相反する2つの意味を持つ言葉、ダブルスピーク
「ダブルスピーク」(Double Speak) とは、相反する矛盾した意味を併せ持つ言葉、あやふやで2つ、もしくはそれ以上の意味に受け取れる言葉を使い、聞き手や受け取り手に誤った印象を与えたり、発信者側に都合の良いイメージ操作を行う独特の語法のことです。 二重語法などとも呼びます。
しばしば 「丸っきりの嘘はつけないが、真実をそのまま喋ると印象があまりに悪いので、その印象を変えるため」 にこうした語法での表現が行われ、主に国や公的機関、政治団体、企業などで使われる湾曲表現、言葉の言い換えなどを批判する目的で、このダブルスピークが使われます。
もっともわかりやすい例でいうと、「撤退」「退却」 では印象が悪いので 「転進」 と言い換える、「侵略」 を 「進出」 という、「全滅」 ではなく 「玉砕」 という、「敵を殺す」 ではなく 「無力化する」 という、あるいは 「従業員を解雇する」「首を切る」 を 「スリム化する」「合理化する」「選択と集中」 と言い換えるなどです。
こうした表現は、公的な記録に残る発表で明白な虚偽を発表することはできないが (責任問題になる)、いく通りもの意味になる言葉、受け取り側によっては勘違いしてくれそうなミスリードを誘う湾曲表現や耳障りの良い言葉をわざわざ使い、後で責任逃れができる構造になっているのが特徴です。 つまり、「あなたはそう受け取ったかも知れないが、私たちは別の意味で申し上げた」「虚偽ではなく、単なる見解の相違だ」 と主張できるのですね。
日本の国会はじめ、議論の場の答弁などでも多用され、「YES か NO か」「やるのか、やらないのか」 といった二者択一の質問に対しても、「適切に判断します」「総合的に判断します」 など、YES とも NO とも取れる玉虫色の答弁を行い、堂々巡りになっている場合もあります (これは答弁側にもやむを得ない事情があったり、質問側に問題がある場合もありますが)。
こうした表現が多用されると議論が深まりませんが (それぞれの使う言葉の定義が違うのでは、議論どころか、まともな意思疎通すら不可能でしょう)、しかし一方で、社会的なマナーや相手への思いやり・配慮から生じた湾曲表現もありますから、一概に全てが悪いとはいえない点が、この問題を複雑にしています。
例えば交通死亡事故のニュース報道などでよく使われる 「全身を強く打って」 は、被害者の肉体が激しく損傷している状態を表す言葉ですが、これをオブラートに包まず、「手足が千切れた」「頭部が切断され胴体もバラバラ」 などとそれが事実だとしてもありのままに伝えるのは、ほとんどのケースでたいした意味がないばかりか、被害者・遺族に対し、人権上もたいへん大きな問題があるでしょう。 また 「死亡事故」 を 「重大事故」 と呼ぶなどは、広く一般でも使われる云い方でしょう。
「ダブルスピーク」、元ネタはオーウェルの小説 「1984年」
「1984年」(Nineteen Eighty-Four) ハヤカワ文庫版 (1972年2月) |
ところで 「ダブルスピーク」 という言葉そのものについてですが、これはイギリス・アメリカで使われるようになった英語 「Doublespeak」 が元になっています。
さらにその 元ネタ は、1949年に刊行されたイギリス人作家、ジョージ・オーウェル (George Orwell/ 1903年6月25日〜1950年1月21日) の小説 「1984年」(Nineteen Eighty-Four) の作品内の 設定 に由来します (日本では、ハヤカワ文庫より 1972年に翻訳刊行)。
この作品では、核戦争によって3つの超大国に分割された世界を舞台に、全体主義国家が国民の思想を管理し支配を強めるため、それまでの言葉 (英語、現在使われている言葉 /オールドスピーク) を廃し、極端にまで単純化・簡略化した新語法・ニュースピークに作り変えようとします。
