挫折や絶望によって光を失う… 「闇落ち」
「闇落ち」(闇堕ち) とは、アニメ や マンガ、ゲーム、ラノベ など創作物の キャラクター が闇に落ちること、性格が変わって邪悪・陰険・悪辣なモードに切り替わることです。 挫折や絶望など何らかのきっかけによって性格が変わり、それに伴って表情や態度や服装まで全てが邪悪に切り替わる場合もあれば、単に隠れていた・隠していた邪悪な本性が物語の途中で露わになるケースをそう呼ぶ場合もあります。
なお性格などは変わらず、ほんの一瞬だけ 「イジワルな態度を取る」「悪知恵を巡らせる」「邪 (よこしま) な考えを持つ」「ダークな本音を漏らす」「毒づく」 といったシーンでも 「闇落ち」 と呼ばれることがあります。 この場合、キャラの顔の上半分、目のあたりが暗くなったり光を失ったり (レイプ目)、画面に向かって背を向けて表情を見せない形で背景が暗転するなどして、「悪いモードになってます」 を軽い ノリ で表す場合もあります。 この辺りはギャグものでも何でも、創作物ではもっともありふれた笑いの表現のひとつでしょう。
似た言葉として 「悪落ち」「黒化」「暗黒化」「邪悪化」「暗黒面 (ダークサイド) に堕ちる」 あるいは 「黒姫化」(女性キャラの場合) と呼ぶこともあり、おおむね同じような意味で使われます。 ただし理想や目的を見失って無気力で投げやり・自暴自棄な状態になること、自堕落な愚行を繰り返すような状態を闇落ちと呼ぶ場合もあり、必ずしも 「悪に落ちる」 だけではない点は注意が必要でしょう。 場合によっては善悪を問わず、単に文字通り 「光や希望を失った状態」 だとする見方もあります。
主人公の闇落ちの他、敵の闇落ちの過去とその超克が作品の裏テーマとなることも
物語性の高いシリアスな作品で、ある種のどんでん返し、意表を突いた展開として行われることが多いのが、この 「闇落ち」 です。 闇落ちするキャラは 主人公 やその仲間まで様々ですが、闇落ちする前からその予兆というか 「良くはわからない違和感」 を伏線として物語の序盤に配置して、闇落ちした際のインパクトを高めることもあります。 場合によっては前半部分はゆるふわお気楽ギャグ路線だったのが、一気に 修羅場 だらけの 鬱展開 となり、ほとんど ジャンル 違いな地獄みのある物語へ変貌する二部構成のような作品もあります。
正義から悪へ、光から闇へと価値観が変わるため、当然ながらそれまで作中で仲間だったり味方だったりした他のキャラとは争いが生じて離別し、しばしばその後は敵対関係となります。 闇落ちしたキャラはそのまま登場しなくなったりしますが、重要なキャラの場合は、闇落ちしたキャラとの和解や救済、闇の超克が作品の テーマ としてその後浮き上がる構造となっている作品が多いかもしれません。
一方、「闇落ちの後だし」 のようなケースもあります。 例えば ヒーロー ものの作品で正義の主人公と敵対する悪いキャラが、実は昔はヒーローと同じ正義の側に立っていて、途中で闇落ちしていた過去があったとの経緯が後半で明かされる、説明される場合です。 この場合も敵との和解や救済、悪感情の超克や浄化といった要素が作品のテーマとして浮き上がりますが、闇落ち中に非人道的で取り返しのつかない悪行を重ねていた場合、闇落ちから這い上がってもその罪の意識から逃れられず、むしろ取り戻した良心の呵責に追い詰められ、自ら命を断って罪をあがなったり、あるいは正義のヒーローによって打倒されることを心の底では望んでいたような展開となる場合もあります。
人間誰しも、心の中に善もあれば悪もあるものです。 どれほどの善人であっても心に悪が差し込むことはありますし、根っからの悪人だと思われる人物にも愛すべき善の部分が残っていることだってあります。 場合によっては善悪そのものの基準が途中で変わることだってあるでしょうし、善悪ではなくそれぞれの善が対立していただけだというケースだってあるでしょう。 闇落ちはそうした 「善と悪」「それぞれの善」 との境目にあって、人の多面性や矛盾、運命の非情さなどを安易な善悪二元論を避ける形で提示できる展開であり、宗教における 「堕落」「堕天」 などと同様、形を変えながらもあらゆる作品で今後も追及されていく重要なテーマでしょう。
闇落ちとメンタルヘルス
なお闇落ちして 他罰的 になる、猟奇的・攻撃的になる、逆に自傷的になる、自ら命を絶つといった描写には、メンヘラ といった精神的な疾患が想起される部分もあります。 あくまで創作物であるとは云え、「単なる性格」 と 「精神的疾患や障碍」 との区別が時としてあいまいにもなる中、「病んでいるように見えるキャラを面白おかしく描いたり、あるいは悪役として描くのはどうか」 との意見もあります。
こうした議論はサイコパス (感情の一部が欠如している状態) のブームが起こると繰り返されてきたものではありますが、とりわけメンタルヘルスに関わる様々な問題が社会的にも広く認知されるようになると、誰にでも起こりうる 「強く落ち込む」「ストレスで傷つく」「猟奇的な他殺」「自己犠牲という名の自殺」 といった描写に無邪気な嘲笑や揶揄、肯定や賞賛の ニュアンス を持つ作品は、文脈によっては今後より強い批判を受けることがあるのかもしれません。
かっこいい悪役キャラがただの善人に… 「光落ち」
一方、闇落ちしたキャラが元に戻ること、それまで悪かったキャラが善いキャラになることは 「白化」 の他、とくに 「光落ち」(光堕ち) と呼ぶことがあります。 単に黒化や闇落ちの対義語として認識されるケースもあり、また闇に落ちたキャラが這い上がるとの意味で 「光上がり」 と呼ぶことも稀にあるのですが、それまで悪かった強敵キャラ、かっこいいダークヒーローが 「ただの善人」 になるのを残念に感じてあえて 「光の側に堕落した」 との意味で使うケースも多いでしょう。
この場合、他の登場キャラが善の側なら和解でき、時として仲間になったり共闘したりして別の悪と対峙するという展開がありがちです。 「かつての敵と共闘する」 などは熱い展開として好まれる傾向がありますが、「悪役として人気があったキャラ」 の場合、その悪の部分がなくなると魅力半減は避けられず (まあ悪の種類にもよりますが)、またバトルものの場合、強さのインフレ (後から出てくる敵ほど強くなる、いわゆる ドラゴンボール現象) も生じてかつての強敵が今は 雑魚 になったりもしますから、その後は徐々に存在感を失う傾向が強いでしょう。