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結婚/ ケコーン

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仲が良いなら結婚したら…? 「結婚」

 「結婚」 とは、日本においては婚姻と呼ばれる法律 (民法) で定められ、社会的承認を経た男女の夫婦関係、持続的な生活・性的なパートナー関係のことを指します。 とくに経済的な権利関係のつながりは極めて強く、血縁関係 (もしくは特別養子縁組) のある親子関係に次ぐ強固な人的関係・結合となります。 成人であれば本人同士の婚姻意思があればいつでも結婚することができます (直系血族または三親等内の傍系血族間、意思能力を有していない者などは、一部制限があることもあります)。

 一般的にはもっとも強い男女の社会的・性的結合の形態と云え、友人や恋人や同棲 (内縁) といった非婚姻関係などとは法的・権利的にも全く異なる扱いがされます。 ただし当人同士に直接的な血縁関係がない場合がほとんどのため、婚姻の解消 (離婚) によって関係性を断つこともでき、その場合は単なる他人となります。 2人の間にもうけた子供がいた場合、子供への血縁を通して間接的なつながりは残ります。

 近年にあっては 人権 や多様性の観点から同性による結婚を求める声も高まっています。 結婚は社会的に認められ法的根拠もある非常に強固なつながりであると同時に、普通養子縁組などと比べても様々な制度上、税制上の優遇措置などもあります。 多くはこれまでの 「結婚するのが当たり前」 のような社会的前提の元に作られたもので、とくに妻となる女性側の保護に主眼が置かれています。 同性婚はもとより、あえて結婚という形を取らないパートナーとの様々な関係や共同生活のありようなども含め、法の下の平等を実現するためにも、制度や社会的な 認知 なども時代に合わせて変えていくべきだとの声もあります。

 関連用語は膨大で、結婚相手を探すことは婚活、求めることは求婚、結婚の約束は婚約、当人同士だけでなくお互いの家族 (両家) で約束を結ぶことは結納、約束をした相手は婚約者やフィアンセ、あるいは 許婚 と呼びます。 結婚したことを友人らを招いて披露するのは結婚式、結婚後の初めての旅行は新婚旅行、結婚した証としてお互いに交換するのは結婚指輪と呼びます。 結婚指輪は通常、婚約の際に男性から女性へ渡す婚約指輪、結婚した後に日常使いをするシンプルな結婚指輪の2種類があります。 指輪は、左手の薬指にはめるのが一般的でしょう。 また6月は結婚月とも呼ばれ、結婚式が集中するブライダルシーズンとされます。

俗語化したり、ネットスラングなどにも

 なお おたく腐女子 に近いところでは、出会った場やきっかけが ネット だった場合はネット婚、あるいはそれが パソ通 だった場合は パソ婚 と呼んだ時代もありました。 コミケ がきっかけならコミケッコンと呼ぶこともあります。

 一方で コスプレイベントパーティー などで コスプレイヤー 同士が出会って結ばれた場合のことは、「コスプレ婚」 とはあまり呼ばないようです。 これは、「コスプレして結婚式を挙げる」 というのを 「コスプレ婚」(コス婚) と呼ぶことが多いからでしょう。 その場合は、コス友婚とかレイヤー婚と呼ぶことが多いようです。

 結婚することによって新しい家族ができ、これまでの生活の 環境 が一変する人も多いでしょう。 友人関係も変化があるかも知れません。 その結果、自由に使える金銭的・時間的、あるいは精神的な余裕がなくなったりして おた活推し活 が滞ったり、おたく的な趣味から遠ざかることもあるかも知れません。 配偶者がそうした趣味に理解がない人の場合、何らかの トラブル が起こったり夫婦喧嘩が起こったり、緊急家族会議 が招集されて、かなり苦しい立場に立たされることもあります。 受験や就職などと並び、おたくや腐女子にとっては 人生の4大転換点 のひとつとも目されるゆえんです。

 俗語表現として単に仲が良いこと、息が合うことを結婚と表現することもあります。 例えばネットの 掲示板レス書き込み) の内容やタイミングが同じだった場合を 「なかよし」 の他、ネットスラング で 「結婚」(ケコーン) と呼ぶことがあります。 「気が合うから結婚しろ」 という意味です。 類似の意味の言葉には 念レス俺発見 などもあります。

