私には聞こえる…これは間違いなく 「軍靴の音」
「軍靴幻聴」(ぐんかげんちょう) とは、何かにつけて 軍靴の音 が聴こえる人、具体的には朝日新聞や毎日新聞の論調をはじめ、いわゆる左翼系文化人や同じ傾向を持つ人を揶揄する ネットスラング の一種です。
「軍靴の音」 とは、軍隊が行進する時の足音のこと、転じて戦争や軍国主義、軍隊などを象徴・暗喩するもののひとつですが、「軍靴の音が聞こえてくる」 といった使い方をする場合は、日本が右傾化し戦争への道を進んでいる、日本を再び軍国主義国家にしようとしている人たちがいるとの批判的な意味のフレーズとなります。
こうした表現を前述した新聞社や系列のテレビや雑誌、これらと同じ思想的傾向を持つ文化人や学者、平和団体・人権団体、新聞や雑誌などの読者投稿欄の投稿者らなどが頻繁に使うので、それとは逆の立場の人たちが、「また軍靴の音かよ」 と揶揄し、その後こうした意見全体を ネタ として、「軍靴幻聴」(軍靴幻聴病・軍靴幻聴症) と呼ぶようになりました。
日本の 「軍靴の音」 はよく聞こえるのに、他国のそれは聞こえない?
こうした表現を反対の立場の人達が批判・揶揄するのは、その意見にほとんど根拠がなく、理解しかねる単なるこじつけ、あまりに飛躍しすぎた曲解、言いがかりに近い強引な結びつけがしばしば感じられることにあります。
また憲法9条を中心とした改憲問題や日米安保条約、軍事費や国旗国歌をはじめ、日本に対してはやたらと 「軍靴の音」 が聞こえて批判するのに、中国や韓国、北朝鮮といった 特定アジア (及び、崩壊する前のソ連) の国々が対象となると、いきなり何も聞こえなくなる特殊な体質を 「別の意図があるのではないか」「ダブルスタンダード ではないか」 と批判する意味もあります。
これらの国がどれだけ軍事的・政治的に危険な対応をしても聞こえないふり、見えないふりをして スルー するのに、日本の自衛隊が災害救助活動を行ったり、戦争や軍事とは無関係のサッカーなどの国際試合での日の丸の応援、アニメ や マンガ の些細な表現をあげつらい、「軍靴の音が聞こえる」(戦争を賛美している、日本を軍国主義・戦争の道へと導いている) との表現で批判するさまは、かなり不自然なものでしょう。
なかでも国旗国歌 (日の丸・君が代) に対する軍靴の足音の聞こえっぷりは相当なもので、オリンピックなどのスポーツの国際試合にこれらが登場するだけで日本や日本の若者の右傾化や全体主義化を憂い、鳴り響く軍靴の音を聴くのは、少々常識から外れている気もします。
中国・韓国・北朝鮮がどれだけ暴れても無視、日本やアメリカだと…
またその一方で、敵国からミサイルが飛んできても、「一発だけなら誤射かも知れない」 と無限の寛容さを発揮。 さらに 人権擁護法案 では、あやふやな基準によって 表現の自由 への侵害をはじめ国家権力による暴走が軍国主義とは違う方向で危惧される状況にもかかわらず 「だが心配のしすぎではないか」 では、「自分たちのイデオロギーのために戦争の恐怖を都合よく利用した単なるプロパガンダではないのか」 との疑問も、拭えないものとなってしまうでしょう。
アメリカ軍や自衛隊の軍艦がやってくると反戦平和デモをするのに、中国や韓国のそれがやってくると見て見ぬふり、あるいは熱烈歓迎では、その背後関係も 透け て見えてくるというものです。 客観的・理性的に、戦争という最悪の事態を回避する道を探るのであればともかく、別の目的のための単なる ポジショントーク として 「軍靴の音」、すなわち 「戦争の恐怖を 煽る 言動」 をするのなら、おためごかしのズルい議論、不誠実な ポリシーロンダリング だといえるでしょう。
ついには君が代の伴奏をするだけで体調を崩し緊急入院、全身から出血
ついには君が代の伴奏だけで全身から出血 「きょうの潮流」(しんぶん赤旗/ 2011年11月20日) |
2011年11月20日の日本共産党機関紙 「しんぶん赤旗」 では、学校の卒業式の 「君が代」 斉唱時に校長から起立するよう指示された教師が、精神的ショックからついに自力で起き上がることもできない体となり入院したとの報道がありました。
さらに君が代の伴奏を強いられた音楽教師は、ストレスのあまり胃から出血し緊急入院。 一命はとりとめたものの、動脈8ヶ所の止血が必要なほどの重症だったとも報じられました。
この報道は、東京都の条例や、前年2010年からの大阪府における橋下徹知事の君が代斉唱時の起立条例を批判する文脈でのものでしたが、「軍靴の幻聴がするだけでなく、寝たきりになったり全身から血が出るのは大変だな」「これが事実なら、確かにある種の 病気 には違いないかも知れないな」 と、2ちゃんねる などで話題になりました。
なお同紙はこの症状を、取材した精神科医の言葉を借りて 「君が代症候群」 と呼んでいます。