多くの言葉が廃止され、あるいはその意味から政治的・思想的なものが削り取られると、過去の政治的・思想的書物は読解が不可能となり、そうした テーマ で会話や討論を行うことも困難となります。 最終的には国家権力を疑ったり抗う思想そのものを喪失させる目的があります。
ダブルスピークという言葉はこの作品中に直接登場はしませんが、小説 「1984年」 がベストセラーとなる中で、現実世界の国家権力による都合の良い言葉の言い換え、権力側のイメージ操作、誘導を目的とした言葉を、作品中にしばしば登場する 「◯◯スピーク」 に倣ってダブルスピークとネーミング。 そうした言葉や態度を批判したり揶揄する意味で、1950年代から欧米で広く使われるようになりました。
ちなみに作品中では、一党独裁の党の名前が 「偉大な兄弟」、戦争遂行を目的とする軍事機関を 「平和省」 と呼んだり、政府に都合の悪い歴史や文書を破棄・改竄する組織を 「真理省」 などと呼んでいます。 また作品中で使われる3つの政治スローガン、「戦争は平和である/ war is peace」「自由は屈従である/ freedom is slavery」「無知は力である/ ignorance is strength」 などは、作中のその他の表現とともに、様々な作品で引用されたり、パロディ の題材となっています。
湾曲表現が 「悪い意味」 に固定したり、さらに言い換える場合も
例えば 「お礼参り」 という言葉があります。 これは神社などで祈願していたことが無事に成就し、その御礼を神様に捧げ感謝するため、再び神社に参内することを本来は意味します。 しかし現代にあっては、「恨みを抱く相手に復讐をする」「裏切り者に報復する」 の湾曲表現、比喩の意味で使うケースがほとんどでしょう。 あるいは組織の再編や再構築を意味する 「リストラ」 という言葉も、現在では実質的な解雇や首切りを指して使われるケースが大半でしょう。 こうした使い方があまりに固定すると、さらに違った別の言い方がされる場合もあります。
こうしたダブルスピークは、「真意を隠して耳障りのよい言葉で自分の主張を述べる」 という ポリシーロンダリング などとも相性が良く、「平和のため」「人権のため」 と言いながら、本来は全く別の動機を隠して主張するのに便利な使い方もできます。 例えば 「子どもの人権を守るためにあらゆる方策を行う」 の中に、「アニメ や マンガ、ゲーム の表現規制」 が入っていたりします。
耳障りが良く、あやふやで具体的でない意見に対しては、しっかりとその 「真意」「本当の意味」 を汲み取る努力や注意力が必要でしょう。 平和や人権、平等といった誰も反対できない絶対的な価値観を隠れ蓑にしたポリシーロンダリング、あるいは ポジショントーク 的な言論は、国や民間問わず、溢れかえっています。
「ダブルミーニング」 や 「犬笛」 なども
ダブルスピークと直接的な関係はありませんが、似たような言葉の使い方に 「ダブルミーニング」 があります。 こちらは単純に2つかそれ以上の意味を持つ言葉・修辞技法を指し、日本語では掛詞と呼ばれたりします。 多くの場合、和歌において同音異義語を掛け合わせる技法として活用されたり、言葉遊び・シャレとして使われたりします。 例えば 「あけ」(明け・開け) とか 「あき」(秋・飽き) などが代表的でしょう。
こうしたダブルミーニングや隠語を使って、表向き主張するのがはばかられるような人種や特定民族や宗教を誹謗中傷するような主張 (ヘイトスピーチ) を隠れて行い、裏の意味を知らない 一般人 には気づかれない形でメッセージの 拡散 や扇動・煽り のための号令を発する行為もあります。 これは俗に 「犬笛」 と呼びます。 例えば人種や民族でいえば、典型的なのは白・黒・黄色といった色名やそれぞれの民族特有の身体的特徴、歴史や文化、風俗に根差した呼称、動物名や昆虫名などがあります。