同人用語の基礎知識

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人を呪わば穴二つ 「呪い」

 「呪い」(のろい) とは、人や妖怪・霊・精霊・魔物といった 人外 が、悪意に基づく精神的・霊的な力で他の人や社会・世界に災厄や 不幸、債務などをもたらし強いること、それを実現するための様々な術 (呪術) や儀式、呪文のことです。 「呪詛」(じゅそ) とも云います。

 一般には魔術の一つとされ、魔力を持つものがその力を使って行うものと、魔力がないものが定められた道具・儀式・言葉や行為で魔力を持つ存在を召喚し、何らかの代価 (例えば自分の命や寿命、死後の魂、体の一部など) を差し出して行うもの、さらにその両方の要素を含むものがあります。

 悪意に基づかず、不幸や災厄ではなく幸福や僥倖を願う同様の行為は 「祈祷」(きとう) と呼びますが、必ずしも厳格な使い分けがされているわけではありません (時代や宗教、あるいは創作物における 設定 にもよります)。 また呪う相手が悪や邪であると見なす場合は、呪う行為こそが正となり、その場合は呪いではなく邪に聖なる災い・天罰を与える 「調伏」(ちょうぶく/ じょうぶく) と呼ぶ場合もあります。 一方、死んだ人や動物、神様 などが行う同様の行為は 「祟り」(たたり) と呼ぶこともありますが、このあたりの言葉の使い分けも時代や立場や考え方によって異なり、曖昧な部分があります。

 「呪う」 という言葉自体は 「祝詞」(のりと) と同じ語源だとされ、「宣る」 に反復・継続の助動詞 「ふ」 を接続したもの(「宣るふ」(のるふ) であり、声に出した言葉が現実世界の事象に影響を与えるとする万葉時代あたりの古い考え方 「言霊信仰」 に由来すると考えられているようです。 ただし現代の呪いやそのイメージに関しては、地域ごとの風習や伝承、様々な宗教の影響なども受け、時代ごとに変化し形作られたものと云って良いでしょう。 例えばキリスト教の世界では、呪いは祝福と対となるもので、神の恵みを受けられない者 (神の戒めを破るもの、異教徒・異端者) といった意味でも使われます。

 神話や怪談・怪奇・ホラー、あるいは超能力などなど、オカルトや ファンタジー の関連でよく使われる 概念 ですが、日常会話においても何らかの比喩として頻繁に使われる言葉でしょう。 例えば人生が上手くいってない人が他人を妬んだり社会に恨みを抱き、ネット で他者を攻撃するような 投稿 ばかり繰り返すさまを 「呪詛」 と呼ぶなどは、わりとポピュラーな云いまわしかも知れません。 また邪悪な笑いを ネットスラング呪笑 と呼ぶこともあります。

呪いの解除法と、その意味

 一般に呪いが成就すると呪われた側には不幸や災厄が訪れます。 しかし呪われていることが分かった時点で所定の方法や儀式を行うことによって、その呪いを無効化させることもできます。 無効化には3種類あり、1つは呪いの解除、2つめは呪いを返す方法、そして3つめは呪いを外に逸らす方法です。

 いずれの場合も呪いを行っている存在 (執行者) とその方法 (呪術の種類) を突き止めて、それに対応する方法で解除する必要があります。 特定 できない場合は、その呪いより遥かに強い力で守護・厄祓いをしてはねつける方法もあります。 霊的存在に正邪の区別があるほとんどの宗教や伝説・伝承では、正が邪より強い存在のため (邪は弱い正が堕落したり上位の正から試練を与えられているような存在としてしばしば描かれる)、正に祈る、帰依すれば邪の呪いが解けるとされるケースが多いでしょう。 呪いを逸らす場合は、正の力を借りて自分の身代わりとなるもの (ヒトガタなど) に呪いを受けさせる方法となります。

 呪いが邪の力によって起こされるものだとしたら、それを自力で跳ねのけた者は、自らが正であることが証明されたことを意味します。 様々な神話や創作物では、呪いがかけられた道具などを使いこなす人、他者への呪いを無効化した人は、それをもって正であり神や神の祝福を受けた存在であることを象徴します。 「岩や地面に突き刺さった呪われた剣」 を抜いて自分のものとできるのは、そうした資質を持つ英雄 (ヒーローヒロイン)だとみなされます。

