超本格的なものから、ちょっとした作品のスパイス代わりまで
「SM」 とは、いわゆる 「サドマゾ」(サディスト Sadist・マゾヒスト Masochist/ サディズム Sadism・マゾヒズム Masochism) の事で、SがMに肉体的、精神的苦痛を与える、もしくは、MがSによってそれらを加えられる営みのです。 SによるMの加虐は、調教 とも呼ばれます。 相当に特殊で独特な世界のわりに、同人の世界ではかなり頻繁に作品に採り上げられている テーマ・素材のようです。
ただしその採り上げ方は、「SM」 の本来的な意味を離れてかなり融通無碍・自由自在です。 好きな異性の身体的な自由を奪って性的欲望を満たす…のような素朴で幼稚なものから、極限の苦痛と恥辱によって人間から性をむさぼるただの獣へと自我を解放する…と云った少々高尚的なもの、あるいは革の拘束具やピアッシング、荒縄の幾何学的な緊縛に洗練された様式美を感じるもの…などなど、作家によって取り扱いやその視点もまちまち…と云った感じです。
アンモラルで尋常ならざる世界であるのは疑うべくもありませんが (性的に異常 (性倒錯) かどうかは議論の余地があります)、エロティックな作品ばかりでなく、例えば “女王様と 奴隷”、“ローソク責め” などなど、見方によってはコミカルな印象すら与え得る奥深さと間口の広さは、ギャグマンガの世界でも良く採り上げられる原動力ともなっています。 カップリング の性別や組み合わせを一切問わない事から、男性作家にも女性作家の作品にも共通して現れるのも、「SM」 の大きな特徴と云えるでしょう。
机上の学習では到達し得ない奥深い世界がそこに…
サディズムの語源はフランスの作家、通称マルキ・ド・サド (Marquis De Sade/ サド侯爵) 本名ドナティアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド (Donatien Alphonse Francois de Sade/ 1740〜1814/ 代表作 『悪徳の栄え』 (1797 (成立年) の名にちなんでいて、意味的には相手 (場合によっては自分 (自虐) も含む) に肉体的・精神的虐待を加えることにより、性的な快感を得る加虐 趣味 …とされています。 一概には云えませんが、マゾヒストがより精神的な快楽を追求しがちなのに対し、サディストのそれは肉体的、直接的な快楽を求める傾向が強いとされています。
サドの主張にもそれは顕著に現れていて、「善悪などと云うものは、社会がその存続を維持するために作り上げた たかだか観念なのであって、真の幸福は自然からの真の声である欲望に各人が従って追求すべきものである」 よって、「淫売、凌辱、拷問、同性愛、死姦、スカトロジー など、ありとあらゆる悪徳とされる行為の実践を通じ植えつけられた既成 概念 をまず打ち砕き、真の自由を獲得せねばならない」 ってな感じで述べられています。 頭の中で考えを巡らせるのではなく、実践が伴わなければ無力なのですね。
一方マゾヒズムはオーストリアの作家、レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ (Leopold Ritter von Sacher‐Masoch/ 1836〜1895/ 代表作 『毛皮を着たビーナス』 (1870) にちなんでつけられた名称で、一般的には相手から肉体的・精神的な虐待を受けることによって性的な快感を得る被虐趣味として捉えられています。 異論もありますが、例えば宗教における受難や修行のための荒行など自らを昇華させるための鞭打つ行為と同根のものとも考えられていて、サドに比べると肉体的な快楽ではなく、それを自らに課すことによる精神的な快楽を求める傾向が強いとされています。
興味深いのは、その世界の外にいる人にとっては加害者であるサディストによって虐待を受けるだけ (マゾヒスト本人にとっての快楽も含む) の、“か弱い存在” であるかのように見えるマゾヒストは、必ずしも受け身の存在にだけ留まっている訳ではなく、快楽を得るために攻撃的な姿勢、手段を取ってまで加虐を望みうる…ケースがあることです。
すなわち、例えばサド趣味のない人からの加虐を望むマゾヒストが、相手を脅し痛めつけて自分を虐待するよう責め立てる…なんて事もある訳ですね。 もしその相手がマゾだったら…ん〜、このあたりになると、作家、読者 ともにかなりの レベル を求められる、作品を通した極めて高度な対話が必要でしょうね。
そして今後も同人の世界に多大な影響を与えて…
ところでいくらか本格的に 「SM」 を扱った作品の場合、作者の視点 (サドなのかマゾなのか) によって、同じ 「SM」 作品でもその印象が一変するのは当然ですが、同人の世界では 受け 側の登場人物に 感情移入 するのが普通ですので、その意味ではマゾ的視点での作品がいくらかは多くを占めていそうです。 ただしサド側の視点の作品に対し、マゾ側の視点の作品は判別もかなり困難で、最終的には作家個人の嗜好、性癖 にまで降りて行かないと見分けられない、モチーフ としては相当に奥の深い対象であると云えます。
セックスやそれに近い行為が、人間にとってはもはや生殖と切り離された営みになりつつあるのは明白ですが、その意味でその一方の究極であるSMは、今後も多くの同人、プロ、あるいは マンガ や 小説、その他全ての創作活動に対し、刺激的で背徳的であるがゆえに、大きな影響を与え続けて行くんでしょうね。
SMの定義は時代を超えて、新しい意味合いをも持ち始めています
なおSMの定義や意味合いは時代と共にそれなりに移り変わっているようです。
最近では風俗的、肉欲的な 商業 プレイとしての側面が高くなり、語源から離れているケースもあります。 そういう場合、より直接的に Slave(奴隷) と Master (主人)、すなわちS&Mと称する場合もあります。 本来のSとMとで意味が入れ替わっているのが面白いですね。 女王さまに会いにいったら小太りの奴隷がでてくるようなことがないよう、事前にちゃんと確かめるようにしましょ