裁判長は目を真っ赤に腫らし、法廷は静まり返った…「そうか、あかんか」
「そうか、あかんか、○○いっしょやで」 とは、悲惨な状況に追いやられた時に、同じ境遇にいる人などに対し、「こちらも同じ立場だ」「一緒にもう諦めよう、観念しよう」 といった文脈で慰めたり、慰めるふりをして 煽る ような、独特な ネットスラング の一つです。 同じ流れで、「もういきられへん。 ここでおわりやで」 などもあります。
例えば視聴率が全く上がらず打ち切りとなった アニメ の ファン や、全然売れずに話題にすら登らなくなった ゲーム のファンなどが、似たような境遇にいる別の作品のファンに、「そうか、あかんか、○○いっしょやで」 などと 掲示板 で レス を返したりします。 ただし最低最悪のアニメやゲームのファンを自称し、「お前の好きな作品は、これと同じ レベル だ」 という煽りや 叩き になっている場合も少なくありません。
また台風や地震などの広範囲に被害が及ぶ大規模災害、なかでも2011年の東北大震災と福島県の福島第一原子力発電所の事故などでは、汚染が広がる中、「国民、いっしょやで」 と改変されたり、福島県以外の地域の住民が 「そうか、あかんか、福島いっしょやで」 といった使われ方で、不謹慎ネタとして頻繁に扱うケースも多い言葉ともなっています。
一方、この言葉の 元ネタ が、かなり悲惨で涙を誘う事件だったこともあり、人によってはこうした言い回しを ネタ として茶化して使うのに不快感を覚えたり、否定的な反応をする場合もあります。 使いどころの難しい、可能であれば使わずにいるのが望ましい ネット 独特の言葉といえるでしょう。
「地裁が泣いた」 元ネタは、京都府の認知症母殺人事件公判の報道から
「そうか、あかんか、○○いっしょやで」 の元ネタですが、2006年2月1日に発生し、同2006年4月19日に京都地裁で公判が行われた 「京都認知症母殺人事件」 の報道内容からとなります。 より直接的には、4月20日に毎日新聞大阪版、及び毎日新聞ウェブサイトに掲載された、「もういきられへん。ここでおわりやで そうか。いっしょやで。○○はわしの子や 京都・認知症母殺人初公判 ― 地裁が泣いた ― 介護疲れ54歳に「情状冒陳」 の記事中の言葉となります (○○部分は被告の名)。
この事件では、86歳の認知症の母親に10年余りにわたり献身的な介護を行っていた54歳の息子が、行政からの支援を断られ、経済的に行き詰まり、しかし誰にも迷惑を掛けられないとの強い意識から、身辺整理の後に親子で話し合い、母親を殺害し自らも命を絶とうとした心中未遂事件となっていました (罪状は、被害者本人の 同意 を得て殺害したとする承諾殺人罪)。
検察の陳述によれば、事件の経緯は次のようなものだったようです。 まず親子三人で生活していたところ、1995年に父親が他界。 その後母親の認知症が始まり、症状は少しずつ悪化。 被告となった息子は大好きな母親の介護を必死に行い、仕事との厳しい両立を行っていました。 しかし母親の症状はますます悪化し、2005年4月頃からは昼夜が逆転。 さらに深夜徘徊などで2度にわたって警察沙汰となるなど緊迫した状況となり、息子は休職、その後退職し、介護に専念することに。 懸命に求職活動は行っていたようですが、介護と両立できる仕事が見つからなかったようです。
生活保護は失業給付金などを理由に認められず、失業給付金の給付が終わった後も、行政からは 「働いてください」 といわれ、認められることはなかったようです (窓口の対応から、被告が申請を諦めたようで、手続きによっては認められる余地はあったとも)。 2005年12月、失業給付金の給付が終了し、カードローンなどの借り入れも限界になり、デイケア費用やアパートの家賃も支払えない状況に。 アパートから立退くことになった事件前日となる2006年1月31日に心中を決意し、翌朝事件に至ったようです。
検察官が情状酌量を求め、涙で静まり返った法廷
