いかにも暗くて友達もいなさそうな… 「陰キャ」
「陰キャ」(いんきゃ) とは、「陰気な キャラクター の人」 という意味の ネットスラング です。 「陰キャラ」 ともいいます。 人の性格や印象を二極化して揶揄したり 自虐的 にあらわすパターンの言葉であり、似た言葉として 「根暗」(ネクラ) や 「非リア充」「リア終」「チー牛」(すき家で3色チーズ牛丼を特盛・温玉つきで頼んでいそうないかにも陰キャっぽい人) あるいは 「非モテ」 などもあり、一般的な言葉では 無口・寡黙・口下手で内向的、真面目でコツコツやるタイプ、引っ込み思案で目立たない 地味 な人、本人だけでなく周囲の 雰囲気 まで暗くするダウナーという意味となります。
学校のいわゆる 「スクールカースト」(スクカ/ 容姿などに優れ周囲から人望があり友人なども多い人気者を上位とし、そうでない人を下位として序列を作るような考え方) の下位に位置し、存在感も希薄で孤独・ぼっち になりがちで、自分の意見や感情を表に出さないことから 「何を考えているかわからない人」「気持ち悪い人」「いてもいなくてもどちらでも良い モブ のような人」「おたく っぽい人」 と括られることが多い人たちとなります。
この種の人間関係やコミュニケーション能力の優劣を、あれこれ面白おかしく自称・他称であらわす言葉はたくさんあります。 より直接的なものでは コミュ障 (コミュニケーション障害) といった言葉もありますが、これら負のレッテルとなりがちな 「陰キャ」「根暗」「非リア充」 は、他者からのレッテル貼りや マウント行為 はもちろん、積極的なコミュニケーションができない自分自身を 「しょせん陰キャだから」 と追い詰め諦観させる ニュアンス もあり、中々しんどいというか、救いのない言葉になりがちです。
元々は 「陰キャラ」 とか 「陰キャラ男子」 といった言い方で2010年代初めころから使われだし、その後 「陰キャ」 と略され爆発的な広がり方をしています。 いずれも 2ちゃんねる が発祥で、板と時期よって云い方や定義は微妙に変化していますが、それを含めて 2ちゃん用語 だと考えて良いでしょう。
なお対義語は 「陽キャ」(陽気なキャラ)、あるいは 「リア充」(リアルな生活が充実している)、「ウェイ系」(飲み会などでウェーイ!などと仲間に囲まれ陽気にふるまう人たち)、「パリピ」(大勢で集まって騒ぐのが好きな人たち、 パーティーピープルの略)、「アッパー」(周囲の気分を上げる、明るくする)、「コミュ強」(コミュニケーション強者) などになります。
実際の性格とはほとんど無関係の 「陰キャ」 認定
「根暗」 などもそうですが、他人からの見た目の印象による 「陰キャ」 レッテルは的外れなことも多いものです。 実際にしゃべってみたら面白い奴だった、明るくて好ましい性格で単に口下手や見た目が 地味 だっただけというケースは結構あります。 逆に陽キャっぽく振舞っているけれど、実際は無理をしているケースもあります (キョロ充・キョロぼっち)。 またそもそも大前提の話として、性格が暗かろうが明るかろうが、それで人間の価値が決まるわけではもちろんありません。
しかし 「友達100人できるかな」 的な、「友人が多いほど豊かで幸せだ」(逆に、そうでない人は貧しく 不幸 だ) といった価値観が社会に広まっている中、人とのコミュニケーションが上手く行かない人には何かと生きづらい状況だと言わざるを得ません。 それは 「いじめ」 などに発展すると云った外部からの攻撃だけでなく、自分自身の内省的な嫉妬や焦り、劣等感など、人格形成をする思春期の頃の心理状態としてとても辛く厳しいものです。 場合によってはその状況で自己評価が著しく落ちて気持ちを拗らせ、身近なスクールカースト上位者や陽キャ、それらに取り入る異性を憎んだり、文字通り陰湿な嫌がらせ行為を始めてしまったり、社会人になってまでそれを引きずってしまう人もいます。
この種のコミュニケーション能力や人の 概念 や分類は、ネット においては 「リア充と非リア充」 の文脈で様々な具体例・派生語も含めて語り尽くされ完成された観がありますが、いずれにせよ最終的には個人の個性のようなものなので、ことさらに一方を貶めたり、あるいは羨んだり妬んだりしても仕方がないものなのでしょう。 仲間とワイワイやることが好きな人もいれば、孤独が好きな人もいますし、それを無理やり混ぜて一方に寄せても双方にとって不幸なだけでしょう。
とは云え、人間関係は面倒くさすぎる…
例えば陽キャな人にとって放課後や退勤後、あるいは週末を一人だけで自宅で過ごすのは寂しくて苦痛でしょうが、陰キャにとってはバーベキューだの飲み会だのに毎度参加させられたり、毎日膨大な量の メッセージ のやり取りや長電話に付き合わされる方がよほど苦痛でしょう。 愛想笑いで神経を使うより、好きな本を読んだり ゲーム をする方が充実した幸せを感じられる人もいます。 それは単なる好みや価値観の違いであり、自分に合った生き方をすれば良いだけです。
あまりにも他人との接点がない生活も、それはそれで人生の彩りに乏しい気がしますが、リアル生活では陰キャで孤独でも、ネットでは数は少ないものの信頼できる友人や仲間とつながっている人もいます。 お互いに尊重し信頼し大切に思える間柄でなければ、数ばかり多くても意味はないでしょうし (数友)、人間関係を楽しく喜ばしいものと思う人もいれば、面倒で避けたい人だっています。 性格の違いで他人を責めたり自分を責めることがなくなる考え方が当たり前になれば、こうした不毛な議論を小さくすることにつながるのでしょう。
創作物における 「陰キャ」
一方、創作物における陰キャなキャラについては、好き嫌いは別れるものの、おおむね好意的にみられる傾向が強いでしょう。 これは怖いもの見たさや、読者 や視聴者にとって自分より弱い存在、あるいは自分も陰キャの場合、無理をしなくても交流ができそうだとのある意味で打算的な感情もあるのでしょうが、しばしば 「不幸キャラ」 の属性も併せ持っているため、「守ってあげたい」「幸せにしてあげたい」 というモチベーションが高まるからなのでしょう。
筆者 も割とすきな属性なので、このあたりを才能のある作家さんにどんどん開拓してもらえると幸せだなとか感じたりします。