どうだ、議論が深まっ太郎… 「議論が深まった」
「議論が深まった」 とは、何らかの議論や会議が決裂するなどして失敗に終わった場合にしばしば使われる定型文・詭弁 のことです。 何の成果も結論も得られなかったにも関わらず、「それでも議論を深めた意義はあった」 とし、取り組み自体は無駄ではなかったと強弁するために用いられます。 有名な風刺漫画 「成金栄華時代」 でお金を燃やす成金のセリフ 「どうだ明るくなったろう」 を パロ ってか、その見苦しさを揶揄して 「議論が深まっ太郎」 と呼ぶこともあります。 似たようなものに 「理解が深まった」「意識が高まった」「議論のきっかけになった」「周知することができた」「一定の成果はあった」 などもあります。
こうした苦し紛れの文言が使われる理由は、国や自治体といった行政が行った会議などで何ら建設的な議論や結論がでなかったり、意識啓発・啓蒙的なプロジェクトで当初計画を遥かに下回る惨憺たる結果になった際に、「誰も責任を取りたくない」「税金の無駄遣いだったと批判されたくない」 からでしょう。 失敗を認めたらその原因を突き止めなくてはなりませんし、誰かが責任を取らなくてはなりません。 大成功ではないが失敗でもない、あやふやな状態にしてしまえば、「改善の余地はある」 程度の反省している風の言葉だけで 「一歩前進」 と水に流せてしまいます。
またそのために、難しい テーマ の場合は、成功失敗の基準を会議などの計画段階であえて設けないこともあります。 成否判定基準を明示的に 設定 したら、それに届かなかった場合は誰の目にも失敗が明らかになってしまうからです。 「総合的に判断」 などと、ほとんど何も語っていないのと同等のあやふやで意味のない言葉を使いごまかしますが、明確な成功やゴールを設定せずにはたして議論や会議が作れるのか、それでは単なる 雑談 ではないかという気もします。
なおこれは、行政や公的機関だけでなく、民間企業でも、あるいは個々人の議論においてさえ、捨て台詞や 勝利宣言 のような形でしばしば用いられます。 例えば誰かと議論をしていて、一方が明確に論破されてしまった、事実誤認などがあってまともな話し合いにすらならなかった場合でも、素直に負けを認めず、「話すことで議論が深まった」「議論のきっかけになった」 などと強弁すれば、何やらその人の論や弁にも一定の価値があった、議論が有意義なものであったかのように錯誤する人もいるでしょう。
苦しい言い訳に使われる一方、そう簡単に結論などでない現実も
もちろん議論をすれば必ず建設的な結論が出るというのも、それはそれでキレイごとや 理想論 です。 利害関係がぶつかる相手との話し合いで合意を得るのは大変ですし、何度も何度も議論を重ねてやっと出てくる結論だって、そもそも会議の場や座組を作るだけでも一苦労の場合もあります。 たった一度の失敗をことさらにあげつらうのも間違っています。
行政や公的機関の場合、情報開示の原則上、やむなく出した公式発表の 「議論が深まった」 のケースもあり、その裏には問題の明確化や参加者らの思い、相互理解もあるのですから、議題の大きさや参加する人数の多寡によっては、本当に議論が深まり次につながる第一歩の場合もあります。 場を設けた側に大きな責任があるのは当然ですが、参加者それぞれにも応分の責任があります。 議論や会議ごとに誰の責任だ誰が悪かったと犯人捜しをしていては先に進めなくなってしまうこともあるでしょう。 あまり性急に、まるで 脊髄反射 のように場そのものが失敗だと非難するのも短絡的にすぎることもあります。
本来の議論や理解が深まるとは、ある物事について表面的な話に終わるのではなく、本質や核心的な部分、あるいは背後にある構造までをしっかり把握し、参加した人たちがそれぞれ詳細な知識を得られたと実感を得たり、ひいては物事全体の大局的な判断が可能になるような状態を指します。 単に言葉や知識を野放図に上げ続けても意味がありませんし、中途半端な議論ではかえって溝が広がることがあります。 人それぞれに考えの違いや利害関係、党派性 などはあるにせよ、少なくとも参加者らに議論や合意に対する誠実さがないと、お話にならないでしょう。
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