美しい女性を次から次へと勲章代わりに娶る 「トロフィーワイフ」
「トロフィーワイフ」(Trophy wife/ トロフィー妻/ トロワ) とは、権力者やセレブ・富裕層といった男性が、自らの成功や ステイタス を誇示するためのシンボルとして若く美しく魅力的な女性を (しばしば次々と何人も) 妻に娶ることです。 こうした男性が 結婚・離婚を繰り返し妻たる美女を取り換える様から、部屋にトロフィー (記念杯) を並べるかのような行為だとして批判・揶揄的に使われ、おおむね2人目以降の妻あたりからそう呼ばれるようになります。
とくに実業家やミュージシャン、スポーツ選手などが、無名時代の下積み生活を支えてくれた妻と離別したり裏切ったりで、芸能人やモデルと云った若くて ルックス のよい女性と再婚したり不倫を繰り返すとなると、裏切りや不誠実さ、見た目だけを気にする幼稚な人間性を強く感じますし、いきおい批判の声も大きくなるでしょう。
元々は欧米で使われるようになった言葉ですが、「女性をまるで高級車やブランド品といった道具・物のように扱う」 差別的な姿勢から、日本でもフェミニストやジェンダーといった考え方が広がるとともに批判的な文脈で用いられるケースが増えてきました。 指し示す範囲も広がり、妻ではなく交際相手も含んで 「トロフィー彼女」 と呼ぶこともありますし、自動車レースや格闘技といったスポーツの世界でマスコット的な女性が男性勝利者にトロフィーや月桂冠を手渡したりキスをするといった、よりありふれていて直接的な行為を含んで批判することもあります。
また男性が美女との交際を賭けてライバルと競う物語とか、ハリウッド映画などによくある男性の 主人公 や ヒーロー のハッピーエンド演出として ヒロイン とのキスシーンや2人が結ばれる姿などをラストに描くこともしばしば批判の対象とされます。 女性が祝福する形で 「男性が成功した証」 を示す演出であり、その作品の社会的影響力も含めた全てが男尊女卑的なマッチョイムズ・マチズモ (男性らしさ) の賛美や発露だと見做します。
トロフィーや戦利品としての女性
トロフィーワイフという言葉はともかく、行為や 概念 としてのそれは、昔からあるものです。 例えば古代や中世の時代から、戦争で勝った側は負けた側にいる美女やうら若い女性を 「戦利品」 として奪って 奴隷 や 性奴隷 にする、君主や指揮官が奪った美女を褒美として配下の武将や兵士に分け与えるなどは、いくらでも実例があります。
また妻ではないものの、夜の街で人気のある女性を身請けする、愛人として囲う、囲った愛人に自分のビジネスの一部を任せる、秘書などとして身近に置くなどを、「男の甲斐性」 として好意的に見たり憧れるような価値観を持つ人もいます。 これらは女性を自立した一人の人間として見ておらず、男性が自分の属する人的ネットワーク内での権勢の誇示に使う アクセサリー にしているだけだとしてしばしば批判されてきました。
でも女性だって、トロフィーハズバンドや白馬の王子様があるじゃん批判
とはいえこうした思考は別に男女を問わないものでしょう。 ビジネスを成功させた女性が若くて イケメン な男性と結婚や再婚をする、あるいはそうした男性を周囲に部下として配置する、愛人として囲う (ツバメ/ 若い燕) などの例もありますし、高齢の金持ち男性と結婚する若い女性の方にこそ問題があるとして、「金目当て・玉の輿や遺産目当ての打算的な女」 と批判する人だっています。
また女性ばかりが集う場でイケメン彼氏の自慢をしたり、夫の職業や収入で マウント を取る既婚女性だって大勢います。 創作物の世界でも、女性の成功物語・ハッピーエンドの典型例として、物語の最後に白馬の王子様が現れたり結ばれるシンデレラストーリーはひどくありふれたものでしょう。
権力者や金持ちの一部がする不快な行為、ほとんどその個人の資質や性質に基づく下品な振る舞いを、性別と云うたったひとつの 属性 だけでその他大勢の男性と結びつけ、無理やり女性差別といった 主語の大きな話 に拡張するから、このような矛盾が見えなくなったり、その事象とはなんらの関係もない男性を藪にらみで批判するような状態に陥ってしまうのでしょう。
