救いのない最低最悪の行為 「いじめ」
「いじめ」 とは、地域や学校といった、もっぱら人の流動性が少なく固定された閉鎖的なコミュニティにおいて、特定の個人に対するしばしば多数からの、継続的な肉体的・精神的な加害行為を指す言葉です。
加害行為の内容は、殴る蹴るといった暴行や持ち物を奪う、隠す、汚損するなどの窃盗・器物損壊、金品を要求するといった恐喝・強盗、冷やかしやからかい、暴言、差別、脅迫、さらにはコミュニティ全体で 無視 する、仲間はずれにすると云った自尊心を奪い精神的な苦痛を与えるものまで様々です。 いじめを受ける側 (いじめ被害者) はいじめられっ子、いじめを加える側 (加害者) はいじめっ子と呼びます。
文部科学省の問題行動等調査による定義では、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な 影響を与える行為(インターネット を通じて行われるものも含む。) であって、当該 行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」 とされています。
学校における児童や生徒間のいじめが注目されますが、企業や社会団体といった場で成人同士で行われることもあり、いずれの場合も被害を受けた側の心身に与える ダメージ は計り知れないものがあります。 とくに万引きや他生徒への暴行といった犯罪行為を強要する、性的な加害を加えるなど、いじめといった言葉が生ぬるく感じるような行為もあります。
集団の中でごく少数か単独の個人 (個体) をいじめて排除すると云うのは昔から存在しますし、人間以外の動物の世界にもあることです。 ただし学校と云った教育現場においてこの問題が大きくクローズアップされるようになったのは比較的最近で、1980年代後半あたりからでしょう。 それ以前にも学校にいじめはもちろんありましたが、1980年代くらいまでは校内暴力や校外暴力 (生徒から教師への加害、学校対学校の暴力事件とか、暴走族の抗争とかリンチ殺人とか) をはじめ不良・非行と云った問題の方がより深刻で緊急性が高く、相対的に目立たない存在だったからです。
いじめと同じような暴力・嫌がらせ行為でも、多数がたった一人をターゲットにして行うものと、少数から多数へのもの、多数から多数のものとでは、被害者の心理的なダメージや絶望感はだいぶ異なります。 筆者 は 治安 のあまりよろしくない時代や地域で育ったこともあり、公立中学校時代によくわからない理由で上級生などからぶん殴られるような状態でしたが (昼休みに校庭に族の単車が入ってくるような学校でした…)、それは同級生の多くも同じような理不尽な境遇なのであり、孤独感や絶望感はそれほどありませんでした (荒れた学校だったせいで、校外で他校のヤンキーに絡まれても学校名を名乗ると見逃してもらえるみたいなことにもなってましたw)。
またこれらは私立だったり公立でも高校に進学すればかなり風景も変わるし、友達がいるかどうかでも全然変わってくるものでもあります。 とくにいじめが激しい小学校高学年から中学くらいまでを乗り越えれば明るい未来があるのかもと、未熟で視野がまだ狭い子供に気づきを与えられるかどうかは大きなポイントかも知れません。
学校や教員があまりあてにならないのは、その頃から変わってないでしょう。 対応が難しい問題だと云うのは重々承知ですし、少しずつ改善が進んでいると信じたいですが、これだけ社会問題化して長い年月が経つのに相変わらずの隠蔽体質や被害者軽視の姿勢が変わらないのは、変える意思がないということでしょう。
創作物におけるいじめと感情移入先
創作物や 同人 の ジャンル においては、主に 18歳未満禁止 の エロ い作品において、前述した行為に加え性的な加害を加える描写がされるケースが多いでしょう。 虐待 のひとつであり、SM などと同様に肉体的・精神的に 受け となる キャラ への加虐あるいは被虐の作品となります。 読者 にマゾッ気のある人が多いからなのかどうなのか、いじめ・加虐対象が女性であれ男性であれ、いじめられっ子視点による作品が多いようです。
物語の展開としては、いじめを受けた側によるいじめっ子への復讐を描いたり、正義漢や熱血漢の佳き教師によって両者の和解が図られるといった留飲の下がるもの、前向きなものもある一方、とりわけ 成人向け の作品の場合は、ひたすらいじめられっ子がいじめを受ける様を描写し続けたり、最終的にいじめを受けた側が自死を選ぶなど、救いのない 鬱展開・胸糞 なものもあります。 創作ジャンルとしていじめを見た場合は、おおむね後者のみを指すことの方が多いでしょう。
創作の世界では、実社会で実際に行ったら犯罪になったり倫理的に批判されてしかるべき行為がしばしば魅力的に描かれます。 それはいじめもそうですし、暴力や性的暴行、殺人まで様々です。 こうした作品が娯楽として楽しまれることについては、怖いもの見たさとか日ごろは隠れている無意識下に潜む残忍性の発露や充足とか、様々な見方があります。 またいじめられっ子・いじめっ子どちらに 感情移入 するかでも立場は変わるでしょう。
