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歴史上の話から作品ジャンル、セックスプレイ、比喩まで… 「奴隷」

 「奴隷」(どれい) とは、人間でありながら他人の所有物として扱われ、名誉や 人権 はなく、譲渡・売買の対象とされ、所有者の命令によって一方的に労働やその他様々な苦役、役割を押し付けられる人のことです。 これら奴隷を合法とする仕組みを奴隷制と呼びます。 究極の全人格労働 (人格や人生全てを捧げる労働) を強いられる身分だとも云え、様々な労働・苦役のうちでも性に関する行為や労働に従事させられる人は、とくに 性奴隷 (性的奴隷) と呼ぶ場合もあります。

 奴隷は創作物の世界、なかでも ファンタジー や異世界ものでは お約束 のように登場し、通常は善良でか弱い被害者的存在として表現されます。 しばしば 主人公 に好意を寄せるなどして 「救ってあげたい」 と 読者 などに感じさせる、ある種の 萌え要素 のような扱いを受けることも多いでしょう。 あるいは SM (サドマゾ) の世界において、サドである女王様に鞭打たれるマゾを奴隷とする場合もあります (さらに家畜の場合も)。

 作中での取り扱いは、主人公が奴隷を助ける、あるいは奴隷に落とされそうな人物を救う物語の場合、当然ながら奴隷狩りを行ったり人身売買をする奴隷商人は悪役として描かれ、奴隷がやり取りされる奴隷市場も ネガティブ なイメージで描かれるでしょう。 逆に主人公が奴隷の立場から身を起こし出世する物語の場合、奴隷商人や奴隷市場の側にもネガティブ一辺倒ではなく、悲喜こもごもの人間模様が描かれる場合もあります。

 一方で、歴史上、あるいは現代にあっても奴隷制やそれに近い過酷な労働で苦しむ人が世界中にいて、架空の物語の中であっても奴隷や奴隷制を好意的・肯定的に触れるのは良くないとの意見もあります。 奴隷とはまた違った階級社会における出自や経歴、職業などによる被差別民・不可触民とともに、現代の倫理観や価値観から見てとても扱いが難しいのが、この 「奴隷」 という言葉や身分の表現でしょう。

 いずれにせよ奴隷は、飢餓・災害・疫病・戦争と同じく人類に降りかかる悪夢であり、とくに戦争と分かちがたく関連し、共に人類自身が自ら作り出した蛮行という点で、忘れてはならないものと云えるでしょう。

一般の日本人にはなじみが薄い 「奴隷」 という言葉

 一般に日本では、欧米式の長期にわたる強固にシステム化された奴隷制に基づく大規模な奴隷使役といった実例やそれに基づく教育が相対的に乏しく、また奴隷という言葉自体も積極的に使われることなく、あまり表立って語られることもないようです。 その結果、もっぱら海外の歴史上・創作上の事例をベースとした偏った知識、誇張されたイメージが広まっていることもあり、奴隷とか奴隷制に対する感覚が希薄、あるいは逆に極端な形で 認知 されているきらいがあります。

 そのイメージは、例えば 「鎖につながれて自由は一切なく、賃金はもちろんまともな食事さえも与えられず、休むことも許されずに鞭打たれ死ぬまでこき使われる」「生きるも死ぬも所有者 (主人) の思うがままで、気まぐれに命を奪われる」「奴隷船に詰め込まれてかなりの割合が航海中に死ぬ」「なんかよくわからない歯車をずっとぐるぐる回している」 といった、とにかく非人道的で苛烈・過酷な姿です。

 時代や地域によって奴隷や奴隷制にもいろいろあり、もちろんこうした過酷すぎる境遇にいた奴隷も少なくありません。 戦争で勝った側が負けた側を奴隷にする場合などは、復讐や見せしめ、見世物、娯楽の意図もあり、ことさらに残虐極まる行いがなされたケースも歴史上たくさんあります。 とくに古代や中世あたりの奴隷はこうした戦争捕虜奴隷が多く、その扱いは当時の価値観から見ても苛烈極まるものだったと記録されています。

 しかし帝国主義や大航海時代以降の奴隷は、究極的には所有者が利益を得るための 「生命を持った道具」「人の形をした道具」、それも使い捨てできるような安い道具ではなくそれなりに高価で、しかもきちんと 「手入れ」 すれば何年も使い続けられる耐久性のあるお金儲けの道具でした。 当時の国際法上も国内法上も完全に合法な 「商品」 であり、バチカンのローマ教皇による 「異教徒は奴隷にしても良い」 との許可もあり、キリスト教徒にとっては倫理的にも正しいものでした。 国家の後押しで奴隷貿易を行ったり、政治家や株式を上場している企業なども携わっていました。 奴隷市場も国家公認で開かれ、流通価格や相場がついて売買される以上、奴隷は所有者の 「財産・資産」 でもあるので、気ままに鞭打って商品価値を下げたり、故意に死なせて失うような無駄なことはしませんでした。

