幸がないわけではないが、薄い、とにかく薄くて小さいのだ… 「薄幸」
「薄幸」 とは、幸が薄いこと、幸せに恵まれず 不幸 なこと、不運 で 不憫 な状態や、そうした人物・キャラクター を指す言葉です。 ごく 普通 の日本語であり、あまり ポジティブ な意味では使われませんが、似たような存在だとされがちな 「薄幸の少女」「美人薄命」 といった言葉もあるように、何かに 「薄」 を接頭した間接的な表現 (この場合は薄幸) には儚さ、憐れさ、弱々しく触れると壊れてしまいそうな繊細さといった、情緒的・感傷的で魅力的だと感じられる意図が含まれる場合もあります。
もっともありふれたパターンは、病弱で病院やサナトリウムで長い間療養生活を送っている美少女でしょうか。 落ち込んでも仕方がない状況にありながらも、ものごとを前向きに捉える芯の強さを持ち、しかし時に心の奥にある弱さも憂いとともに見せる。 俗世間と切り離された生活が長すぎて世情に疎くなり、突飛な発想や思い切った行動に出ることもあります。 守ってあげたい、幸せにしてあげたいという気持ちが自然とわいてくる 鉄板 の 属性 とも云えます。 またこれは、薄幸キャラに ファン が自分の不幸を重ね、自らの不遇に対する慰めになることもあります。
このあたりは、つつましく質素だけれど美しく可憐だとか、その美しさや可憐さ、命の煌めきはほんの一瞬、うたかたの夢幻に過ぎないものといった、侘び寂びに近い日本的な美意識や死生観と、それに基づく古典を含めた人物描写などとも関係があるのかも知れません。 花はすぐに散るからこそ美しいみたいな、命短し恋せよ乙女というか、メメント・モリ のような感覚ですね。
当然ながら マンガ や アニメ、ゲーム や ラノベ といった創作物でも一定の人気を持つもので、とくに小さな子供や思春期頃の女の子、男の子に付与された場合を前提に、かなり強めの 萌え要素 と 認知 されているといってよいでしょう。 明確に 「薄幸の美少女」「乙女」「少年」 といったイメージで語られるキャラもいますし。 またリアルな世界でも、ことさらに鬱陶しい不幸アピールをしないのであれば、憂いを含み謎めいた魅力を持つ、一種のモテ要素みたいな扱いをされることもあります。
「薄幸」 と 「不幸」「不運」
一方、ほとんど同じような状態である不幸・不運 は、より不幸な部分を暗く辛辣に強調したり、逆にコミカルな部分を明るく ネタ として強調したりで、それぞれ災いを招くダークヒーローとか、逆に トラブル を引き寄せたり失敗をしてしまう微笑ましい ドジっ子 などといった 萌え属性 とも相性が良いものとして扱われます。 これは薄幸にも似たような部分が当然ありますが、明確に分けて考えられるべきだと思われながらも、その差が描きにくくなっている部分はあります。
また薄幸と不幸・不運は、描写方法や 概念 の違いだけでなく、時代に合わせて変化もしています。 時代を下るとキャラが病気で死ぬ、闇堕ち するといった過酷で救いのないシリアスな描写が 鬱展開 だとして避けられ、同情を誘う笑いに変化させざるを得ないという部分もあります。
また何度かの 挫折回 や謎解き回を挟むなどして丁寧に描写される繊細な薄幸描写は時間がかかりすぎてその部分でも避けられがちですし、1990年代末から2000年代初頭にかけての、いわゆる 「泣きゲー」 と呼ばれたシナリオ重視のエロゲーの時代をピークに、衰退しつつある印象があります。 「葉鍵」(Leaf/ Key) を中心とした作品があまりに流行って類似作品が多く飽きられたとか、大きな感動の裏には大きな心理的ストレスや 摂取 のための大きなカロリー消費もあってそれが避けられるようになったとか、理由はいろいろでしょうけれど。
また現在の作品の場合、キャラが死んでしまったらそれで終わってしまい、その作品がどれだけヒットしても続編が作りづらいという 商業的 な 大人の事情 ? もあるかも知れません。 とはいえ薄幸や不運によって生じる不幸や悲劇は、ギリシア悲劇の時代から物語の大きな核の一つであり、人が持つ避けがたい欲や人知を超えた運命に翻弄されるちっぽけな人間を嗤い、謳い、慰める、一つの様式でもあります。 廃れてしまうことはなく、今後も一定周期で流行ったり少し停滞したりを繰り返しながら様々な作品やキャラが創られてゆくのでしょう。
母性や父性、保護欲の喚起は萌えのど真ん中を刺激するよね、やっぱり…
言葉としては、薄幸も不幸も不運も、おおむね同じ意味や使い方をする言葉です。 しかし不幸や不運に比べると、前述の通り薄幸はちょっと切ない響きがあります。 いやどれも かわいそう だし切なくはあるんですが、幸が全くないどん底、不幸せではなく、あるけれど薄くて小さくて本当の幸せには手が届かない、でもその小さな希望に必死にすがるもどかしさや健気さが薄幸にはあるというか。 このあたりは薄命・短命の違いもそうでしょうが、単純に言葉としても一歩引いた表現によって想像の余地や奥行きがあるような感じがします。
雑 にわけると、薄幸は自分が不幸だとは思っておらず、あるいはそう思いたくなくて、僅かな希望を抱いて健気に頑張る姿、不幸は自分が不幸で不運だと分かってもいて、時に自分の恵まれない境遇を嘆いたり 呪っ たり投げやりになることもあるけれど、何度叩きのめされても這い上がる不屈の存在みたいな感じでしょうか。 そこで幸せを掴んでハッピーエンドとなったり、暗黒面 に 転んで ダークな存在になることもありますが、死によって魂が救済されるといった形になることもあります。 もちろんこのあたりの感じ方は人によっても違うと思いますし、2000年代中頃前後の恋愛描写における 闇落ち である ヤンデレ も含め、描かれたキャラのエピソードによっても変わってくると思いますけれど。
こうした言葉の多様性は英語でもその他の言語でも色々ありますが、例えば英語で運に関して 「unlucky」「bad luck」「poor luck」 と並べられたところで、英和辞典的な意味で何となく 「ついてない」「運が悪い」「運に見放された」 などの漠然としたイメージは持てても、どこでどれを選ぶかによってそこに生じるであろう作者が意図した心の機微に触れる細かい ニュアンス までは、英語話者でない 筆者 にはぼんやりとしか感じ取れません。 外国語の本などは翻訳でしか読めませんが、才能ある翻訳家さんの優れた仕事にはいつも感謝しておりますし、単に 「幸せではない」「運が悪い」 という状態だけのために、これほど多くの言葉を遺してくれたご先祖さまにも感謝しかありませんね。