自分にとって大切なものを汚す快感…「カンダウリズム」
「カンダウリズム」(Candaulism) とは、自分の妻や愛人、恋人などの裸体を他人に見せたり、場合によっては他の男に抱かせるなどの行為によって性的興奮を覚えること、あるいはその嗜好のことです。 もっぱら 「自虐趣味」 の1つと 解釈 されていて、「カンダリズム」 と表記する場合もあります。
語源はフランスの作家、アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド(André Paul Guillaume Gide/ 1869年11月22日〜1951年2月19日/ 1947年ノーベル文学賞受賞) の戯曲、「カンドール王」(Le Roi Candaules/ 1901年初演) と、これを モチーフ にしたオーストリアの作曲家、指揮者アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー (Alexander (von) Zemlinsky/ 1871年10月14日〜1942年3月15日) のオペラ、「カンダウレス王」(Der König Kandaules) の登場人物、古代トルコ・リディア王国(Lydia/ 紀元前7世紀頃〜紀元前547年) の王、カンダウレス (Kandaules/ The King) に由来します。
この戯曲、オペラでは、若く美しい妻を誇りたい王が、自らの護衛をしている家臣、漁師のギーゲス (Gyges) を妻、ニシア (Nyssia) の寝室に誘い、裸を見せ付けます。 ギーゲスはニシアに心を奪われ、ニシアは夫である王の振る舞いに激怒、ギーゲスと共謀して王を殺害し、2人で国を乗っ取り我が物とします。
ちなみにオペラ版は、作曲者のツェムリンスキーがユダヤ系だったため、ナチスドイツによるオーストリア併合後に迫害を受け亡命生活を余儀なくされ、生活が混乱して完成が遅延。 その後亡命先のアメリカで完成と上演を目指したものの、全三幕のオペラの第二幕に女性のヌードが登場することで歌劇場は上演を拒否、ツェムリンスキー存命中に上演のめどが立たず、生前の完成は放棄されています。 死後イギリスの音楽家、アントニー・ボーモント (Antony Beaumont/ 1949年〜) が完成させ、1996年10月6日にドイツのハンブルク国立歌劇場で初演されました。
マゾヒズム、サディズム…色々な断面を持つ 「カンダウリズム」
こうした 「美しい妻 (自慢の所有物といっても良い)」 を見せびらかしたいという欲求は多くの人が持っているでしょうし、こうした 性癖 を持っている歴史上の人物も少なくありません (とりわけヨーロッパなどの貴族の中には、スキャンダラスな 趣味 として、こうした行為を愛人などに対して行うなんてエピソードがちょくちょく出てきます)。
一般人にはちょっと理解しがたい、あるいは理解できるにしても実際に行うことは難しい性癖になりますが、人目に触れやすい場所でわざわざ恋人と性行為に至る…なんて人には、こうした傾向が強いのかもしれません。 また投稿写真雑誌や ネット の画像掲示板などに、妻や恋人の裸体の写真、ハメ撮り 写真などを 投稿 する人にも、こういう趣味や性的な傾向がいくらかあるのでしょう。 一種の トロフィーワイフ だと考えるとわかりやすいかもしれません。
なお本来の意味では、上記のような 元ネタ から、「裸を他人に見せて喜ぶ」 ような意味になっていますが、後に拡大され、ある種の 寝取られ (NTR/ 「寝取らせ」 とも) のような意味でも使われるようになっています。 それに伴い、意味も 「自虐的 な愉悦」 から、かなり 拡散 しています。 「愛する妻、愛人の裸や、時には肉体をも他人に与えて悦ぶ」 という行為も、実際は複雑に動機が分岐していて、とても一言で言い表せられるものではないのかも知れません。
「どうだ、こんなにも美しい妻がいるのだ…」 という自慢、虚栄心の発露、「自分にとって大切な妻の、肉体的な果実を無残に他人に奪われること」 への卑屈な喜び (自虐的、マゾヒスティックな愉悦)、あるいは美しい妻、自分を愛している妻に辱めを与えて満足する他虐的、サディスティックな悦び。
官能小説などでは、こうした行為はしばしば 「異形の愛」 のように触れられてきていましたが、「異常な状況」 で初めて見えてくる真実の愛を探求する試みや、あるいはエロゲやエロマンガなどの世界がどんどんマニアックに細分化され 商業的 にスキマを狙う状況が続く中、こうした 「とても特異な性癖」(それ以前までは単なる異常性愛、変態、あるいは メンヘラ 的なものだと片付けられてきたようなもの) も、傾向が一致する作品が数多く作られ、また言葉としても確立し語られるようになっています。