 農作業や輸送業務などが機械化される前は、牛や馬などが力仕事を担っていましたが、奴隷はこれら家畜と同じ扱いだったと云えます。 酷使しすぎると潰れてしまい大切な労働力を失いますから、それなりにちゃんと世話をしたり、休みを与えたり、愛情をもって接することもあったのは、家畜も奴隷も同じでした。 いわゆる 「生かさず殺さず」 といったやり方です。 また家畜のような交配・繁殖も試みられ、屈強な体と高い知能、従順さを兼ね備えた理想的な男性奴隷は 「繁殖奴隷」 として種馬のように使われることもありました。 ただし牛や馬に比べると人間は非力であり、担う仕事によっては 「役に立たない」 ともみられ、奴隷より家畜の方が高値で取引されていたという救いのない話もあります。

 なお奴隷の男女比については時代や国によって異なりますが、例えば欧米の黒人奴隷に関しては、男性が全体の 2/3 を占めていたとのデータもあります。 過酷な肉体労働で使役するためには男性の方が都合が良いからでしょう。 一方でアジアのいわゆるイスラム奴隷については、逆に女性の方が多かったとのデータもあります。 これは一概には云えませんが、ハーレムや一夫多妻制とも関連し、女性の性的奴隷としての 需要 が高かったことと関係があるとの説もあります (ただしイスラム王朝における奴隷は解放奴隷といった面が強く、一般に理解されている性的奴隷とはまた異なります (後述します)。 時代的に戦争捕虜の場合、男性兵士は皆殺しの場合も少なくなく、当然ながらこの場合の奴隷も、女性がその多くを占める状態だったようです。

様々な奴隷の形

 強固な身分制度があったため、奴隷の管理は奴隷自身がすべきだとの考え方もあり、また奴隷の数が増えてくると彼らの団結を阻止し分断して統治するため、奴隷の中に身分の差を設けることもありました。 奴隷を管理する奴隷には特別な権限や権利が与えられ、時として非奴隷の一般人よりも自由があり、家族や家畜、相続できる家や田畑を持ち、場合によっては非奴隷の一般人を使役する富裕な奴隷、医師や弁護士、教師、建築の専門家など、当時も現在も尊敬を受けるような職業につき、法的に保護されていた奴隷もいました。 家族や非奴隷の使用人以上に奴隷を大切に扱う主人などもおり、見どころがあれば養子として家に迎え、家業や一族を託すようなことさえもありました。

 さらにいったんは奴隷の身分にされても、その後の働きによって奴隷から解放 (自分で自分を買う) されたり、非奴隷の一般人が借金返済などのために一時的に奴隷となってその後元に戻るなんてケースもありました。 一握りの金持ちと圧倒的多数の食うや食わずの貧困層が存在する社会では、食い詰めた貧乏人が金持ちに生活の保護を求め、金持ちはある種の親分肌や地域の領主・名士としての公共事業的な義務感を発揮して、一定期間の衣食住を保障して住み込みで働かせるといった形態のものもありました。 日本の有名なところでは、原則奴隷制や人身売買に否定的な立場をとりながらも部分的、あるいは飢饉対策として一時的な人身売買を容認した御成敗式目 (鎌倉幕府) なんてのもあります。

 また非奴隷の農民などが貧困や飢饉から生き延びるため、子供を奴隷として手放すことも、洋の東西を問わず当たり前に行われていました。 もちろん奴隷商人は言葉巧みに子供の好待遇を保証するなどと約束しますが、親の側も実情はわかっていて、それでも一家全滅するよりはと、騙されたふりをして口減らしに娘や息子を売ることが行われていました。 これらは 「親孝行」「家族のための献身」 の美談とされることも少なくありませんでした。 主人たる奴隷主も、 奴隷を飢えさせたり反乱を招くことは統治能力や徳がない 無能 の証・恥辱とされ、主人やその家族が生活を切り詰め借金までして奴隷を厚遇していたなどというケースもあります。

