熱を感じ一般人と同じように自宅療養をしつつ検査待ちをしていた立憲民主党の羽田雄一郎議員が、現職議員としては初めて新型コロナ感染により急逝しています。

 石原さんはコロナ禍中でも国民に対する経済的支援には後ろ向きで、国家財政健全化のための増税すら主張しており、同年10月19日の総選挙では強い批判に晒され選挙区・比例区ともに落選しています。 しかし選挙後に岸田文雄首相が内閣官房参与に起用することに。 ここでも 「選挙の意味ないじゃん」「やっぱり特別扱いされるんだな」 と非難されることとなりました。

 この人事が報道され批判された直後には、コロナ禍で売り上げが減少した企業などへの支援として施行されたコロナ助成金 (雇用調整助成金) を自身が代表を務める政党支部が受給していたことも発覚し、不明朗な金銭問題にも発展。 過去には生活困窮者の生活保護申請を ナマポ 扱いで罵倒する (2012年9月11日の報道ステーション出演時) など、「云ってることとやってることが違いすぎる」 と批判は最高潮に。 結局12月10日になり、内閣官房参与を辞任しています。

東京オリ・パラでも再び 「上級国民」

1年延期の後に開催された東京オリ・パラ (2021年7月23日〜8月8日・8月24日〜9月5日)
1年延期の後に開催された東京オリ・パラ
(2021年7月23日〜8月8日・8月24日〜9月5日)

 新型コロナの世界的感染爆発によって1年間の延期の後に開催された東京オリ・パラ (2021年7月23日〜8月8日・8月24日〜9月5日) でも、組織委員会の責任者や役員らの度重なる舌禍やトラブル、不正行為が生じています。

 こちらもなぜか明確な責任が追及されず処分もなかったり、辞任した後の後継人事が 「仲間内でポストを回している状況」 だったりと、不信感を高める結果に終始していました。

 とりわけオリンピック開会式における演出担当者らの度重なる不祥事発覚による辞任や解任では、企画内容や関係者の人選に 昭和的 な価値観や、談合・根回しといった古臭い体質が感じられるものでした。 「そもそもなぜこの人が選ばれたのか」 が明確にされないまま、トラブルが容易に予見できる状態での問題発生となっており、あげく批判が巻き起こってからも問題の矮小化・庇い合いが関係者らの間で繰り返されました。

 結果、「上級国民がお友達を誘って東京オリ・パラに群がり、税金を食い物にして私腹を肥やしている」「エンブレム問題と同じことを繰り返している」「このままでは日本が滅ぶ、衰退が止められない」 との強烈な批判と危機感を生むこととなりました。

 2022年になると、五輪関係の汚職事件が相次いで発覚。 大手広告代理店やメディア関係者などが次々に逮捕されるという異常事態になっています。 東京オリパラを巡る不正問題自体はそれ以前にも発覚したものがありましたが、それらはおおむね誘致合戦における開催地決定権者への贈賄疑惑であり、人によっては 「立候補している他都市も同じような贈賄をしているならやむを得ない、キレイごとではものごとは決まらない」 としたり顔で擁護する向きもなくはありませんでした。

 これはこれで大きな問題ではありますが、その後の贈収賄は文字通り自社や自分自身への利益供与のみを目的とした言い逃れのできない汚職・税金泥棒そのものであり、誘致からエンブレム、開催、閉会後と、金と欲にまみれた五輪騒動の総決算の趣があります。

「上級国民」 はいるのか、いないのか

 「元々ネットには行政やメディア、警察を批判的に見る人が多い」「だから自分の見たいものを見て素人考えで上級国民だなどとありもしない話をするのだ」 との意見もあります。 これは順序が逆の話でしょう。 こうした不透明で不可解なあれこれが過去に何度もあったからこそ行政やメディア、警察を含む様々な公的機関を批判的に見る人が増えていたのであり、東京オリ・パラ問題にせよ東池袋暴走事故にせよ新型コロナ問題にせよ、これほどわかりやすい形でその疑念が現れたから、改めて批判されているのでしょう。

 公平な判断が強く求められる状況で全く同じことをしても、ある人は仕事仲間に優遇され、ある人は無視される。 あるいは、ある人は逮捕され容疑者報道されるが、ある人は逮捕されずに匿名やさんづけ肩書で報道される。 一部の企業や個人、業界にだけ、よくわからない名目で巨額の税金が注ぎ込まれる。 こうした不公平で不透明な状態を指して 「上級国民」 と呼んでいるのであって、「上級国民などという存在は単なる妄想であって実在などしない」 との論は、そもそもの前提が間違っています。

「上級弱者」 など、派生語も登場

 行政やメディアに特別扱いされる存在を揶揄する言葉として 「上級」 が使われるようになると、派生語も登場することとなりました。 代表的なのは 「上級弱者」 で、もっぱら貧困や差別に遭った若い女性、心身の障碍者、一部の外国人、子供や高齢者など、何かと行政から保護や優遇の対応がなされ、また大手メディアなどから同情的・好意的に触れてもらえる存在を指します。

 もちろんこうした人たちはしばしば弱者の側に追いやられがちな存在であり、人権上守るべき対象として注目すべきなのは当然なのですが、同じく貧困や差別に直面している若い男性や非正規雇用で独身の中高年男性 (いわゆる 「キモくて金のないおっさん」(キモ金・KKO) への冷淡なそれとあまりに対応が違うため、かねてから特別扱いされる存在として 「最強弱者」「かわいそうランキング上位」 などと揶揄・侮蔑されていました。

 こうした 「弱者にも上級と下級がある」「優遇される弱者とそうでない弱者がいる」 との揶揄はとても皮相的なものだとは思うのですが、実際問題として 「あまりに差がある」 状態から生じる不公平感は多くの人が覚えるものですし、しばしば上級弱者の側が下級弱者を含む社会全体に強い発信力を背景とした排他性・攻撃性を持っていることから、ネット上では何かと議論が沸騰し、あるいは叩かれ、結果的に両者の分断を広げる状態ともなっています。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2015年12月8日
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