相手の意見ではなく個人的な部分や属性を攻撃… 「人格攻撃」
「人格攻撃」 とは、議論や論争、バトル が生じた際に、相手の主張や話の内容ではなく、相手の個人的な 属性 や性格、個性、人柄、行動様式などをあげつらって批判することです。 「人格批判」 とも呼びます。 若干 ニュアンス が異なる部分もあるものの、同じような意味で人身攻撃とか個人攻撃と呼ぶこともあります。 一般的には論点のすりかえや終わった議論の蒸し返し、錯誤を狙った 詭弁 の中でも、とりわけ見苦しいものだと考えられています。
もっとも多いのは、相手の性別や年齢、国籍、学歴や社会的立場などといった属性をあげつらい、相手の主張を取るに足らないものだと思わせたり、誤っているものだと錯誤させるものがあります。 あるいは現在行っている議論とは無関係な過去の発言を蒸し返すパターンもあります。 「男のくせに」「女に何が分かる」「若造の分際で生意気だ」「過去にこんなことを言ってた奴は信用できない」 といったものです。 相手の主張に直接反論ができないので、主張する人間を貶めて主張に傾聴すべき価値がないように思わせたり、相手にはこの議論に参加する資格がないといった形で言説を無効化するわけですね。
これらあからさまなものや、単にバカだアホだと罵倒するようなものなら、誰でも人格攻撃や個人攻撃だなと感じることができるでしょうが、実際はもう少し巧妙に行われることが多いでしょう。
例えば相手が特定の条件下でのみ 「Aは○である」 と主張した際に、その条件とは異なる条件下での話としてされた 「Aは□である」 というその部分の言葉尻だけを捕らえて、「言ってることがコロコロ変わりますね」「次はAは△になるんですか」 などと揶揄するやり方があります。 相手の過去の失言なども交えながら 「その場限りの思い付きで話している嘘つきだ」 というイメージを第三者が持つように誘導するわけです。
場合によってはさらに相手の発言を自分が反論しやすいように捻じ曲げて加工し、藁人形 を仕立てて フルボッコ にして 勝利宣言 するような姑息なやり方もあります。 人格攻撃に走った時点で負けを認めている状態だとも云えますが、相手が挑発に乗ってこちらの人格に対しても批判し返したら、泥沼の口喧嘩に持ち込んで、本来なら負けるはずだった論争を相打ちや引き分けに持ち込むことができるかもしれません。
感情を排した理性的な議論がそもそも難しい
主義主張などはもともと属人性が極めて高いものです。 とりわけ政治的なそれは、主張する人間の信頼性とかなり密接に関連しています。 例えば同じ意見であっても、社会的な地位を持つ人と社会的地位がない人がするのとでは、感情的に同じ価値だと認められない人が多いでしょう。 そこが数学の答えなどとは違うところでしょう。
議論などは論理的な方法で行ないと深まりませんし、より良い方向へも進みません。 しかし人格攻撃は泣き落としなどの感情論や耳障りが良いだけの理想論や 精神論 と並んで、残念 ながらとても効果があるものです。 論理的な会話ができる人は思ったより少ないし、できてるつもりの人でも テーマ によっては容易にできない人になってしまうからです。 とりわけ参加者が感情的になりがちな ネット での論争では、自戒を含めてそうならないように心がけたいものです。
またこれは、論理的方法が感情論や人格攻撃に対して 勝利 するのがとても難しいという深刻な問題でもあります。 コミュニケーションにおける避けがたい バグ といっても良く、論理的で誠実でありたいという個々人の心がけを悪用されて詭弁を弄する人に議論で負け、結果的に何らかの誤った社会常識や法律が創られてしまうこともあります。 相手と同じ卑劣な論法は使わないにこしたことはありませんが、それで社会が多くの人にとって不利益な方向へと流れてしまうのも困ります。 場合によってはある種の 「戦術」 として用いざるを得ない場合もあります。