歴史や宗教や文化によって、様々な結婚の形が

 結婚は、時代によっては本人同士のつながりよりも、それぞれの 「家」「一族」(あるいは集落間) とのつながりが重視されてきた歴史があります。 またそれぞれの国や民族の歴史・文化・宗教などとも密接に関係し、時代や地域によって様々な形があります。 現在の日本のそれはおおむね近代になって欧米の結婚制度の一部を取り入れる形で整備されていますが、国によっては一夫多妻制が現代にも残っていたり、配偶者の一方が亡くなった場合、その弟や が代わりに配偶者となり、家同士の結びつきや血統の維持、資産保全をするような風習 (レビラト婚) が残っているところもあります。

 現在の日本では、自由恋愛が基本であり、家や一族同士のつながりを重視したり、家政婦を雇う感覚で妻を迎える、あるいは本人同士の意思を全く無視した政略結婚のような形の婚姻は、少なくとも大っぴらには見られなくなっています。 とはいえ、結婚は本人とその縁戚が否応なく経済的に結びつくことでもあるので、ドロドロとしたあれこれは家庭裁判所での離婚時の財産分与や遺産相続手続きといった現場の レベル では耳にすることもあるようです。

 自由恋愛が重視されるあまり、親族らによるお見合いのお膳立てといった旧来の出会い方は忌避されるようになっています。 日本の経済的停滞による貧困化などもあり、若者の間に恋愛や結婚に対する余裕や興味関心も少なくなっています。 また異性に対するコミュニケーションや接触も最低限にすべきだとの社会的風潮、とくに職場におけるセクハラ・パワハラへの高まる忌避感情もあって、かつては重要な 「出会いの場」 でもあった職場での出会いや恋愛、結婚も結果的に大幅に減少しています。 これは企業側の女性社員に対する 「寿退社」 を前提とした結婚システムの崩壊とも時期を同じくしており、晩婚化、少婚化が進んだり、逆に一部では結婚相談所やマッチングアプリの利用者が大幅に増えるなど形を変えたお見合いが復権したり、かなり混沌とした状況もあります。

男女の関係性・恋愛のピーク、ゴールとして描かれがちな結婚

 現在の日本における結婚が、おおむね自由恋愛の結果として行われることから、男女の関係性におけるゴール、あるいは恋愛感情のピークだと理解されることも多いようです。 創作物などでも、恋におちた男女が結ばれる幸せなエンディングの典型例として、昔話や童話の時代から婚約とか結婚とか結婚式が好意的に描かれることが多いでしょう。 愛し合う2人は結婚して末永く幸せにすごしましたとさ、と云うわけです。

 しかし実際の男女の関係性で云えば、同棲や同居のあるなしを含め、結婚はゴールではなく共同生活のスタートだと云えます。 子供向けの童話の筋書きはともかく、このあたりは実際に結婚してパートナーと苦楽を共にするなど、身につまされる実体験が伴わないと実感や理解もしづらいものかもしれません。

 また戦後しばらくして結婚を幸せな、文字通りの 「ゴールイン」 だと取り扱うような作品などが人気となった時代もあります。 これは 昭和 の前半、おおむね 戦前 から戦後のある程度の時代まで、庶民の間でも家の都合で本人の意思とは無関係に結婚相手を決められてしまう、あるいはお見合いといった伝統的な結婚の形態が根強く浸透していたことへの 反動 という部分もあります。 これは第一次ベビーブーム時代に生まれたいわゆる団塊の世代が、都市部への移住を通して地方のしがらみから解放されて結婚適齢期に達したころ (1960年代末から1970年代頭くらいまで) と時期を同じくしており、この頃に自由恋愛の時代が本格的にやってきたことと無縁ではないでしょう。

 なお総務省の調査統計によれば、それまで7割前後で推移していたお見合い結婚は戦中戦後あたりから緩やかに減少し、自由な気風と欧米的な価値観が広まる中、以降は恋愛結婚が急速に伸びて1967〜8年あたりで逆転、2010年から2015年統計では恋愛結婚は 87.7%に達し、一方のお見合い結婚はわずか 5.5%に留まっています。

恋愛・見合い結婚の割合推移 (総務省国勢調査より制作)
恋愛・見合い結婚の割合推移 (総務省国勢調査より制作)

