まるで見せしめ・晒しもののよう… 「公開処刑」
「公開処刑」 とは、俗語、あるいは ネット で使われる文脈・ネットスラング としては、「場違いな場所に出てきて 晒しもの のような状態になっている人」 を冷やかしたり侮蔑する、罵倒するといった意味になります。
例えば目立たずに生きている人が突然何かのきっかけでメディアなどの注目を集めて戸惑う、長身でスタイル抜群のタレントやモデルの中にずんぐりむっくりとした容姿の人が並ばせられる、集合写真で周りはみな ルックス が良いのに一人だけブサイクな人が混ざってる、リア充 っぽい 陽キャ の中に一人だけ 根暗 っぽい 陰キャ が混ざってるなどです。 こうした状況の写真や映像がネットに出ると 「これは居たたまれない」「周りと差がありすぎて辛い」 となり、「公開処刑」 という云い方をされます。
共感性羞恥と公開処刑
ところでこうした状態を 「公開処刑」 と呼ぶ人たちの全てが、処刑状態の人物への侮蔑や罵倒、煽り や 叩き を目的としているわけではない点は、注意しなければならないでしょう。 こうした状態となる 「場」 を作った関係者らに対して 「やめたれや」 との批判も、実際は多いものです。 というのも、こうした状況を見て笑うというよりも辛くなる、倫理的な正義感とはまた別に、まるで自分がその人の立場にあるような羞恥や緊張を覚えて我慢ならないという人は、意外とけっこういたりするからです。
これは 共感性羞恥 と呼び、他人や創作物の キャラ などが恥をかいたりするのを見るだけで、必要以上に共感・共鳴して自分も辛くなってしまう状態を指します。 「この場にいるのがもし自分だったらと思うと居たたまれない」「辛い、逃げ出したくなる」 などと思ってしまいますし、誰でも一度や二度くらいは似たような境遇になって 「まるで晒し者や公開処刑を受けているようだ」 と感じた過去があったりもするので、それが蘇ってきたりもするのでしょう。 それがそのまま 書き込み や発言に出てしまう人も結構いるのですね。
また自分なら耐えられないような状況でその人は耐えている、むしろそれを楽しんで どや顔 でその場にいるような場合は、共感性羞恥を覚える人の中には好印象を持つ場合もありますが、逆に 「なんでこいつは大丈夫なのだ」 との嫉妬や不快感が芽生える人もいますし、それが怒りとなって書き込みにでてくるような人もいます。 もちろん場所によっては、単なる アンチ が面白がっているだけの場合だってあるでしょう。
このあたりは人によって感じ方は様々ですし、ある程度は性格などに依存するので自分でどうこうできるものでもないのでしょうが、「公開処刑」 と呼ばれる画像や映像を見て不快感を覚えたり、他人を安易に罵倒するのを避けたいなら、見ないようにするのが精神衛生を保つ意味でも良いのかもしれません。
一般的には残虐行為の 「公開処刑」 ですが、国や時代によっては…
「公開処刑」 という言葉そのものは、人が集まる公開の場で罪人や政治的・軍事的な敵を死刑に処すことです。 目的は見せしめや復讐が多いのでしょうが、処刑を見守る群衆らの留飲を下げさせるための娯楽の要素も大きいでしょう。 そもそも公開処刑が行われるような国や時代は、おおむね社会が混乱し民衆の不満が政府に向かいがちな世相だったりもしますから、刺激的な娯楽としてもガス抜きとしても、非常に有効な 「ショー」 なのでしょう。
一般的には前時代的で野蛮・残虐非道な処刑方法のひとつとされますが、絶対権力者が罪のない人を闇から闇へと葬ったり、逆に罪人の罪をもみ消して罰を与えないようなことが当たり前の時代では、「処刑や法執行の公明正大さを民衆に広く開示して証明する」 ために行われることもあります。 現代の民主主義国家における情報開示や説明責任みたいなものですね。 この場合は蛮行どころか勧善懲悪・信賞必罰を証明する善行と見られるケースもあります。
とくに統治や戦争などにおいて、不正蓄財や略奪行為など法や軍規で厳しく禁止されているような非倫理的な行為を行った者に対する公開処刑などは、それを行った君主や司令官は公平な名君や名指揮官などとしばしば賞賛されます。