現実世界のいじめのイメージとネットでのバッシング
いじめに対する評価は人によって異なりますが、匿名で行う 露悪的 ないじめ肯定やいじめられっ子の自己責任論はともかく、表向きはイジメに対する評価は極めて厳しく、いじめっ子は過去の行為が発覚した時点で社会的信用を一気に失いかねないほど強烈なものです。 いじめられっ子がイジメに遭っていた頃のことを心の闇、トラウマとして抱える一方、多くのいじめっ子も周囲にいじめを肯定するような クズ ばかりのコミュニティにいない限り、過去の自身の恥ずべき歴史、黒歴史 として忘れたいと思っているケースが少なくないのは、人間性に対する多少の慰めにはなるかもしれません。
なおいじめ被害者が自死を選ぶほどの極端に惨いいじめの場合は、前述した前提が当てはまらない場合もあります。 いじめっ子が反省したり罪悪感を覚えることすらない場合も多く、その場合、周囲の大人にもクズが揃っている場合が多かったり、自分の過去に向き合う勇気がなく、忘れたふりをしていることも少なくありません。 被害者であるいじめられっ子以外、登場人物全てクズ、みたいな状況もあります。
「いじめ」 という言葉からは軽いイメージを受ける、ちゃんと実体に即して暴行・傷害とか恐喝・強盗とか相応しい罪名で呼ぶべきだという論があります。 これについては肯定する意見も少なくありませんが、よほど倫理観の欠如した頭の悪い人間でない限り、すでに 「いじめ」 という言葉が持つイメージは最悪に近く、軽いイメージで捉えている人はもはやそう多くはないでしょう。 ケンカで相手に大怪我をさせて警察沙汰になったみたいな行為よりもいじめの方が、過去の話や若気の至りで済ませられない、救いようがないほどに卑劣な行為だという認識が (とくに若い世代では) されているような気もします。
いじめ加害者の個人情報がデジタルタトゥーとしてネットに漂う
とくにいじめられっ子が自死にまで至るような事件は、いじめっ子らの卑劣で残酷な仕打ちの数々、周囲の大人の無責任さなども詳細に報道され、胸糞な 案件 として ネット などでは延々と風化されることもなく語られ続けることが多いでしょう。 義憤からいじめっ子らの個人情報の 特定 や散布、個人に向けた 人格攻撃、それらを デジタルタトゥー として残すための活動も行われます。
これを 「やってることはいじめっ子と同じだ」 という意見は多いのでしょうが、相手がいじめっ子であれば自業自得・因果応報、自分が同じ目に遭っても受け入れるべきだとする意見も少なくありませんし、「当事者じゃないのだから口を出すな」 も、「こいつにいじめられた被害者も別に望んで当事者になったわけではない」(今はもう当事者の一部だ) のですから、あまり説得力を持たないかも知れません。
筆者は偽善者なので建前を崩したくはないし、これら 晒上げ のような行為を肯定するつもりも加担するつもりもありません。 人違いで無関係の人を晒すようなことがあったら取り返しもつきませんし。 しかしいじめっ子が目の前にいたら、汚い言葉で面罵したい衝動にはかられるでしょう。
いじめ対策は、被害者救済より加害者隔離を優先すべき
一般にいじめが発生すると、いじめられっ子に我慢を強いたり、不登校や転校といった形で保護する方向での対策が求められがちです。 緊急避難として止むを得ない部分もありますが、問題があるのはいじめっ子の方なのですから、むしろいじめっ子の方に強い指導なり教育なり、少なくとも加害行為をしなくなるまでの 隔離 なりを行う方が方向性的には正しいものでしょう。
いくら未成年者で他人の痛みがまだ分からない未熟な存在なのだとしても、相手が 引きこもっ たり自死するまで長期に渡って執拗に加害し続けたり、性的な嫌がらせや暴行を多人数で加えるなどは尋常ではなく、精神的に何らかの深刻な障害が強く疑われるからです。
現実問題として、いじめられっ子は一人かごく数人、いじめっ子は何人もいる上にクラス中の人間を共犯者に仕立て上げるため、少数対多数となって少数の側にしわ寄せが来る対策をしがちです。 また学校の先生も中心となっているいじめっ子の加害行為を黙認することでクラス全体を掌握できるため、いじめっ子を生贄にしがちでしょう。 これでは状況は一向に改善しません。
べつにいじめっ子ばかりの学校を作ってそこに放り込み、いじめっ子同士でお互いにいじめ合えとまでは云いませんが、学校といった教育現場で対応できないのであれば、速やかに警察や医療の カテゴリ で対処すべき問題だと思います。
これはいじめ加害者が行為をエスカレートさせて被害者に取り返しのつかない事態を招くのを防ぐ、第二第三の被害者が出るのを回避するためなのはもちろん、未熟な加害者側に人生の汚点を残さないためにも必要な事でしょう。 また学校や教員側に過度の負担を与えるだけでなく、いじめを隠蔽するメリットが生じるような現在の取り組み方は早急に改める必要があるでしょう。