 一方イスラム王朝の奴隷制度は欧米の奴隷制度ともまた全く違った国家制度や宗教的価値観の元に営まれており、一般的な日本人にはいっそう理解が難しい部分が多々あります。 当時イスラム圏やその近隣の遊牧民や海賊などは大規模なビジネスとして奴隷狩りを行っていましたし、イスラム王朝国家に対する奴隷市も盛んに開かれていました。 一方のイスラム王朝側では奴隷の解放は善行とされ、積極的に奴隷を買い付けては解放して自国の民としていたため (解放奴隷)、奴隷の全てが奴隷の身分のままだったわけではありません。

 例えばオスマン帝国などでは慣習や制度として王の側妃や妾はごく一部を除きほとんどが元奴隷であり (すなわち君主のほとんどが元奴隷母后の子)、君主直属の為政者や指揮官を含めた兵士もほとんどが元奴隷か奴隷だったりと、宗教の教えや政略 結婚 による外戚の弊害を除くためなどその時代のその文化圏においては一貫した合理的理由があるにせよ、日本的なそれとはかなり異なる部分があります。 解放奴隷とはいえ生殺与奪は主君の思いのままでしたが、これは中世や近世の王朝国家では、別に奴隷身分に限らない話でした。

 こうしたこともあり、口減らしではなく我が子の栄達のために見どころのある子を奴隷に差し出す親も多く、容姿や能力に長けた子は奴隷でありながら君主の寵愛を受け高等教育も施され、元奴隷や奴隷の身分のまま国家の中枢を担い莫大な富や権力を握る存在となることも珍しくありませんでした。 これはもう奴隷という言葉の定義が、一部を除き異なるとしか言いようがない部分もあります。

形や定義はどうであれ、奴隷は絶対的に憎むべきもの

 こうした様々な奴隷の形、例外的なケースの存在を考えても、あるいは奴隷制が存在した時代性 (非奴隷である一般民衆の生活も酷かったし自由も人権もなかった) や 「人権なる 概念 が発明され普及する前だった」 ことを考えても、なおあまりにも非人道的であるからこそ、こんにちでは奴隷や奴隷制はあってはならないものだと世界中で認識され、国連の世界人権宣言においても明確に禁止されているわけですが、「奴隷と一言でいってもいろいろなケースがあった」 のは、知っていて損はないでしょう。 それは別に 「奴隷や奴隷制を肯定したり擁護すること」 ではないのですから。

 なお欧米における近世・近代の奴隷の研究では、記録にあるものだけでも1515年〜1865年の間に1,250万人の子供を含む黒人の男女が奴隷船によって移送され、DNA調査によれば、うち200万人は移送途中に死亡するというすさまじい結果が出ています。 移送中に死亡した奴隷はそのまま海に投げ捨てられますから、奴隷船の周りには常に鮫がついて廻っていたとの話もあります。 これは船で主にアフリカ大陸からアメリカやヨーロッパなどに移送された奴隷の数だけですから、現地で奴隷として使役されて死亡したものなどは数に入っていませんし、現地人を扇動して奴隷狩りをした際に生じた相当数の被害者なども、こんにちでは不明となっています。

 一方で船乗りの待遇も劣悪で、あまりの過酷さや高い死亡率 (時代や航路によっては半数以上が生きて戻れない) からなり手が集まらず、路上で無関係の通行人を拉致して無理やり船に乗せるなど、こちらも奴隷同様の扱いが当たり前となっていました (その結果、多くが海賊に身を投じたりもしています)。 これは法律で定められたれっきとした合法的なもので強制徴募と呼ばれ、水兵の人員補充に大いに用いられました。 これは民間の商船の船員の扱いも同様でした。

日本における過酷な労働環境と奴隷

 こう考えると、学校の歴史の授業で大雑把に概要だけを教わったくらいの多くの日本人が漠然と抱いている奴隷のイメージが、逆に過去の日本が行った奴隷行為や現代の実質的な奴隷行為を分かりにくく、認識しづらくしている部分はあるかもしれません。

 例えば弥生時代の生口、戦国時代の乱取り、農村の娘売りや商家の丁稚奉公などの年季奉公、戦前 や戦時下の植民地や統治領、占領地における様々な強制労働や徴発、タコ部屋労働、日雇い労働、性風俗産業、花街や舞妓さん、ブラック企業における過酷な労働、非正規雇用、外国人技能実習生の就労 環境 などは、全てとは云いませんが、一部ではほとんど奴隷制と変わりがないか、それを超えるほどの酷い状況も存在します。