 ただし正なるものが呪いの剣などを手にすることで心身を蝕まれ、欲や嫉妬にまみれてやがて邪に堕ちるといった描写となる場合もあります。 真の正は不変・永遠・完全性を持つことがしばしば求められますから、ほんの一時だけ呪いや邪に打ち勝っただけでは弱い正に過ぎず、完璧な証明にはならないのが厳しいところです。 一方の邪の側はその時々の損得勘定や気分で容易に自分の意見や立場を変えたり偽ったりしますが、この辺りがとても人間らしいというか、だからこそ呪いという邪の行為にある種の人間らしさ、禍々しい中にも時に感情を揺さぶる切なさがあったりもするのかもしれません。

 しかしそれはそれとして、呪いの効力を無効化する第一の方法が、執行者とその方法を突き止めるというのも、ネットでの呪詛たる匿名での誹謗中傷の際の発信者情報開示請求による身元確認・特定などと符合して意味深長というか示唆的です。

 なお気にくわない相手や政敵に対して実際に手を下すだけの権力や武力を持つものが、なぜ実力行使ではなく遠回しな呪いをしばしば使うのかについても様々な理由があります。 中世あたりまでの日本であれば、仏教の影響から殺生が忌み嫌われていた部分があります。 慈悲の教えに背いて実際に人を殺めてしまっては地獄行ですから、あくまで仏教・仏法に則った手続きや手段、すなわち調伏や呪いによって相手の息の根を止めるしかないのですね。 法の下で相手の死を念じてそれが成就すれば、それは殺人ではなく相手に天罰が下ったまでの話です。 このあたりは仏教以前の神道も含めた穢を恐れたり血避観念などとも無関係ではないでしょう。

 ちなみにかなり近い時代において、半ば国家的な呪詛が行われたとの話があります。 真偽はともかく比較的広く知られているのは、太平洋戦争末期における日本軍による敵国アメリカの大統領ルーズベルトの調伏や、押し寄せるアメリカ軍の撃退祈願です。 このあたりは狂信的なオカルト信奉者の将校が個人的に勝手にやったとか、ある程度軍指導部も了解の上行ったとか、そもそも全くの作り話だとか、都市伝説や小説などの創作物を含め様々あります。 そして現実のところ、ルーズベルト大統領は1945年4月12日に病没し、また沖縄戦の真っ最中となる6月4日から5日にかけて沖縄近辺に大型の台風が 「神風」 よろしくやってきて、アメリカ海軍の戦艦や空母・巡洋艦・駆逐艦など36隻、それらに搭載されていた艦載機らに甚大な被害を与えています。 この被害は、ミッドウェー海戦後に日本軍と戦ったいくつもの海戦被害と比べても、とても大きなものでした。

 しかし大統領個人が没しても代わりに新しい大統領が任務に就くだけですし (副大統領のトルーマンが即日就任)、軍艦が木造だった鎌倉時代の元寇の頃ならいざ知らず、さすがの神風も現代科学で建造された鋼鉄製の軍艦全てを消し去ることはできず、戦争の帰趨にはなんら影響を与えられずに日本は同年に敗北しています。 元寇の神風にしても、実際は台風が来る頃までモンゴル軍の上陸を許さず撃退し続けた鎌倉武士の奮戦があったからこそ結果的に活きたわけで、先の大戦のように無謀な戦争を仕掛けて敗退を続け、末期になって苦し紛れに調伏や呪いをかけたところで、神様仏様も困ってしまったことでしょう。

そもそも本当に呪いは実在するのか

 オカルト的な霊的存在や超能力の有無はともかく、人間は 「精神」「心」 を持っているので (それらの哲学的な定義はさておき)、呪いが単なる迷信や架空のありえないものだと考えるのは誤りでしょう。

 例えば身近な誰かが自分や自分の大切な人を呪い殺そうとするほど強く恨んでいることに気づいた時、はたして精神や心、感情が平穏でいられるでしょうか。 人によっては大きなストレスを受けて時として心体を病み無用な トラブル を招いて疲弊したり、生死にかかわるような重大な判断を誤って死を招いたり、場合によっては自ら命を絶ってしまうことだってあるでしょう。 中世日本の貴族社会においても、対象の近辺に呪いの人形を置いて従者らにわざと発見させ、それを知った本人が受けるであろう心理的打撃を狙ったものもあります。

