わたしってほんと不幸…でもそこが萌える 「不幸」
「不幸」 とは、幸せではないこと、生まれ育ちに不運があったり、運に見放されたり、そうした状態や人物・キャラクター を指す言葉です。 似た言葉に 薄幸 とか 不憫 がありますが、いずれも同情を禁じ得ないような悲惨な状況にあることを意味します。 ただし ニュアンス は、描かれ方でも受け取る側の感覚によっても微妙に違います。 なお不幸になりそうな不吉な気配は 不穏 と呼ぶこともあります。
不幸にも色々ありますが、病気や怪我で明日をも知れない命だとか、家族を亡くす、人に 騙され る、裏切られる、全てを失って 底辺 に堕ちるといった救いようのない悲惨さがある一方、日常系の物語でいつも損な役回りをさせられてしまう、どうでもよい問題や トラブル を招いたり引き寄せてしまう、何をやっても上手くいかず失敗してしまう不器用な ドジっ子 のような扱いもあります。 どちらも かわいそう だし同情もするけれど、後者はちょっと笑ってしまうようなコミカルな存在として意識されることも多いでしょう。
とくに マンガ や アニメ といった創作物では、物語を進めるための騒動を起こすキーパーソンとして重要な役割を果たすことも少なくなく、守ってあげたい、慰めてあげたいという感情を喚起する 萌え要素 と 認知 される傾向も強いでしょう。 あるいは受け取り側があまり恵まれた生活をしていない自身の不遇さを作中のキャラに投影し、慰めとして受け取ることだってあります。 同人 の 二次創作 においても動かしやすく描きやすく、ポジティブ な 属性 として見られることもあります。
「不幸」 と 「薄幸」、似ているようでだいぶ違う?
ほとんど同じような言葉に前述した薄幸がありますが、薄幸の少女というと何やら不治の病に侵されサナトリウムで療養中の薄命の美女といったイメージもありますし、人が病気や怪我で苦しんだり死んだりする描写が 鬱展開 だとして避けられがちな傾向が強まる中、よりコミカルな部分を前面に出した不幸属性が 概念 として便利で増えてきたような印象はあります。
両者の違いをある程度無理やりつけると、薄幸は自分が不幸だとは思っておらず、僅かな希望や残された命を微笑みながら精いっぱい頑張って生きる健気な存在、不幸は自分が不幸で不運だと分かっていて、時に自分の不幸を 呪う こともあるけれど、嘆きながらもどん底から這い上がる不屈の存在みたいな感じでしょうか。 もちろんどちらも不幸なままで終わってしまう場合もありますが、それではあまりに救いがなさすぎます。
不幸な境遇から這い上がる前向きな姿は、困難に立ち向かう姿でもあり、コミカル要素とシリアス要素の配分によっては、創作物におけるかなり強めの 主人公 的な要素とも目されます。 とくに人の生き死にに関係するような不幸事、例えば住んでいた村が焼かれて孤独に流浪するようになったとか、親が死んだ、孤児だなどは、ヒーロー・ヒロイン を描いた物語の出発点として 王道・定番 の存在でもあります。 また逆に、ヒーロー・ヒロインと対峙するライバルや敵、悪といった存在にも、不幸な暗い過去はついてまわるものです。
誰だって何らかの困難を抱えて生きています。 その困難にどう立ち向かうか、その方向性で善にもなるし悪にもなる。 そしてそれは、それぞれの立場やものの見方によって善悪が入れ替わるものです。 最後の最後は 作者 が思い描く、そして主人公が敵に 勝利 して得る形で提示する善や正義につながるのだとしても、それこそが物語であり、架空の存在の物語がキャラが生きた人生になる営みでしょう。 極端な不幸描写は、振り切れ方によってコミカルで笑いを誘うものになったり、シリアスで感動や涙を誘うものにもなります。 このあたりをどう描いて料理するかを見る中で、作者の考え方やメッセージも理解できたり 解釈 できるようになるのかも知れません。
他人の不幸で飯がうまい! 「メシウマ」 大流行
不幸と云えば、2004年頃から 掲示板 2ちゃんねる で大流行した ネットスラング に 「メシウマ」 があります。 意味は 「他人の不幸で今日も飯がうまい!!」 です。 主に野球中継を見守る 実況系 の板や スレッド で多用され、とくに巨人軍の アンチ が用いてブレイクしています。
その後も 露悪・偽悪的な表現としてエスカレートし、「ご冥福をお祈りします」 にも受け継がれています。 こちらも実際に冥福を 祈る 訳ではなく、亡くなった人や終わってしまった商品やサービス、あるいはまだ生きている人やその他に対して 煽った り 「早く死ね」 という意味の 2ちゃん用語 として広く使われるようになっています。 またいずれも膨大な AA が作られ流行しています。