そもそもトロフィーワイフにせよ白馬の王子様にせよ、彼女・彼氏自慢や物語のハッピーエンドにいちいち異性や恋愛が持ちだされることを不快に感じ批判する意見は、もっと前からあります。 日本においては、女性に人気のあるトレンディードラマが次々に大ヒットし、世の中が恋愛至上主義かのような状態にあったバブル景気前夜から崩壊あたりの間 (1980年代から1990年代) には、むしろ 非モテ・根暗 と呼ばれて女性から パージ されがちな男性側から、半分 自虐的 な ネタ として批判がよく出ていたものです。
もちろん様々な制度的・意識的差別などにより、女性の社会的・経済的成功者は男性に比べて少ないですし、その結果、年下の異性の恋人をトロフィーとして持つことが難しかったという部分はあります。 また配偶者にせよ愛人にせよ、性行為を伴う異性関係においては、女性は男性と異なり妊娠という身体的リスクを一方的に負う存在でもあるので、トロフィーハズバンドよりワイフの方が目立って批判されがちなのは理解できます。 その文脈での批判や実際にトロフィー行為を行っている人物個人への批判ならともかく、「トロフィーワイフは男性特有の差別的思考から生じたものだ」 とまで話を広げると、さすがに無理が生じるということなのでしょう。
ちなみに女性に献身的に奉仕しながら、最後の最後に現れた通りすがりの王子様にいいところを全部持っていかれる現象を、アニメ 「白雪姫」 のそれになぞらえて 7人の小人 と呼びます。 「しょせん俺たちはイケメン・高スペック男子の引き立て役にすぎない モブ なのだ、ハイ・ホー」 という訳です。 そのモブが、王子様の罪だけを被って差別者だと批判されるなどは、ほとんど喜劇の類でしょう。 同じようなことは、女性を食い物にするホストを批判せずむしろ好意的に見つつ、女性と縁がなく直接的な害など一切及ぼさない非モテおたくを差別者だ性的搾取者だと批判するものなど、枚挙にいとまがありません。
異性とのつながりは、男女問わず容易に優越感に転換される
恋愛は、自分とは異なる属性や背景や価値観の相手から自分が認められ、しばしば他の誰よりも大切な存在だと慕われそう扱ってもらえるものです。 また同意の元での性行為はスキンシップの最上位であり、そこから得られる幸福感や癒し、承認欲求 の充足は大きいものでしょう。 どれだけ人生が悲惨でも、可愛い彼女・頼れる彼氏に恵まれれば、それだけで幸せを実感できると考える人は少なくありません。 それだけに持つ者と持たざる者との間で容易に優越感や劣等感にも転換され、それは別に性別や年齢を問いません。
ネット でトロフィーワイフ現象をことさらに持ちだして男性全般を批判する人は、自称フェミニストやジェンダー論者に見かけることが多いでしょう。 そうした人たちは同じ口で おたく といった人たちに対して キモイ などと罵倒を繰り返し、二言目には 「女にモテないやつ」「女性に縁のない 童貞 だ」 などと決めつけて取るに足らない相手だと揶揄しがちです。 これは 「女性にモテることはステータスだ」「異性との性行為には価値がある」 と自ら認めているようなもので、発想がトロフィーワイフを好む男性と全く同じでしょう。
他者を批判する際には、問題の核心部分をしっかり把握し論を組み立てないと、容易に ダブスタ や ブーメラン を招いたり、トンチンカンな ミラーリング を示して赤っ恥をかくことになりかねません。 確かに金にあかして若い女性を次々に娶ったり囲うなどは品がなくみっともない行為ですし、いくら自由意思による恋愛や結婚は当事者同士の自由だとしても、個人的にどうだと問われれば、かなり強めの軽蔑に値するか、それでしか自身の価値を示せない浅ましい行為だと感じます。 しかし富裕層のごく一部が行っている行為を 「地続き」「根っこは同じ」 だとして、べつに権力もお金もたいして持っていない男性全体への批判に転換されても困ってしまいます。
自分にも僅かでも同じような思考や価値観はないのか、あるいは嫉妬や羨望はないのか、他罰的 に批判するだけでなく、まず自らの言動や心の内を検証してみることが大切なのかもしれません。 でもまぁ、芸能ゴシップが人気のある コンテンツ であるのは理解できるものの、芸能人やセレブといった赤の他人の色恋事などには大して興味などないし、いちいち反応しようとも思いませんし、よくそこまで気にしてネットで大騒ぎできるものだとある意味では感心してしまいます。 いや、何に興味を持つのかはまったく個人の自由ですが、他人を殴るための道具として使うのに何でこれをわざわざ選ぶのかが理解しづらいです。