 また逆に、人に恨まれるようなことをした人が、罪悪感や良心の呵責に苛まれ、その後に生じた悪いこと (自分や家族が偶然に 病気 になった、事故に遭ったなど) を勝手にそれと関連付け、自責のあまり 「呪われたのだ」 と思い込んでいるだけのケースもあるでしょう (これは逆に、呪われて罰を受けたのだ、代償を捧げた贖罪なのだと無意識の救済を求めている部分もあります)。

 その意味では実際に呪いには対象とされた人物を不幸にする効果があり、また成就したケースも古代の伝説的な逸話だけに限らず、無数に存在したと考えて良いでしょう。 「物理的な力以外で他者に危害を加えること」 が呪いや呪術、あるいは言霊のひとつなのだとしたら、ネットにおける誹謗中傷や学校での いじめ、職場でのパワハラを含め、精神攻撃としての呪いは現代においても十分に効力を発揮し、あるいは日常に溢れているとさえ云えます。 単に同じ行為や事象の呼び名が昔と今とで違うだけです。

 物質や土地・空間が呪いの性質を持つこともあります。 所有すると呪われる道具とか、住む者に災いが訪れる呪われた館のような存在です。 これらもオカルト・霊的なものというよりは、科学や医学が未発達だった時代であれば、人体に悪影響のある放射線や重金属、有毒ガス、細菌やウイルスが原因となって心身の健康を損なう場合が迷信化したものだと考えられるでしょう。 また建物などでは、物件の立地条件とか間取り、建材、採光、騒音、湿度、床の傾き、室内の生活什器や家具の配置、さらにその物件を選ぶ人の傾向などによって、住まう人間の行動やメンタルに影響を与えたり、それが積み重なって突然死や家庭不和を招く確率が有意に高くなっているだけといったケースも少なくないものです。 例えばじめじめとして薄暗い部屋なら、気分だって滅入ってきてしまいます。 本当か嘘か、業務で様々な物件を見る中で 「孤独死や離婚しやすい家は一目で分かる」 とうそぶく不動産屋さんは結構いたりします。

 呪いの対象が個人 (自然人) ではなく、特定の属性の不特定多数 (例えば異性とか特定の外国人とか) だったり、学校や会社といった組織や団体、国といった大きな存在の場合もあります。 ネットなどでは特定の属性にある人間全てに対して怒ったり、著名人や社会、国に対して恨みを持って呪詛ばかりを呟いている人もいます。 こうしたケースでも実際は身近な誰かへの呪いや攻撃が正体だったりもするのでしょうが、本人がそれに気づかない、あるいは分かっていてもそこにしがみつく場合は、やはり通常の呪いと同じ構造を持っているのでしょう。 自分でコントロールできない恨みや怒りほど怖いものはありません。 もちろん遺伝的な理由で特定の民族の健康にのみ悪影響を及ぼすような細菌やウイルスだってあります。

実際に誰かを呪う場合は…

 一方で、どうしても手の届かない憎い相手への割り切れない恨みや怒り、あるいは嫉妬を、自分の中で浄化する区切りの手段として、効果のあるなしを度外視した形で 「呪い」 を使う場合もあります。 殺したいほど憎いけれど実際に手を出してしまっては犯罪になるし、相手にも周囲の人間にも自分にも大きな不幸が掛かってしまう、しかしどうにも我慢ができないといった時に、ストレス解消のために呪いの真似事をして気を晴らしたり留飲を下げる人だっているでしょう。 「殺すリスト」 の作成なども、広義の呪いかもしれません。

 もっとも、それで浄化できない場合、人によっては呪う行為によってさらに憎しみが募ったり、自己嫌悪によって自分の方のメンタルが悪い方に急激に落ち込む場合もあります。 「人を呪わば穴二つ」(人を呪うと相手と自分、2人分の墓穴が必要になる) といった言葉もありますが、呪う以外の方法で恨みやストレスを解消できる方法は、もっていると人生が多少は楽になるかもしれません。

 ちなみに 「殺すリスト」 を相手に見せたり 「殺すぞ」 などと脅すと、当然ながら脅迫罪になります。 一方、相手を特定せず 「呪い殺してやる」 などと公表したり実際に呪いの儀式を行うことそのものは、罪にはなりません。 現代科学では呪いなどはないことになっているので、「不能犯」(行為による結果が実現不可能なこと) となり罪に問われることはないのですね。 これは呪った本人が呪いを信じているかどうかとは関係がありません。 ただしターゲットを特定したり、嫌がらせとしてこれ見よがしに行ったり、それを相手にしつこく見せるなどした場合は、脅迫罪や業務妨害罪、名誉棄損やストーカー規制法違反などに問われることになります。