 この1960年代中頃から1970年代中頃までに放映が開始された象徴的なテレビ番組に 「新婚さんいらっしゃい!」(1971年) があります。 一般公募されたラブラブの新婚さんが 司会 の月亭可朝さんや桂三枝さんの軽妙なリードの元、2人のなれそめや恋愛中のエピソード、お互いの失敗談などを面白おかしく話すというものでした。 またそれに先立つ1960年代中後半には、恋愛中のカップルが登場する歌番組 「ニッケ・アベック歌合戦」(ラジオ番組からテレビ番組へと移行したもの、1964年から1968年まで、司会者トニー谷さんによる 「あなたのお名前なんてーの」(あんたのおなまえ何アンてエの) が有名) もあります。

 ほぼ同じころ、歌謡曲で云えば 吉田拓郎さんの 「結婚しようよ」(1972年) や小柳ルミ子さんの 「瀬戸の花嫁」(1972年)、チェリッシュの 「てんとう虫のサンバ」(1973年)、小坂明子さんの 「あなた」(1973年) などなど、それまでの恋愛ソングで 定番 の恋の喜びや苦しみ、失恋といった テーマ に加えて、結婚に至る夢や未来、結婚式に臨む気持ちを直接的に歌った作品が数多く登場し大ヒットしています。 多くの恋愛ドラマや小説における代表的なクライマックスがプロポーズとその受容だったなどは、いまさら云うまでもないでしょう。 女の子の将来の夢や人生のピークが、漠然とした 「お嫁さん」 の時代だったとも云えるかもしれません。

 このあたりはその後日本が辿った晩婚化・少婚化の流れを見ると、望まなくとも結婚するのが当たり前 (というか義務や強制に近い当たり前) だった時代と、一方で必ずしも愛する相手と結婚できるわけではなかった時代 (とりわけ地方) が変わりつつある明るさを、素朴に感じさせるものだとも云えるかもしれません。

 しかしこれは、結婚 (あるいはその前提としての恋愛) ができる人とできない人との格差を広げ、妊娠出産という年齢的なタイムリミットがある営みを一部の男女に放棄させ、少子化にもつながる 「弱肉強食の世界」 だとも云えます。 望まない結婚を押し付けられる人が減るのは良いことですが、結婚を望まない人はともかく、望んでいても結婚できなかった人たちを 「自己責任」「負け組」 で追いやるのも、それはそれで 不幸 なことでしょう。

 なお50歳時の未婚率 (いわゆる生涯未婚率) で云えば、1920年代は男性2.1%、女性1.8%で、ほとんど全ての男女がおおむね人生で一度は結婚している状況でした。 この傾向は1960年代くらいまではそのまま続いていましたが、1980年代後半から主に男性の未婚率が急速に上昇 (男女の逆転)、その後女性の未婚率も徐々に上昇し、2020年には男性26.8%、女性17.8%に達しています。 男性の4人に1人程度、女性の6人に1人程度は未婚のまま人生を終えることとなっていますが、15年後の2035年には男性の3人に1人、女性の5人に1人くらいまでとさらに上昇することが予想されています。

生涯未婚率の推移 (総務省国勢調査より制作/ 2035年までの予想値も含む) 45〜49歳と50〜54歳の未婚率平均値から算出
生涯未婚率の推移 (総務省国勢調査より制作/ 2035年までの予想値も含む) 45〜49歳と50〜54歳の未婚率平均値から算出

 未婚率の急激な上昇の理由については様々語られ、やれ若者が恋愛や結婚に興味をなくしただの (若者の〇〇離れ)、自由恋愛至上主義が蔓延する中で恋愛市場で落ちこぼれた 非モテ の増加と救済ができなくなっただけだの、価値観の変化だ高学歴化の弊害だ晩婚化の影響だ先進国病だなどが度々話題になります。

 しかし各種統計や指標などから主たる原因はある程度はっきりしていて、自由恋愛への流れが不可避となった後に日本の長期に渡る経済的な停滞と非正規雇用の増加、それに伴う若者・現役世代の貧困化が、その理由の多くを占めていると云って良いでしょう。 また婚姻率と出産率は強い相関関係がありますから、日本の少子化の主原因のひとつがここにあるのは云うまでもありません。

 ところで少子化に加えて若年層の貧困化もその後進みますが、その原因の大きなものの一つに離婚の増加、それに伴う母子家庭の増加があります。 厚生労働省の2020年人口動態統計(確定数) によれば、離婚率は1970年まではずっと1割以下となっていましたが、その後少しずつ増加。 とくに1990年代後半に急激に増加し、2005年頃からは35%以上の横ばいで推移。 2020年には36.8%となり、3組に1組以上が離婚するという状況が続いています。

