キャラと一緒に笑ったり泣いたり… 「感情移入」
「感情移入」 とは、自分の感情や精神を何らかの対象に投射し、自分とその対象が融合したような感覚を覚える作用のことです。 もっぱら マンガ や アニメ といった創作物に登場する キャラクター にそれを感じたり、芸術作品に対する 作者 の創作意図に対するものを指しますが、人間関係とかその他生活のあれこれで生じることもあります。
例えば対象に良いことがあれば見ているだけの自分も嬉しくなりますし、怒りや悲しみ、ピンチを迎えてハラハラドキドキしたり、危機を脱して安堵する、キャラとキャラとの友情や恋愛感情で心が温まるなども同様です。 似たような言葉には共感や同調、自己投影や憑依、あるいは没入感などもあります。
作品内のどのキャラに感情移入するかはキャラとそれを見る 読者 の好みや相性によって変わります。 一般に自分の一番好きなキャラを自分の分身として追うことが多いのでしょうが、ある特定のキャラに感情移入し続けつつも、シーンごとにその都度感情移入する対象が移り変わることもあります。 例えば2人のキャラが争ったとして、「どちらの気持ちも分かって辛い」 みたいな状況もあるのですね。
感動できるかどうか、作品評価に直結しがちな感情移入
感情移入は自分が好きなキャラと一体化し、ひいては自分がその物語の中の一人となって 世界観 を 共有 するものでもあり、感情移入できるかどうかがその人の作品評価と直結しがちです。 物語に感動できるかどうかはこれに掛かっているといっても良く、誰にも感情移入できなければ、物語がどれほどドラマチックな展開をしても他人事のように感じられ、感情を揺さぶられることもないでしょう。 逆に感情移入しすぎるくらいすると、多少物語がチープでありふれたものでも、自分にとってかけがえのない読書体験や視聴体験となり、大切な作品のひとつになるでしょう。
作品の作り手側もそれは分かっていますから、仮に読者や視聴者らが受動的なものの見方をしていても感情移入しやすいよう様々な演出や仕掛けを行い、また共感や支持がされやすい倫理的に正しい思考や首尾一貫した言動を提示するように心がけるでしょう。 また作品が 「作り物」 だと感じられると感情移入を妨げるので、違和感を覚えて白けてしまうような不自然さや矛盾をできるだけ減らし、ある程度のリアリティも必要です。
とはいえ、作品を見てどう感じるかなどは、作品とそれを受け取る側の共感力や 解釈 の融合物、作者と読者の共同作業という部分があるので、食い合わせによってはどう頑張ってもダメなものはダメになりがちなのは難しいところです。 作者が 主人公 に感情移入してもらいたいと思っていても別のキャラに感情移入する人の方が多いなどはよくあることですし、受け取り側に心理的な変化があると、同じ作品の評価が時期によって一変することだってあります。 子供の頃は感情移入できなかったキャラが大人になってしみじみ心に響くとか、子供のころに大好きだったキャラが大人にって見ると嫌いになったなどといった話はよくあることです。
一方で感情の起伏というのは、思った以上に心理的な負担や体力を使うものです。 若い頃は無限の体力でどんどん作品を消化できるけれど、ある程度の年齢になったり多忙などで心身に疲労があると、新しい作品、とくに感動巨編などは、読んだり観るのに結構大きな覚悟が必要になったりもします。 このあたりは おたく や 腐女子 の基礎体力が求められる部分なのでしょう。 年を取ると面白そうな作品、ハマり そうな作品ほど、実際に見るのが億劫になったりします。 それでも意を決してエイヤッと見始めると止まらずに 一気見 したりはするんですけれどね…。
「感情移入力」 を鍛えることが、作品との良好なつき合い方なのかも
「ビー玉レース」(マーブルレース) という遊びがあります。 砂で作った緩やかな坂にビー玉が何個か通れるくらいの幅の溝を掘って、上から何個かの色とりどりのビー玉を一斉に転がし、どれが一番早くコースを走り抜けゴールするかを競うゲームです。 どのビー玉が真っ先にゴールして 優勝 するのかは完全に 運ゲー であり、そこに何の物語も筋書き意味さえもありません。
しかしたくさんのビー玉が転がり落ちる中で、途中で動きが鈍くなるもの、他のビー玉に弾き飛ばされるもの、抜きつ抜かれつの激しいデッドヒートを繰り広げるものなどなど、偶然のビー玉の動きに何らかの必然やドラマを感じてしまうことはよくあります。 ついつい感情移入してしまい、そのうち熱が入って 「黄色のビー玉頑張れ」「赤いビー玉負けるな」 などと特定のビー玉を応援したり、ごひいきのビー玉が先頭だと嬉しくなったり、コースアウトしてリタイアとなると悔しくなったりもします。
当たり前の話ですが、ビー玉には意思も意識もなく、単に無機質の物体が物理法則に従って転がり落ちているだけです。 しかし溝にひっかかって動きが鈍った後に 加速 すると何だか 「挫折を乗り越えて健気に頑張っている」 感じがしますし、最後の最後に自分が応援しているビー玉が逆転で 勝利 すると嬉しくなったり褒めて労ったりしたくなるのは不思議です。 とはいえ、こうした感覚が全く分からない人もいますし、相手が実在の人間だろうが創作されたキャラだろうが単なるガラス玉だろうが、そこに人間性を感じて感情移入ができるのはひとつの才能です。 同じ時間を使って作品を読んだり観るのならば、なるべく楽しむための努力をした方が有意義な時間を過ごせるでしょう。
また作者の側は、そうした読者や視聴者らの感受性や共感力を信頼しつつ、感情移入を妨げるようなノイズを減らす努力が求められると云って良いでしょう。 何でも安易な 説明セリフ で片付けず、自然と気持ちが同調するような丁寧な描写が大切なのでしょうね。