創作物における 「呪い」 と 「人の恨みをかわない」 という教え

 創作物における呪いは、宗教や伝説・伝承などの考え方をベースに、物語の核心をなす要素として様々な形で使われています。 それは神話や古代の伝承から、魔法使い や神様・悪魔が登場するような現代のオカルト・ホラー・スピリチュアルな作品においても同様です。 とりわけそれらの存在が素朴に信じられていたであろう古代や中世を舞台とした物語、この世とは異なる法則で世界が動いている異世界ものなどでは頻繁に用いられるのはもちろん、そうではない現代ものの日常を描いた作品であっても、呪いとその超克を描いた作品はたくさんあります。

 呪いは 「差別」「嫉妬」「貧困」「抑圧」「恐怖」「運命」 などの比喩・寓意として用いられやすい概念です。 それを正の力や 「努力」 で跳ねのけることが テーマ となっている物語は、人類普遍の価値を持つもののひとつでしょう。 禍々しい呪いや祟りがこと細かく エンターテインメント としてドラマチックに演出されているかどうかにかかわらず、物語を創作する上では、ある種の 王道 といっても良いかもしれません。

 なお日本においては、いわゆる 「藁人形」 を使った呪い 「丑の刻参り」(午前1時から午前3時ごろの深夜に、神社の御神木に呪う相手に見立てた藁人形を五寸釘で打ち付ける) はもっともポピュラーな呪いの方法として知られ、この行為を モチーフ として作品の一部に使う創作物は、オカルトからギャグまで、無数にあると云って良いでしょう。

 この丑の刻参りは、今でも時折その痕跡が見つかってニュースや話題になることもありますが、実際に行っている人は存外多いのかもしれません。 今ではネットなどの 通販 で、ある種のジョークグッズとしても販売される藁人形ですが (丑の刻参り藁人形セットみたいな商品が結構出てます)、自分の名前が書かれているそれがどこかの神社にあることを知ったら、心穏やかにいられる人は少ないでしょう (逆に知らなければどうということはないでしょうw)。

 その意味では呪いの力はまだまだあるし、逆恨みは避けようがないにしても、ことさらに人の恨みや嫉妬をかうような行為はなるべく慎んだ方が良いのかもしれません。 すなわち、「むやみに人の恨みや嫉妬を招かないように注意深く行動する」 という処世術としての教えこそが、「呪い」 の持つ本質的で核心的な意味のひとつなのでしょう。

シチュエーションものとしての呪い

 一方、もっとくだけた呪いの表現もあります。 例えば 「〇〇になる呪い」 といった設定の呪いは シチュエーションもの としては極めて優秀で コスパ が高いものでしょう。 「眠り続ける呪い」 とか 「動物になる呪い」「女の子になる呪い」 などは、神話から現代の おたく腐女子 向けの軽いタッチの作品まで様々なものがあります。

 とりあえず 「〇〇になる呪い」 と云えば、どんな無茶な状況でも実現可能ですし、その呪いを解除する方法とセットで簡単に物語が作れてしまいます。 あまりに簡単・便利すぎて、内容によっては平凡な印象しか与えられない場合もありますが、もし新しくて十分魅力的な呪いが考案できれば、もうそれだけで作品ひとつが、ひいては新しい 作品ジャンル ができてしまうほどの有用性を持っています。

日常生活でも軽いネタとしてよく使われる 「呪い」

 様々な視点から色々な 解釈 ができる 「呪い」 ですが、前述したとおり、日常生活でもよく使われる言葉となっています。 子供時代、「〇〇しなければ□□になる」 といったよくわからない自己暗示 (例えば 「横断歩道の白線以外を踏んだら死ぬ、みたいな決めごと) を自らに冗談で課して、それに本人が意図しないほどいつまでも縛られる経験は多くの人に覚えがあるでしょう。

 また無遅刻無欠席記録をずっと続けていたら体調が優れなくともその記録を途絶えさせたくないばかりに無理をして学校に行こうとする人も少なくなく、これも自分に対する呪いと呼べるかもしれません。 あるいは一時的な成功体験に囚われて、いつまでも夢を追いかけ続け、やめ時を失ってしまう状況もある種の呪いかもしれません。