 しかし彼らの多くは、日本人が奴隷と聞いて思い浮かべるような待遇、例えば鎖につながれたり鞭で打たれたり、あるいは主人に気ままに殺されたりしているわけではありません。 一般人よりも手厚い報酬を得て豊かな生活を送っていた人たちや、衣食住だけでなく教育や結婚相手の紹介、家族の面倒まで見てもらったり、転職や解放 (年季明け) が可能で、その後元主人の支援で独立した事業を営むことが可能だった人もいます。 娘売りや丁稚奉公も、そうでもしなければ一家まるごと全滅か、本人を口減らしで殺めるしかない状態もあったわけです。

 海外から 「日本には奴隷のような人がいる」 と指摘されると、「いや奴隷ではない」(鎖に繋がれて奴隷船で運ばれたり、市場で売買されてる人などいない、当時は合法だった、高額の報酬を得ていたものもいた) との反論をしがちなのは、こうした経緯が少なからずあるのかもしれません。 「奴隷」(slave) という言葉の定義や認識にズレがあるのですね。

 現代でもすぐ目の前に奴隷制のような過酷な労働環境に苦しむ人が大勢いるのに、あるいは歴史上日本にも奴隷制や人身売買やそれに近い行為もあったのに、「別に奴隷じゃない」「仕事が嫌ならやめればいい」「欧米に比べたらマシ」 と無関心を決め込むのは、少々無責任な態度なのかもしれません。 もっともそれを、欧米や欧米かぶれの日本人 (出羽守) などから、ことさらに日本だけが非道だ特殊だ遅れていると一方的に謗られる必要もないでしょう。 どちらの立場に立つにせよ、他者を責めるために都合よく奴隷を利用するべきではないのかもしれません。

 互いに敵視し批判の応酬を繰り返すのではなく、まずは認識を擦り合わせて、人類にとって共通の負の遺産である奴隷や奴隷的な労働環境をなくす努力を一緒にするのが望ましい姿なのでしょう。

「ルーツ」 や 「アルスラーン戦記」…創作物における奴隷

 創作物にもしばしば奴隷が登場します。 例えば現実の奴隷の話をベースとした1977年のアメリカドラマ 「ルーツ」 は同年末に日本でも放映されて大ブームとなり、主人公のクンタ・キンテという名前は、「ルーツ」 という言葉ともども流行語ともなりました。

 そのヒューマニズムに優れた内容はアメリカをはじめ世界中で極めて高く評価されましたが、当時の日本では 「遠い国の一昔前の話」 という扱いで、お笑い番組でギャグや物まねの ネタ にされることもあるなど、現代とはかなり温度差がある受け取り方も多かったものです。 この作品をはじめアメリカの黒人奴隷を扱った コンテンツ は多数ありますが、日本で過酷な黒人奴隷のエピソードが一般にも広く知られるようになったのは、このドラマの存在がとても大きいでしょう。

「アルスラーン戦記」(田中芳樹/ 角川文庫)
「アルスラーン戦記」
(田中芳樹/ 角川文庫)

 また おたく腐女子 に近いファンタジーのお話で云えば、1986年から長期にわたって刊行された大河ファンタジー小説 「アルスラーン戦記」(田中芳樹/ 角川文庫) の奴隷制に関する印象深いエピソードを真っ先に思い浮かべる人も多いかもしれません。

 同作 主人公の王太子アルスラーンは仲間を集ってルシタニア王国に征服された祖国パルス王国を奪還するため旅をしますが、民心を得るためにも王国の条理に合わない悪政を正すべく、まずは奴隷を解放しようとします。 その結果、道中立ち寄ったカシャーン城塞において、自らの立身のためにアルスラーンとよしみを通じ、また奴隷制を維持しようとする城主ホディールに襲われます。

 アルスラーンはこれを倒してさっそく奴隷解放を行おうとしますが、当の奴隷たちからは 「主人殺し」 と強く非難され憎まれ、「主人の仇」 だと武器を向けられてしまいます。

 その後、難を逃れたアルスラーン一行が焚火を囲んで休んでいると、仲間のアルサスが自身も過去に奴隷解放を行い失敗したことを打ち明け、「寛大な主人の元に奴隷であることは、ある意味もっとも楽な生き方」 だとして、奴隷解放の難しさと、それでも 王道 を歩むべきだとアルスラーンに語りかけ勇気づけます。

 アルスラーン戦記に限らずファンタジーの世界ではしばしば 「個性的な仲間」 が登場しますが、「ふるさとを魔物や敵国兵に襲われ滅ぼされ、親兄妹も殺され自身は奴隷として売り払われた人」 が、主人公と同じ敵に復讐するために仲間に加わるのなどのパターンは多く、奴隷との関わり合いがある種のお約束のようにもなっています。 異世界転生ものの多くで物語冒頭に主人公が自動車事故に遭うように、ヒーロー が登場する叙事詩的英雄譚の冒頭は村が焼かれるところから始まるものなのでしょう。