結婚における年齢差と年齢

 結婚における年齢差については、男性がいくらか年上で女性が年下というのが、もっともありふれたパターンでした。 逆に女性が年上の場合は 「姉さん 女房」 などと呼ばれ、珍しいものという印象です (実際に少ない)。

 一般に女性は男性に比べ肉体的に早熟であり、大人への第一歩でもある第二次性徴も、女性の方が早く訪れることが多いようです。 例えば小学生中高年から思春期頃などは、むしろ女性の方が体格的に恵まれていたり、男性から見て 「大人っぽい」 考え方や 雰囲気 を持っていることが多いでしょう。 逆に女性側からは同い年の男性は子供っぽく頼りなくも見え、恋愛などでも彼氏が先輩や年上、彼女が後輩や年下というのが、若い頃はとくに多く感じるものです。

 社会人になるとこうした性別による成熟の差は相対的に小さくなりますが、今度は男性には社会的地位や経済力、女性には健康な子供を産む若さが求められがちで、さらに男性には女性をリードする決断力や包容力、女性には従順さなどが美徳だともされがちです。 「一家の大黒柱としての夫 (父)」「子供を産んで育てる妻(母)」 との性役割が社会的に強かった時代性もあり、「男が年上で女が年下」 という結婚の形に蓋然性や合理性があると考えられることが多かったのかも知れません。

 しかし実際は、お見合い結婚が減って恋愛結婚が増えると、男女の年齢差はどんどん縮まり、近年ではその差はとても小さくなっています。 要するに本人の性差による成熟具合とか個々人の好みなどではなく、社会的な常識や、その常識を当たり前だと考えるお見合いの斡旋者の考えが、男性年上女性年下の形を長年維持してきただけだったとも云えます。 男は金を稼げるようになってやっと一人前、女は結婚や出産は早ければ早いほどいい、みたいな考え方が結婚観にも強く出ている、あるいは結婚観からそうした規範あるいは呪縛が生じていたのですね。

 統計上女性の方が男性より長命ですし、男性が年上ならば、老後に1人残される妻の孤独な時間も増えるでしょう。 もちろん個人差はあるにせよ、あまりに社会の常識にとらわれすぎると、自分にとってのあるべき結婚の形や幸せの決定権を、責任など取ってくれない社会や他人に預けることにもなってしまうのでしょう。

 なお結婚のお相手探しにおいてもっとも重視されるのも年齢で、男性が女性に求めるものは年齢が常にトップ、女性は容姿や収入と云った条件を求める人が多いものの、年齢もそれに近い上位を常に キープ しています。 男性の方が年齢を気にする傾向がやや強いものの、男女にそれほど大きな意識の差があるわけではありません。 結婚の適齢期、求められる年齢 (あるいは自分との年齢差) はあくまで個別的・相対的なものですが、いわゆる婚活を本格的に始める人の多くが30歳前後ということもあり、20台後半あたりからがもっとも求められる年齢 (婚活相手として人気がある年齢) となっているようです。

 逆に結婚が難しくなる年齢は35歳あたりとされ、男性が35歳になってからその後5年間に結婚できる確率は20.88%、女性の場合は22.61%だったとされます (2015年国勢調査)。 結婚にタイムリミットはありませんが、40歳を超えるとますます結婚できる可能性は落ち (そもそも独身者同士で出会う場も少ない)、逆に20代中頃あたりなら男女ともに4割程度の成婚率となっています。 20代後半から30歳で半減、30歳から40歳でまた半減、50歳でさらにその半分以下といった厳しい状況です。 50歳時未婚率は、いわゆる 「生涯未婚率」 と同じような扱いをされますが、実際に50歳時に未婚の人のその後の結婚率は微々たるもので、誤差に入る程度の状況にあります。

 一昔前までは、女性をクリスマスケーキに例えるような論もありました。 24日のクリスマスイヴと24歳とをかけて、「25になると売れなくなる」「値引きなどの妥協が必要となる」 といったかなり趣味の悪い冗談です。 しかしその傾向は現在も続いており、しかも女性だけでなく男性にも当てはまるような状況にもあります。 実際、ある程度以上の容姿や学歴や常識や収入がある 「優良物件」 は、25歳あたりで結婚してしまうか結婚を前提とした交際をすでにしていて、婚活市場からはあらかた消えてしまうという現実があります。 恋愛相手や生涯の伴侶探しで 「妥協」 といった言葉は使いたくありませんが、分不相応な高望みをしても相手がいないのではどうしようもありません。

