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党派性

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同じ言動をしても、一方は徹底批判し一方は完全擁護 「党派性」

 「党派性」 とは、自分と同じ意見や立場、所属する組織などに対しては無批判での 同意 や同調、賛美を行う一方、逆の立場に対してはほとんど無条件に強い否定やことさらに厳しい目、強い言葉 での批判を向けてしまいがちになることです。 またそうした姿勢を第三者が批判的に表現する場合にもよく使われます。

 より簡単な云い方をすると 「えこひいき」「身びいき」「好き嫌い」 あるいは 「同質性」「画一性」 や揶揄としての 「お友達」 や 「なかよし」「村社会」 があります。 党派性の高い意見は ポジショントーク と呼ぶこともあります。 対義語は無党派性ですが、不偏不党や中立、是々非々なども対になる 概念 でしょう。

 ただし一見して意見が同じで仲良しに見える人たち同士でも、党派性が強い組織や人的ネットワークにおいては考え方の細分化がしがちで、外から見ると細かい見解の違いでいつも揉めている面倒な人たち、のような 雰囲気 もあります。 逆に相当程度以上に考え方が一致している場合や、人間関係に主従に近い力関係の差がある場合は、かなりあからさまな屁理屈や 詭弁、不誠実な態度 (都合の悪いことには沈黙) によって、自分たちに問題が生じてもそれを正当化したり見なかったことにする傾向があります。

 こうした不誠実に見える言動は、立場が異なる人には恰好の攻撃材料を与え、立場が定まっていない公平・中立な人たちに傍観者でいる理由や口実を与えて遠ざけてしまうものでしょう。 それで運動が縮小するのは仕方がありませんが、取り上げられる問題が公正な社会にとって大切で大きなものであれば、解決のための取り組みを無為に下世話な論争や口喧嘩に貶め、解決そのものを妨げるものともなります。 まるで問題が解決したら自らの存在意義が失われるからわざとそうしているのかと思うほどです。 その意味でも党派性は、まことに罪深く 害悪 が大きなものだと云えます。

揺るぎない高度な党派性で、自分たち以外の階級を打倒するのだ

 元々この言葉は、マルクスやエンゲルス、レーニンらが提唱したり推進したマルキシズムの考え方の中で使われています。 ある政治的主張や理論などが不偏不党・中立で、客観的妥当性・普遍性などを標榜したり主張していても、それを唱える人たちが属する階級や階層の価値観に意識的あるいは無意識に引きずられており、本当の意味での不偏不党や中立的な意見にはなりようがないといった意味になります。 一見公平に見える意見も、それによって利益を得る立場 (階級) の党派性から生じた、自分たちに都合の良い見せかけの公平さに過ぎないというわけですね。

 そこで共産主義では党派性を進歩の過程のある段階においては避けがたいものだとしてむしろ肯定的に捉え、自分たちが他の階級とは異なる強固で高度な党派性を持つことで団結し、他の階級をその党派性もろともに打倒し、階級そのものの廃絶、ひいては見せかけではない真の自由平等や公正中立、多様性などを実現するものだと唱えています。

 従って志を同じくする仲間 (同志) は一つの価値観の元に一枚岩となってまとまるべきですし、進む方向も全員一致が当たり前、何らかの採決を行えば異論などなく全員賛成が望ましいとなるでしょう。 また同志による多数決で選出された代表の決定には無条件で従うこと (民主集中制) も求められます。 「連帯」 とはいいつつも、横のつながりではなく縦のつながり (あるいは自分より上位が認めた連帯相手) であることが絶対です。

 逆に自分たちの党派性や団結を内部から蝕み脅かす存在は、異分子・分派 (セクト)・転向者 (転び)・変節者・反動・裏切り者としてもっとも忌むべき存在であり、断固として排除 (パージ) されるべきものとされます。 その結果、時として敵よりも強い攻撃の対象となります。 近親憎悪というか、異教より異端を憎む訳ですね。

党派性は誰でも持っているものだけど…

 人間はおおむね誰だって、自分と同じ考えの人、意見や 趣味 が合う人の方が、そうでない人よりも好ましく心地よく感じられるものでしょう。 違いがあるとすれば、それらを自覚しているかどうか、その傾向が大きいか小さいか、それを言葉として声や文章にして出すかどうかです。 また日ごろ一緒にいる人、利害関係が一致する人が第三者から攻撃されれば、庇ったり守りたくもなるでしょう。 これは恩を売る、自らの保身にもなるといった利害に基づく判断の場合もありますが、それまでの関係性から心情的にそうせざるを得ない場合もあります。 義理人情は、人間が感情の動物である以上、避けがたい部分でもあります。

 一方で人間は、一人一人が別の人格を持っていますし、全く同じものを見てもそれぞれで感じ方や 解釈 が異なることだってあります。 立場や 環境 が変われば心変わりすることだってあるでしょう。 それどころか、一人の人間の心の中にも、相反する様々な考えが日々の思索の中で同時に生じるものでしょう。 人間は神様ではなく未熟で矛盾に満ちた存在なのですから、これもまた当然です。

 強い党派性はおおむね敵の存在とワンセットとなっていて、敵の脅威を 煽る ことで一時的に強い団結力をもたらすものです。 しかしその強烈な排他性や徹底した上意下達ゆえに多様な意見や人材を受け入れることも難しく、個々人の個性に基づく様々な思索を妨げ、意見はひたすら純化・先鋭化・過激化するでしょう。 それによって組織だって硬直化して先細り、結局は仲間や賛同者を増やすことも勢力を拡大することもできなくなります。 それでも自らの主義主張を通すとしたら、意見が異なる相手をこの世から消すしかありません。

 日本の場合、崩壊した旧共産圏の国々の行っていた粛清や虐殺が広く知られている上に、日本国内においても過激派と呼ばれる急進的な団体内部での凄惨な粛清や暴力事件などを通じて、共産主義的な価値観に強い忌避感が生じていると云って良いでしょう。 結果として党派性という言葉自体も、反対意見はもちろん、方向性は同じでもほんの僅かな違いやどこが主導権を握るかといった部分だけで他者を攻撃したり、逆に自分たちの仲間なら問題があっても不問に付したり擁護するといった矛盾した言動を批判する意味で使われているといって良いでしょう。

 党派性は構造的に容易にご都合主義や ダブスタ に陥りやすく、公平さの重要な要件である客観性や首尾一貫性もなく、その時一番声が大きい人の 「鶴の一声」 で物事が決まります。 そこに異を唱えると裏切り者だと攻撃され排除され、その結果、意思決定は常に全体主義や独裁的な方向へと進んでいきます。 このような考え方が最終的にどうなっていくのかは歴史が示す通りですが、政治や 人権 に関わる話などでは、数限りない党派性とダブスタの発露が続いている結果となっています。

 幸いなことに日本では、共産主義や党派性を肯定的に考えるような言説はおおむね批判されがちで、政治的な主流にもなる気配がありません。 共産主義はともかく党派性は 筆者 を含め誰にでも宿るものですが、それに真摯に向き合い解決すべき本来の課題に取り組もうとする人も少なくない印象です。 それだけ賢い国民が多いということなのでしょうが、こればかりはまことに幸運なことだと云えるかもしれません。 また自分もそうした賢い国民の一人になれるよう、見習いたいものです。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2009年10月6日)
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