 作品の一部に奴隷描写がある作品はほとんど枚挙に暇がありませんが、この他実写系で古いものを少しだけ挙げるならば、ハリウッド映画 「ベン・ハー」 の奴隷船エピソードとか、日本作品なら冒険活劇 「新諸国物語 七つの誓い」 の奴隷船の巻などは印象に残っています。 いずれも英雄物語の典型的なパターンですが、後の創作物への影響は大きかったと云えるでしょう。

人間の自由や権利や尊厳とは何なのか、あらゆるテーマを浮き彫りにする奴隷という存在

 奴隷には罪がなく善で、奴隷の主人が絶対悪の存在であるなら、話は簡単なのでしょう。 しかし食べるものにも事欠く状態の中、過酷な労働と引き換えとはいえ衣食住を与える主人は果たして絶対悪なのでしょうか。 生きるためにそれが幸せだ、ありがたいと感じる奴隷は無知で怠惰で愚かなだけなのか。 しばしば美談として語られる 「自らの命をかけて主君を守り仕える忠誠心あふれる武士や騎士や兵士」 と生殺与奪を握られた奴隷との違いはどうなのか。 滅私奉公は現在も過去も悪なのか。 奴隷にも武士や騎士同様の誇りが本当に存在しないのか。 逆に武士や騎士の誇りとか人間としての尊厳とは何なのか、それは支配する側の誰かにとって都合の良い社会規範や道徳教育の刷り込みの結果や、単なる奴隷の言い換えに過ぎないのではないか。

 自由がない代わりに衣食住を保証された奴隷と、自由があっても衣食住がままならない生死の境目にいる貧しい人たち。 あるいは個人の所有物である奴隷と、名目はともあれ領主や国王、国というシステムの実質的な所有物である農民や国民や軍人。 封建制における農民と農奴、小作人などは、奴隷と本質的に違うものなのか同じものなのか。 違うならどれがマシなのか、幸せなのか。 これは現実と創作、昔と今、すべてをひっくるめて人間の誇りとか尊厳そのものを扱う根源的な問いでしょう。 さらに奴隷が何人か集まると鎖の自慢をし始めるとか、奴隷が主人を追い出すと奴隷の中から新しい主人が出てより劣悪に奴隷を使役するとか、人間の業と云うか悲しい性を感じる部分だってあります。 もちろんこれは、企業と労働者の関係など、現代の私たちの生活にもつながる テーマ です。

 そもそも 「自由」 だって、その本当の部分はわからないことだらけです。 現在の日本では基本的人権として誰でもが自由を持っていますが、自由気ままに好きなことだけをやっていては個人の生活も維持できないでしょうし、社会だって成り立たないでしょう。 他人に指示され衣食住を保証される立場の方が、どうせ自分では使いこなせない自由とやらより生きていく上ではよほど便利で大切だ、という人もいるかも知れません。 そもそも自分の生き方や人生を自分だけで自由に決められる人は、現代にあってもとてもとても少数派でしょう。

 何が自由で、何が人間の権利や尊厳なのか。 守るべきラインはどこなのか。 そしてそれを決めるのは誰なのか。 これらを浮き彫りにする奴隷という テーマ は、遠い昔や外国、ファンタジーの世界の話ではなく、悲劇や娯楽であると同時に思考実験でもあり、極めて現代的で身近で、とても大きな存在だと云えるのかも知れません。

「マスター」 と 「スレーブ」 生き残る奴隷言葉

 一般に日本では、字義通りの奴隷以外にも、いわゆるブラック企業の就労者や過酷な環境にいる人、誰かの言いなり状態の人を指して、「奴隷状態」 などと表現する場合が多い言葉ですが、外来語由来の言葉では、もっとフラットな使われた方をしていたケースもあります。

 例えばパソコンのハードディスクを IDE 規格で同一バス・ケーブルに複数接続する際には、メインとなる一台目がマスター、二代目がスレーブとなります。 単に所属する グループ の主従・上下を示す言葉ではありますし、パソコン用語として世界中で広く使われているので言い換えも容易ではありませんが、これもいずれなくなっていくんでしょうね。 言い換えの場合、マスターはマネージャーやメインに、スレーブはエージェントやサブ、メンバーに変えるなんてのが多いようです。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2004年12月21日)
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