メディカルフェチなのか、グロテスクゴシックなのか… 「眼帯」
「眼帯」 とは、医療用としては目 (眼球) を保護するためにあてがうガーゼや海綿などで構成されたあて布、絆創膏 のことです。 「アイパッチ」 とも呼びます。 目に対して光線や衝撃を緩和し、湿度や清潔を保つために使用されます。
通常はゴムひもなどで耳にかける形で装着するタイプが多く、片目のみあてがう形になっています。 この他、絆創膏 (リバテープ) のように粘着剤で皮膚に直接貼るタイプ、目にあてがいメディカルテープで固定するタイプや、包帯 などのように頭部に巻くタイプもあります。 両目を覆うタイプのものもありますが、通常 「眼帯」 といえば、左右どちらか片方の目のみにあてがうタイプとなります。
医療用とカモフラージュ・リカバリー用の眼帯
これとは別に、保護する必要はないけれど、見た目の印象をカバーするため (潰れてしまった目を隠すため) に装着するタイプの眼帯もあります。 現在は義眼をするなどして見た目のリカバリーをするケースが大半で見かけなくなりましたが、こちらも同じ眼帯、もしくはアイパッチと呼ばれています。 材質などはほとんど何でもありで、革製品の他、時代物では貝殻、硬貨や刀の鍔 (つば) を用いる場合もあります。
リカバリー用の眼帯で一般的に思い浮かべる典型的なものは、いわゆる 「海賊」 のつけている 「どくろマーク」 のついた革製の黒いアイパッチでしょうか。 この海賊用については、両眼があってもあえてアイパッチにより片目だけ常に暗い状態にしておき、暗闇でもすぐに対応できるよう慣らしているとの説もあります。 転じて海賊に限らず、真の力を日頃は封印している (外すと真の力が発揮できる) といった意味や描写が付く場合もあります。
ところで医療用のものは実用品として目の 病気 の治療や保護に使われますが、それとは別に 「医療用眼帯をつけた姿そのものが好きだ」 とする人も少なくなく、「眼帯フェチ」 として、フェティシズム のひとつとされたり、萌え要素 のひとつともされています。 多くの場合、包帯などと一緒の扱いをされ、こうしたものは 「メディカルフェチ」(SM と親和性が高い) とも、「グロテスクゴシック」(ゴスロリ のうち、ダークな部分) の一部とも呼ばれています。
「眼帯」 による表情の変化…
「眼帯/ アイパッチの再現図」
これは再現図です。下のサムネイル画像へマウスオーバーすると、左側に大きな再現図が表示されます。 回線の状態によっては、表示までに少々時間がかかる場合があります。 | ||
医療用眼帯 | 医療用眼帯+メガネ | 医療用包帯+マスク |
医療用包帯 | 海賊風?眼帯 | ノーマル |
なぜ 「眼帯」 に萌えるのか
小学生の頃、クラスメイトの女の子や意中の男の子などが 「ものもらい」 などで眼帯をした姿であるのを見て、自分でもよくわからない妙な胸の高鳴り、ちょっとした興奮を覚える人は、男女を問わず多いようです。
包帯や マスク などもそうですが、普段はまったく意識していない 「人間」 の飾り気のないリアルな 「生物」「動物」 としての息遣い、あるいはそうした姿に弱々しさを感じて 「守ってあげたい」、逆に 「弱っている今なら…」 的な どす黒い欲望と、それに対する激しい背徳感との衝動。 これらが、その姿を見たことにより一気にない交ぜになって襲ってくる感じでしょうか。
また髪型や服装が変わっても鈍感な人は気がつきませんが、眼帯は気がつきますから、「見慣れた人物の、いつもと違う姿」「しぐさ、表情」 に、違和感や新鮮味を覚えるのかもしれません。 日ごろ強気な女性が、こうした姿で弱々しくしてると、もうそれだけで 恋愛フラグ が立ったように感じるものです。
こうした衝動は、「血液」 とか 「体液」 にもストレートにつながり、突き詰めると 「下着 趣味」 とか 「SM」 にもつながるものですが、「排泄」 などが スカトロ のような性行為に直結しているように、「病気」 や 「怪我」(最終的には 「死」) にも、根源的に性行為に強く結びつく要素が当然ながらあるのでしょう。
なお眼帯そのものの使用量については、眼科の医学的研究や医療技術の進歩によって、時代を経るごとに徐々に減っているようです。 点眼できる抗生物質が一般化して治療が早く終わったり、過度の洗眼が減ってそれに伴い眼帯による保護の期間や必要性が減少したなど理由は様々です。 マスクも苦手な人にとっては息苦しいものですが、眼帯は装着による遠近感の喪失などによって神経を使ったり事故の危険性が増すなど心身に大きな負担が生じるため、これは朗報なのでしょう。
ファッションにおける 「自傷行為」 の代用としての 「眼帯」
「包帯姿」 から受ける感情のざわめき |