この公判では、本来被告人の罪を告発し、より重い量刑を課すことを求めることが多い検察側が、冒頭陳述で異例の情状酌量を求め、母子の強い絆の存在と、被告が経済的、精神的に追い詰められてゆく過程や、被告が自分を強く責め、また 「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」 と涙ながらに供述した様子などを詳しく説明していました。
さらに経済的に困窮する中、母親の食事は1日2回きちんと作って出していながら、自身は2日に一度、質素な食事を取るだけだったこと、介護は苦しいが、母親が大好きなので決して嫌ではなく、むしろ楽しいことの方が多かったと感じていたこと、母親を置いて自分だけ逃げ出すことはできず、最後まで面倒をみたかったと語っていたなどが明らかに。
こうした同情すべき状況に被告があったこともあり、検察官も刑務官も裁判長も何度も目を瞬かせ、あるいは声が詰まり目を赤くしての、異例の公判となっていました。 毎日新聞の記事では、「法廷は静まり返った」 と表現しています。
車椅子の母を連れ、最後の親孝行に
アパートの最後の家賃を支払うと、所持金はわずか7千円に。 被告はアパートを綺麗に 掃除 すると大家に明け渡し、そのまま夜通し車椅子の母親を連れ、「最後の親孝行」 として、被告が子供の頃に住み慣れた思い出のある京都市内を徒歩で観光。 朝になり親子で並んでパンを食べ、伏見区の桂川河川敷の遊歩道にある大きな木の下で、川面を眺めながら最後の会話を交わしたようです。
被告が 「もう生きられへん。 ここで終わりやで」 と決意した心中を打ち明けると、母は 「そうか、あかんか。 ○○、一緒やで」 と返答。 被告が 「すまんな」 と自身の不甲斐なさを謝ると、母は 「こっちに来い」 と手招きし、被告が近づくと額を息子の額にくっつけ 「○○はわしの子や。 わしがやったる」 と一言。
これは息子に親殺しをさせないための、母の最後の決意なのでしょう。 しかし年老いて認知症でもある母が息子に手をかけることも、その後自ら命を断つことなどもできようはずもなく、被告は母の殺害を決意。 母の首を絞めて殺害し、自分は包丁で首を刺して自殺を図ったのでした。
記事を読んでいるうちに泣けてきた…掲示板で大きな話題に
こうした状況が新聞やテレビ、ネットメディアで紹介されると、ネット中で同情の声が上がることに。 これは日本が高齢化社会に向かう中、こうした状況が誰にとっても他人ごとではないとの認識があったからでしょう。 また親子の心の通った会話の様子や、最後のささやかな市内観光やその後の状況などが、涙を誘う内容だったことも大きかったのでしょう。 周囲に心配を掛けないよう、努めて明るく振舞っていた被告の姿も、地裁に寄せられた近隣住民や元勤務先の人々など126人分の減刑嘆願書や、担当だった介護支援専門員の証言などから明らかに。
掲示板 2ちゃんねる などでは、前述した毎日新聞の記事がコピペ素材として広がると共に、「泣ける話」「感動する話」 といったくくりで広く語られるようになり、以降もことあるごとに 「そうか、あかんか、○○いっしょやで」 というフレーズが使われ続けることになっています。
裁判は被告に対し、懲役2年6月、執行猶予3年の判決を言い渡しました。 検察側は最高刑懲役7年に対して求刑は半分以下の懲役3年で、実刑を伴わない猶予処分となりました。
判決理由について東尾裁判官は、「相手方の承諾があろうとも、尊い 命を奪う行為は強い非難を免れない」 としながら、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」 と被告に強い同情を寄せ、「被害者は被告に対し決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることをこそ望んでいると推察される」 と結論。 「自分をあやめず、母のためにもどうか幸せに生きてください」 と語りかけています。