上方婚と下方婚

 上方婚とは、社会的地位や経済力などが自分より高い相手と結婚することです。 その極端なケースは玉の輿と呼びます。 逆に自分より低い相手と結婚する場合は下方婚となります。 おおむね女性は上方婚志向、男性は下方婚志向とされています。

 男女の収入格差が今以上に歴然としていて、かつ男性年上が多い時代には、女性の上方婚志向は当たり前というか、世の中の仕組みがそうで、それに最適化されただけだったと云えるかもしれません。 しかし自由恋愛の時代となり、各種法令の改正によって雇用格差や収入格差が縮小し婚姻時の男女の年齢差も小さくなってくると、当然ながら上方婚も難しくなってくるでしょう。

 ちなみに総務省調査によると未婚正社員の平均年収は2012年段階で全年代ともに男女差がほぼなくなっています。 それでも残る社会全体の男女賃金差の大きな理由は、男性が長時間勤務 (残業) しがちなことの他、正社員の場合は既婚・出産女性の急激な年収低下 (マミートラック問題)、全体では非正規雇用者に女性が多いことから生じています。 これは不景気による人余りと賃金低下に伴う共働き世代の増加、女性の社会進出が進んだことへの社会や政治の対応が遅れた結果だとも云えます。

 これを 「女性側は昔と比べてはるかに社会情勢や待遇の改善がされしばしば優遇すらされるようになってきているのに、いまだに昔と同じ上方婚志向が抜けないのは欲張り過ぎだ」「結婚によって仕事を減らし楽をするためだ」 と批判するむきもあります。 一方の男性の側の下方婚を望みやすい傾向も、「男性である自分の優位性を誇示したいためだ」「権力勾配を悪用して相手を探す行為」「古臭い 「男らしさ」 にいつまでも囚われている 残念 な人」 と批判されがちかもしれません。

 とくに男性による 「一部のハイスペック男性に女性が集中するのも少婚化の原因のひとつ」 といった論は、逆に女性側からは 「ロースペック・弱者男性に女性をあてがえみたいな話だ」 との反論を呼びやすいですし、そうなれば男性側は 「弱者男性が嫌で自分より高い経済力や社会的地位を相手に望むなら、男性の優位性や権力勾配を求めてるのは女性の方じゃないか」 と、ああ言えばこう言うみたいな女性・ジェンダー問題炎上の 定番 テーマのような趣もあります。

 法律上は完全に男女平等となったとはいえ、まだまだ格差は残っています。 男女のあれこれは荒れがちな話題ですし、統計上の話はともかく、自分や自分に身近な個別のケースで見れば、割り切れない部分はあるのでしょう。 その個人が自分の狭い世界から受ける肌感覚や お気持ち に過ぎない話をネットを通じて声高に叫び合う中、対立や分断も深まることとなっていますが、これらもいずれは解消されるのでしょうか。

 「らしさ」 や古い社会規範からの脱却は時間がかかるものなのでしょうが、一部の 露悪的 なミソジニスト (女性嫌悪・差別者) とフェミニストやジェンダー論者を名乗るミサンドリスト (男性嫌悪・差別者)との 対立煽り はネット時代となって先鋭化し、互いに 主語を大きく して 「そっちが悪い」 の押し付け合いになっています。 それが今と云う時代なのかもしれませんが、大半が結婚できるけれど多くが親族らの押しつけで望まぬ結婚も多く離婚も難しかった時代、結婚を2人のゴールインだと無邪気に信じられている一方で恋愛市場における負け組が大勢出た時代、そして現代と、いずれがより多くの人にとって幸せな、あるいは 「マシ」 な時代だったのでしょうか。

 結婚や、男女の 「らしさ」 は人から自由や平等を奪い縛るものであると同時に、それを信じたり支持する人が多数派である限りは、従順な人をしばしば守ってくれるものでもあります。 社会や人類の進歩といった大きなくくりはともかく、自分自身の生物としての人生は短いのですから、その短い人生をより良くするために現在の社会のありように異を唱えるにせよ避けがたい社会構造の一部として受容するにせよ、賢くバランスを取ってつき合っていきたいものですね。 そして自分とは別の選択をした人がいたとしても、相手の人生の責任を取るつもりもないくせに自分の尺度で 「間違っている」 などと攻撃するような傲慢なことはしたくないものです。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2007年12月16日)
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