怪我も障害もない小さい子供が、わざと足を引きずって歩き、母親から 「そういうことしていると、本当にそういう体になってしまいますよ」 なんて叱られている光景はたまに見かけます (足に障害がある人からしたら、本当に酷い話ですが)。
誰だって怪我や病気はいやでしょうし、そうなることを望む人も少ないでしょう。 しかしそれとは裏腹に病人のフリをしたり、体の一部が不調、もしくは不都合があるかのように装う人は結構多いようです。
学校をサボるための仮病や、同情を得るための演技ならわかりやすいですが、そういったある意味で実利的な思惑があっての演技ではなく、「生きている実感」 を得られていないがための、その確認作業としての 「自傷行為」(母親など他者への、自己アピールの強要でもある) と、しかしそれは痛いし怖いから、その真似をするだけの 「怪我のフリ」「病気のフリ」 は、程度の差こそあれ、子供の頃に一度くらいは自分にも身に覚えのある人が多いのではないでしょうか。
「ピアス」 や 「タトゥー」 などにもその傾向が感じられますが、不健全、不気味でグロテスクなものを 「カッコイイ」 と感じるような年代もあるのでしょうし、普通とは違う状態を演出して目立ちたい、注目を集めたいという感情 (ミュンヒハウゼン症候群などと呼ばれますが) を持つ人も少なくないのでしょう (この手の感覚は、わからない人にはまったくわからないようですが)。
こうした行為はファッションの世界にもあり、切り傷やアザ (母斑)、内出血をメイクで真似てみたり、口から血を吐いているようなメイクをしたり、首に切られた後をつけるようなものまでありますが、その際に眼帯や包帯なども、ある意味 「手軽なファッション アイテム」 として、コスプレ などで使われる場合があります。
どう考えても健全なファッションとはいえませんし、健康だからこそできる 「悪趣味なお遊び」「幼稚な 自虐 趣味」 とも云えますが、実際にリストカット (リスカ/ 手首を切る) するとか、誰かに殴られるのも困りますから、「真似事」 で満足して卒業するというのも、死や生死を分けるような大事故、大病が幸運にも身近にない場合の代償行為として、それなりの意味はあるのかも知れません。
カリスマとしての 「隻眼」 と 「眼帯」
医療用ではなく、見た目のリカバリー用の 「眼帯」 の場合は、装着する者の 「片目」 が見えない、潰れていて 「隻眼」「めっかち」「独眼竜」 であるとの前提があります。
生まれつきの場合もあれば、戦争や事故・病気で失われる場合もありますが、いずれも日常生活を送る上で重大な不自由をもたらし、また強いコンプレックスの原因ともなるのが容易に想像できるため、逆に 「耐え難い困難を乗り越える強い意志」「逆境を跳ね返す精神力」 を象徴したり、「片目が見えないために、むしろ聴力や洞察力が研ぎ澄まされ、目で見えないものが見えたり、物事の本質を見抜く」 といった独特のカリスマ性を持つ場合もあります。
眼帯を着用していたとされる著名な隻眼には、北欧神話の主神であるオーディン、古代中国の武将である夏侯惇や李克用、日本の伊達政宗や山本勘助、本多重次、柳生十兵衛、豊臣秀勝、近現代軍人ではイギリス海軍の英雄 ホレーショ・ネルソン提督、旧日本陸軍中将 山地元治、ドイツ将校クラウス・フォン・シュタウフェンベルクやイスラエル将校モーシェ・ダヤンなどがいます。
創作物では、映画ゴジラに登場する科学者、芹沢大助博士、劇画 「子連れ狼」 の敵役である柳生烈堂、仮面ライダーの敵・ショッカーの大幹部 ゾル大佐や、宇宙海賊キャプテン・ハーロック、あしたのジョーの丹下段平、ゲーム ストリートファイターシリーズのサガットなどなど、枚挙に暇がありません。 一方で、眼帯をしない隻眼である (隻腕でもある) 林不忘の新聞連載小説の 主人公、丹下左膳 のような独特な存在もいます。
いずれにせよそれぞれが 「片目を失う」「失った結果、辛酸をなめる」 という事態に印象的で衝撃的、感動的なエピソードを持つ場合も多く、トレードマークとなる眼帯に、「英雄的な戦歴の象徴」 などの特別の意味を持つ場合が少なくありません。 また 「眼帯と云えば海賊だろう」 という一般的な印象が強いにもかかわらず、眼帯をした キャラ が登場せず黙示的に 「眼帯の海賊」 が触れられ ファン の想像を掻き立てる海賊マンガ、「ONE PIECE」 のような、特異な作品などもあります。
身体に不自由が生じ、これをカバーするための道具には義手・義足、松葉杖や車椅子、補聴器などなど色々なものがあります。 しかし創作の世界でこれほどまでに頻繁に用いられ、かつ美化され、またその必要のないものすら憧れるケースが多いのは、「アイパッチ」 をおいて他にはないでしょう。