 「霊柩車が通ったら親指を隠せ」「夜に爪を切るな」 などの迷信や縁起にまつわる話や、言霊における忌み言葉 (結婚 の話で切るとか終わると云わない、受験の話で落ちる、滑るを使わないなど) も、その裏にある教訓とか生活の知恵を含めて、ある種の呪いの一つかもしれません。

ゲームのイベントで自分に課したノルマが 「呪い」 に

 なお おたくや腐女子の世界では、ゲームイベント のクリアをずっと続けていると、どれほど辛くても強い義務感からイベントが無視できなくなってしまい 「苦しいのに身動きが取れなくなる」 ことは多々あるものです。 こうした場合はとくに、ゲームのイベントや褒賞の名前を取って 「〇〇の呪い」 などと半分 ネタ として呼ばれたりもします。

 ネット、とくに SNS などでよく見かけるのは、ブラウザゲーム 「艦隊これくしょん」(艦これ) のイベントにおける最高難易度 (難易度甲) クリアでの称号、「甲勲章」 に関するものでしょうか。 何年間もずっと甲クリアをし続けるといまさら 難易度 を落とすことができなくなって、それでもクリアに手こずってしまうと、イベントが終わるまでずっと 「むがー」「毛根 が死ぬ」 などと叫びつつ苦しむことになります。 その姿はしばしば 「甲勲章の呪い」 などと呼ばれます。

 この他、キャラ なり アイテム なりの フルコンプ を続けるとか、ランキングで常に何位以上を キープ とか、ゲームタイトルを問わず何らかのノルマを自分に課している プレイヤー は結構います。 もし挽回できない状態で固定して 取り返しのつかない要素 の喪失が起こると、一気にモチベーションが喪失することもあります。 ガチ勢引退 を決意する大きな理由の一つでしょう。

 ゲームなんですから自分の中で娯楽の範疇を超えるほどのストレスを感じるならやめればよいだけではありますが、遊びにそこまで熱中しこだわれるのもある意味恵まれているとも云えます。 とても幸せでとても不幸な状態なのが 「呪い」 なのでしょう。

「コンコン コンコン 釘をさす」… 山崎ハコさんの 「呪い」

 日常生活にあふれているとも云える呪いだけに、それを テーマ とした楽曲も様々なものがあります。 なかでも 「呪いの歌」 として有名なのは、山崎ハコさんの失恋を歌った 「呪い」(アルバム 「人間まがい」(1979年) でしょう。 1980年代、いわゆる 根暗 という言葉が流行る中、山崎さんの歌は 「暗い歌」 として面白おかしく取り上げられ、揶揄やバッシング、単なるネタや 電波ソング のような扱いを受けることもありました。

 確かにこの曲を含めアルバム収録曲の曲調や歌詞は暗く、ときにおどろおどろしいものでもありますが、別に誰か (別れた恋人など) を呪ったり恨んだりするだけといった内容や、それを肯定し聞くものにそそのかすようなものではありません。 失恋を通じて深く傷つき戸惑い迷いながらも、しかし勇気を振り絞って次の一歩を踏み出すまでの苦悩を歌ったものです。 落ち込んだ時に明るく前向きな歌を聴いて気を紛らわす人もいれば、逆に暗い曲を聴いてどん底まで気分を落とすことでむしろ慰められたり開き直ったり、区切りをつけてやっと前向きになれる人もいます。

 いわゆるフォークソングに カテゴリ される山アさんの楽曲ですが、詩歌の時代から恋愛はもちろん、過ぎ去った日々や失った人々への未練や懐かしみというテーマは伝統的にど真ん中のテーマであり、それをうたい上げるのは正しく詩歌の真髄でもあります。 そして歌に人を救う力があるのなら (私はあると思います)、この歌は間違いなく数少ないそうした歌のひとつであり、聴く人の人生を応援する曲だと云っても良いでしょう。

「祝ってやる」 とは?

 ネットスラングに 「祝ってやる」(いわってやる) があります。 自殺の名所として知られる富士の青木ヶ原樹海を取り上げたニュース番組特集 「激撮! 青木ヶ原樹海 残された痕跡」 に登場した木の幹に、赤いペンキで大きく書かれたいたずら書きの文字 「祝ってやる」 があったのを 元ネタ としたある種のネットスラングです。 しかし 「祝」 の偏 (しめすへん・ねへん) と他の部位とにやや違和感もあり、コラージュ ではないかとの説も当初からあります。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2005年2月12日)
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